風邪引きどまさんと過保護な座殿の話

 しっかりと閉じられた扉からコソコソとした話声が聞こえる。
「うん、うん…そうなんだぁ。へぇ~…」
 今しがた俺はキッチンにこもり、タンパク質と野菜がたっぷりの特製おじやを作り、うっかり季節の変わり目で身体を壊した恋人の童磨のために持って行く最中だった。
 〝昔〟と違い、寿命も体力も身体の強さも脆くなった俺たちは、凡そ百年以上の時を経てご無沙汰していた病気に数年に何度かかかっている。
 その度こんなに体がギシギシするものだったのかと心細くなったり、普段は飄々としている恋人が寂しそうな顔でベッドに横たわっているのを見てうっかり欲じょ…ゲフンゲフン、早く良くなってくれという心を込めて看病したりと、病気の時だからこそ健康のありがたみと恋人の存在の尊さをひしひしと噛みしめられるようになった。
 今年も例によってインフルエンザや風邪が大流行し、お互い講義だバイトだレポートだと忙しい毎日を過ごしているが、キャパオーバーをして倒れたのはやはりというか童磨だった。
 俺は〝昔〟、鬼になる前から病弱な父親と今は義姉である恋雪の看病をしていたので体の屈強さは折り紙付きであり、逆に童磨はその白橡の髪や虹色の瞳、肌の白さといった全体的な色素の薄さから少々体が弱い傾向にあった。そう言えばコイツは鬼の頃、栄養価が高い女を優先的に食べていた。だからこそあれだけの力を一気につけることができたのだろう。逆に言えば人として生まれた現在、純粋な体力や力で言えば筋トレやランニングを欠かさない俺の方に軍配が上がり、どちらかというと運動はせいぜいウォーキングといった童磨はあの頃に比べて筋肉量は少なくなり、心なしか体力も落ちているように思う。どうしてそれが分かるかというと、夜の営みによって証明されている。鬼の頃そんなことをしなかったため知る由もないが、鬼の頃の強さや持久力は、イコール性行為の体力や持久力とは直結しない。それに何より感情が薄かった童磨が俺との付き合いで徐々に感情を募らせていき愛が前提の行為がどれほど気持ちが良いものかを知った今、性行為は所詮救済でしかなかったという認識は書き換えられ、何度も何度も俺の愛によりひんひんあんあん啼かされて高みに上っては落ちてしまうという経験を何度も味わわせている。
 …と、ここまで思い出して俺は強制的に思考を断ち切った。童磨が身体を壊す直前まで俺たちはろくに触れ合えなかったのだ。こんなことを考えてしまえば、本調子でない恋人に無体を働いてしまうことになると、俺は素数を数えながら童磨の部屋の前にやってきて、そして冒頭に至る。

 こつり、と軽く裏拳を当ててノックをするとすぐさま「どうぞどうぞ、入っておくれ」という穏やかで柔らかな声が返ってくることはなく。
 代わりに聞こえてきたのは、誰かと話しているような声である。
「…童磨…?」
 この具合が悪いのに一体誰と話しているのだ? と俺の機嫌は一気に下降する。いつも童磨は他人に囲まれて〝昔〟と同じように頭が弱く自分で考えることができない弱者共の愚痴を一心に引き受けている。物腰柔らかく動じない性格で、そして見目もいい。さらに口癖が「どうしたどうした? 俺は優しいから放っておけないぜ?」ときたもんだから、そりゃ迷える子羊……否、オオカミになれない豚共がこぞって俺の童磨に群がるのは必然的なことで。
 おじやを乗せたトレーに力強く指が食い込み、うっかり罅が入る。いかん、これは童磨が気に入りの木製のふくら盆だ。柔らかな色合いと木目が特徴的で丸みを帯びたデザインで、和食洋食中華やスイーツを乗せるのに最適なオールマイティーなトレーだ。それを俺の一存で壊すわけにはいかない。何はともあれ一度どういう状況なのか整理をしてと俺は意を決してドアノブを回してそっと扉を開いた。
 童磨の部屋はぎっしりと書籍が詰め込まれた本棚は別として、それ以外はスタンディングテーブルや椅子、それに〝昔〟の名残でかヨギボーとローテーブルぐらいしかない。ちなみに寝室は俺と一緒なのでベッドではなくクローゼットの中に布団がしまい込まれている。洋服も一軍のもののみをシーズンごとに着まわしているので、二畳ほどのクローゼットの中に吊るして全て収まってしまう量しかない。その外見の派手さから勘違いされるが、意外と質素な性質なのだ。
「うん、うんうん……なるほどねぇ。〇〇さんにそう言っても聞き入れてくれなかったんだぁ」
 気配を消して童磨に近づいていき耳を研ぎ澄ませば電話口の声はどうやら男のようだった。どこかひび割れたような声で『だから俺言ってやったんすよ! 誰も何も言わないから俺が率先して!!』『だけど周りの奴らはこれっぽっちも俺様に感謝しやがらないしもーホントやってらんないっすね!!』という内容だった。
 これが生産的な話でも今の童磨が優先して聞くべく話でもないのは傍から見て明らかである。だがそれでも本当に大事な話である可能性は否めないのでもう少しだけ話を聞くかと、足音を忍ばせてそっと部屋の中に入れば、童磨の淡く甘い匂いに包まれた。
「うんうん、君はよく頑張った、よ…」
 布団の上に胡坐をかきながら、ローテーブルの上にスマホスタンドを置いてテレビ電話で話している男の顔は、いかに十人並みといった顔だ。誰だったかと思い出す筋合いもない。だが俺はその男に例えようもないほどの怒りを覚えていた。
 今、童磨はふらりと身体を傾げた。そして声も一瞬途切れて遠くなったように聞こえた。つまりこの野郎は本調子ではない童磨を捕まえてああでもないこうでもないと薄らくだらない己の自慢話と愚痴を延々聞かせ続けているのか。
 そう判断した俺はもはや一刻の猶予も許さないと言わんばかりに、部屋の扉に背を向けて座っている童磨の背後にずんずん近づいていく。ちなみに作ってきたおじやはスタンディングテーブルの上に置いた。
「おい、貴様」
「へ? あ、猗窩座殿♡」
 くるりと後ろを振り返る童磨に視線を合わせるようにして座り込むと俺は見せつけるように両腕でハグをする。今の言葉はお前に対して言ったものではない、そのスマホの液晶に居座っているお前の貴重な時間をドブに捨てている不届き者だということを指し示すように。
 ドヤ顔で唾を飛ばしそうなくらいに愚痴を吐いていた男の十人以下並みの顔がポカーンとした様子になる。もはやそんな男の存在など忘れたかのように童磨が『わあ、猗窩座殿の特製おじやのいい匂いがするぅ♡』と無邪気に子供のように喜んでいる顔は本当に愛い。
「ああ、だが食べるのはもう少し待ってくれな?」
 きょとりとした童磨の肩を抱きながら俺は眉をハの字にしかめると相手の男に舐められないようにメンチを切りながら、かつての上弦の参の頃を思い返しながら徐々に闘気を練り上げていく。
「いい加減にしろよ弱者が? 貴様のどうでもいい泣き言に、具合の悪い俺の童磨を付き合わせた挙句、貴重な時間を溝に捨てさせることは罷りならんぞ!!」
 多分、今の俺は上弦の参以上の鬼と化していただろう。童磨の前でそう言った姿を見せるのはどうかと思ったが、此奴は「だって頭の弱い人は放っておけないだろ」とホイホイ自分の具合が悪くても悩める豚共を引き寄せてしまうのだ。恋人の俺がガッツリ釘を刺しておかなければ一体誰がこのお人よしの身体を慮ってやれるのか。
 これ以上往生際悪く童磨にくだらない愚痴やら話を聞かせるのであれば今晩夢の中に忍び込んで最終奥義の青銀乱残光をぶち込んでやってもいいいだがなと言外に凄めば、電話の男は情けない声を上げて速攻で切った。
「ありがとう、猗窩座殿」
 童磨を背に庇うようにして座っていたため、つんつんと背中をつつかれながら礼を言われる。振り返ると予想通り熱で上気した童磨の姿がそこにあった。
「全くお前は…。あんなくだらない男の言うことなんか早々に切り上げればよかったのだ」
「ん、でもなぁ…。俺もあの人に代替え頼んじゃったしなぁ」
「それはそれ、これはこれだ。大体あの男はお前が具合が悪いことを知っていたのだろう? 知っていたのにあんなにグダグダグチグチ自分の都合ばかり優先するなど、男の風上にも置けん奴だ」
 ふんすと鼻息を吐きながらそう言い切ると、童磨はうーんと考え込む。そこがお前のいいところでもあるのだがこんな時くらい自分を、そしてお前を心配する俺を優先させろという意味を込めてこつんと額をくっつけ合う。
「…お前の看病をするのは苦ではない…。だがお前が体調を崩すのは俺は悲しい…」
「猗窩座殿…」
「お前だって俺のこと色々心配して看病してくれるだろう?」
「そうだけど…、猗窩座殿だって汗をかけば早く治るって腕立て伏せとか腹筋とかやってかえって病気を悪化させたこともあるし……」
「う゛…っ、そ、それはそれ、これはこれだ」
「なにそれー、ずるいなぁ」
 くすくすと笑い合う童磨に俺はばつの悪そうな顔する。いや、だって実際に寝ているのは退屈なのだ。そんな暇があるなら筋トレをして少しでも良くなる努力をして童磨の負担を軽くしたいと思うのは惚れた者の配慮として当然のことだろう。
 だがやはり筋トレ後にぐったりしてしまうのは余計な心配をかけてしまうか、ううむ…と考え込む俺に童磨はピッタリと身体を寄せて来た。
「まあいいや。俺はそんな猗窩座殿が大好き、なんだから」
 そう言いながらちゅっと頬にキスをされる。俺は頑丈なのだから唇でもいいだろうと思わないでもないが、ただでさえ弱っている愛する者のキスに文句を言う方が無粋というヤツだ。
「あ、ねえねえ。それよりも猗窩座殿が作ってきた特製おじや! 早く食べたいなぁ」
「あ、ああそうだったな」
 布団の上からわずかに離れたところにあるヨギボーにローテーブルを移動させて童磨をそこに座らせた後、木製トレーをテーブルの上に置く。土鍋の蓋を開けるとふわりとした湯気が湧きたつ。
「わ、美味しそう♡ 何が入ってるの??」
「肉団子と白菜と白滝と人参とエリンギだな。塩で味を付けているからあっさりしているぞ」
「ホント美味しそうだなぁ♡ありがとう猗窩座殿」
 そう言って土鍋の前に置かれている匙を手にしようとする童磨より先に俺はそれを手にする。
「ん?」
「ん」
 小首をかしげる童磨の前に作りたてのおじやに匙を差し入れ、肉団子と白菜と軟らかく煮た米を軽く冷まして恋人の口元に突き付ける。
「食べさせてくれるのかい?」
「ああ、お前さえよければだが」
「いいに決まってるじゃないか! ありがとう猗窩座殿」
 大好き…と甘やかに告げられる童磨の表情を見た俺の胸は相変わらず馬鹿正直にとくりと高鳴る。
「俺もお前が好きだ」
 そう言って口元におじやを突きつければ、ぱくんっと嬉しそうに食べてくれる姿が愛しくてたまらない。
「ん、本当に美味しいね♡」
「まあな、お前への愛情をたっぷり詰め込んだからなぁ♡」
「ふふ、本当にそういうところが好きだなぁ」
「何を言うか。俺の方がたくさん好きだぞ?」
 そんな風に笑い合いながら俺は童磨に餌付けをするようにおじやを食べさせていく。
 こんな穏やかな会話もきっと薬になるのだろう。きっと早く良くなってくれるはずという想いを抱きながら時折味見をしながら、恋人のために作った特製おじやを全部童磨に食べさせ終えた。
「ふぅ美味しかった♡」
「それは何よりだな」
 土鍋を洗ってこようと立ち上る俺を上目遣いで見つめてくる童磨が可愛らしくてたまらない。その視線一つで彼が何を言おうとしているのか分かるほど傍に居続けられて嬉しくて仕方がない。
「ああ、わかったわかった。お前が寝るまで一緒にいるから」
「本当?」
「俺の頑丈さを見くびるなよ??」
 そう言いながら今度は額にキスを落とせばくすぐったそうに童磨は笑う。
 果たして速攻でキッチンへと戻り土鍋を洗って童磨の部屋にとんぼ返りした俺が目にしたのは、腹がくちくなりヨギボーの上でうつらうつらしている無防備で可愛らしい恋人の姿で。
「…きっと、すぐよくなる」
 そう言いながら布団に寝かせてすうすうと寝入る童磨の唇に親指を乗せ、その上からキスを落とすのはそれから3分後のことだった。

 

今年の二月下旬に某流行病に罹った際に思いついた話\(^0^)/マジで声が出ないのに電話かけられてきてこの野郎と思いつつ、猗窩童脳に切り替えたことでどうにか乗り切ることができました。
ちなみに副題は『俺の童磨の時間を無駄にするやつ絶対殺す上弦の参マン』です\(^0^)/

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