風邪を引いて声が出なくなった口達者な座殿にどまさんがある提案をする話 - 1/2

 平素の猗窩座の声はほんの少しだけ高い。声変わりをする直前の少年を思わせるようなハイテノールの心地が良い声で話しかけられるのが童磨は好きだった。
 だが先日からそんな密かな童磨の楽しみはお預け状態になっている。なぜならば。

「あーかざどの♪」
 コットン素材のシンプルなデザインのピンクエプロンを身に着けた童磨が、同じ屋根の下ながら数日前から別室で寝泊まりをしている猗窩座の元にトレーを持ってやってくる。
 猗窩座はぼんやりと胡坐をかきながら窓の外を眺めていたが、童磨の言葉にパッと顔を輝かせると口をパクパクと動かした。
『どうま』、声なき声でそう言ったのが分かる。
「おじや、作って来たよ。食べる?」
 童磨の問いかけに猗窩座はまたもや口だけを食べる食べると動かしながら、ぶんぶんと肯定の意で頭を縦に振ってこたえると、胡坐を崩してベッドの端に足を卸して、サイドテーブルを自分の前に引き寄せにかかる。
「おまちどおさま♡」
 氷雨軒でーす♪と戯けたように声を掛けながら童磨は用意されたサイドテーブルの上にトレーを置くとそのまま猗窩座の隣に腰を下ろせば、待ってましたと言わんばかりに猗窩座が腰に両腕を回してぎゅっとしがみつく。
「おっとおっと…、もぅ、猗窩座殿は甘えん坊さんだなぁ」
 そう言いながら童磨の手が猗窩座のブーゲンビリアの色の意外にも柔らかな髪を撫ぜると、もっとやれと言わんばかりに目を細めながらぐりぐりと掌に頭を押し付けるように動かしてくる。
 そう、ここまでの間、猗窩座は一言も声を発していない。それもそのはずで、今彼は絶賛風邪を引いて喉をやられてしまっている最中なのである。


 最初は金玉きんぎょくのような声がガラガラとしたものに変わったなという違和感だった。だが、どうま、と愛しそうに自分を呼ぶ声が苦しそうな顔とともに吐き出されるのを聞いた童磨は早々に猗窩座に声を出さないようにと促した。
『声が出ないなら無理しないで』と童磨はベッドの上に顔を顰める猗窩座の手をそっと取って訴えた。
『しばらくは声を出さないほうがいいよ? 喉痛めちゃってるときに話すのしんどいの分かるよ』
 その言に猗窩座は小さく頷くものの、それでも少ししょんぼりとした寂しそうな顔を見た童磨の胸はちくんと痛んだ。
 猗窩座は元来話好きであり、自分の懐に入れた人間に対しては饒舌になる性質になる。〝昔〟は自分はその対象ではなかったから知らなかったが、生まれ変わって親友として付き合いそして恋人となった過程の中で、もしかして自分以上に彼は話好きなのでは?と童磨は思ったくらいだ。
 〝昔〟は童磨が10話しても0しか返してこなかった猗窩座が、今では童磨が5話せば6話してくれるというくらい会話がポンポン弾んでいる。他愛のないもの、真面目なもの、そして愛を紡ぎ合うもの等、それらはお互いの声や最後に限っては身体を駆使して交し合い続けてきた。
 そんな毎日を過ごしているからだろう、〝昔〟の分まで童磨に愛の言葉と話をしたい猗窩座が回復するまで声を出せないとなると落ち込むのは当然のことであり、それが分かってしまうからこそ童磨はチクチクとした罪悪感に駆られてしまう。
(うーん…、そういう顔されたらなぁ…)
 だが一番大事なのは猗窩座の体調だ。猗窩座が与えてくれた愛情を土壌に童磨もまた同じくらい深く猗窩座を愛している。そんな相手だからこそ少しでも早く良くなってもらいたいと思うのもまた当然のことであり、いくら愛を伝えたいと無言で訴えかけてきてもおいそれといいよいいよとは言い難い。
 愛情と甘やかしは違うとは分かっていても、できるだけ猗窩座の望むことを叶えてあげたい。
「あ、そうだ」
「?」
 ぽん、と丸めた右手を広げた左手で叩いた童磨に猗窩座はきょとりとした表情を見せる。
「猗窩座殿、ちょっと待っててね」
 とあることを思い立った童磨が猗窩座の額に、大人しく待っていてねのキスをちゅっと落として隣から立ち上がる。病は人の心を弱らせてしまうので、常に童磨とくっついていたい猗窩座はそのまま後を付いていこうと思っていたが、童磨が与えてくれたキスに免じて大人しく待っててやろうと唇を落とされた額を愛しそうに撫でながら座り続けていた。

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