◆作者のこだわりに当てはまっていない◆
作者である小峠先生はキャラA(複数の場合もある)がキャラBを嫌いな場合、Aに対して『嫌いだ』と原作できちんと言わせている傾向にある。
例その① 無限列車編にて猗窩座と対峙した炎柱・煉獄杏寿郎の場合。
「君と俺が何の話をする必要がある? 初対面だがすでに俺は君が嫌いだ」
引用:8巻第63話:猗窩座(1))
例その② 赤い月の夜に黒死牟が双子の年老いた双子の弟の縁壱と対峙し、彼を斬ったシーン。
「もうやめろ、私はお前が嫌いだ」
引用:20巻第178話:手を伸ばしても手を伸ばしても
例その③ 感情が無いことを指摘され無表情になった童磨に対しカナヲが言った台詞
「分からないの? 貴方のこと嫌いだから」
引用:19巻第157話 舞い戻る魂
番外:蟲柱の胡蝶しのぶが水柱の冨岡義勇に対して放った台詞
「そんなだからみんなに嫌われるんですよ」
引用:5巻第43話地獄へ
これらから分かるように先生はきちんと嫌いであることをキャラクターに直接口から言わせているなりモノローグで語らせている。
対して猗窩座は童磨に対し嫌いだという言葉を吐いたりモノローグで語ったことはあるだろうか?
答えは否である。
先述の通り、肩に腕を回して絡んできた童磨に対ししばらく放置した後「腕を退けろ」の後に頭を吹き飛ばす。
その後、所謂上弦会議の後、上弦の伍であり友人である玉壺に「情報とはなんだ? 俺も行きたい」と訊ねてくる童磨の頭に後ろから蹴りを入れ、「無惨様がお前に何か命じたか?失せろ」という台詞を猗窩座が言う。
それ以降、猗窩座から童磨に対してのリアクションはなく、これ以外にに彼らの絡みはない。
そしてこの中で、猗窩座からお前が嫌いだという言葉やモノローグは一切出てきていない。
本当に嫌いであれば猗窩座の口から俺はこいつが嫌いだ等のモノローグや台詞を言わせてもいいものなのに、原作全23巻の間にそう言った台詞やコソコソ話は一切出てこないのである。
そのため「童磨が猗窩座を一方的に友人認定していてそんな童磨を猗窩座は嫌っている」という解釈に占められているが、それに対して「いやいや、猗窩座は童磨を嫌いだなんて言うモノローグや言葉は一切出てこないから、あの態度は過激で度が過ぎているけど彼なりのスキンシップなんだよ」という解釈も十分できる。
これらがスキンシップ?と思うなかれ。実際鬼は切られても再生するため日輪刀で首を落とされるか日光にあぶり出されない限り絶命しないので、猗窩座のあの対応は鬼である童磨に対しスキンシップとして普通に通用する。
以上が原作から読み取れる、猗窩座は童磨を嫌っていないという根拠である。
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