◆鬼殺隊見聞録・壱からの考察◆
前ページまでは原作のみからの考察であるが、鬼殺隊見聞録・壱からも考察していこうと思う。
まず鬼殺隊報というページにて、水柱である冨岡義勇を嫌っている柱は誰かという質問に対し「蛇柱と風柱」という答えが書かれている。
そして同じく鬼殺隊報の中で、我妻善逸の女性の好みについて書かれているページがあるが、そこには「アオイのような、ガミガミ学級委員タイプは苦手なようです」とも書かれている。
このようにこの鬼殺隊見聞録・壱からも小峠先生が嫌いな相手や苦手な相手に対し、嫌い・苦手と述べるスタンスであるということは十分読み取れる。
ではこの本に書かれている猗窩座と童磨の情報はどうであろうか?
猗窩座の童磨への感情は「そりが合わない」「自分がいくら手をあげても意に介さない態度に苛立っている」と書かれているのみであり、嫌いだという言葉は一切出てこないのだ。
そりが合わないのと苛立つという感情はイコールで嫌いには結びつかない。
そりが合わない #weblio
そしてそりが合わない相手でも何故そりが合わないのかをきちんと理解をすれば心理学的にも親友になることは可能であるのだが、その件についてはここでは割愛する。
更に”惡鬼新報”内に書かれている童磨に対する「他の上限とは仲が良い?」という質問に対し『本人はみんなと仲良しだと思っていますが、周りがどう思っているかはわかりません』のみに留められている。
ここでもし本当に猗窩座が童磨を嫌いであるのなら、小峠先生のスタンスから考えると『ただし猗窩座は童磨のことが大嫌いで仕方がないようです』等の一文がつけられてもおかしくないが、そういった類の文言は一切ない。
◆鬼殺隊見聞録・弐からの考察◆
では鬼殺隊見聞録・弐ではどうか?
この本では柱の相関図が話題になったので今更言うべきこともないだろうが、ここでもしっかりと各々が同僚に抱く印象が余すところなく描かれている。
嫌いな理由も細部まで書かれている他、何故あのキャラがあのキャラを好ましく思うのか等も書き込まれているため、小峠先生がキャラ同士に好き・嫌い・苦手という感情をはっきりさせたいというタイプであるということは確立する。
そのことを踏まえて猗窩座と童磨の関係性を見てみても、やはり猗窩座から童磨に対し嫌いだ苦手だという文言は一切見当たらない。ちなみにこの本で明らかにされた視覚共用や脳内対話があまりにも煩くて無惨に遮断してもらったとは書かれているが、そこに『大嫌いな童磨からの』等といった童磨を明確に嫌っている表現はここでも見受けられない。
また、無惨の視点からの童磨の評価について『他の鬼からも少々煙たがられていたようだ』と書かれているが、ここでも嫌いという言葉は一切出てこない。他の鬼ということは当然猗窩座も入っているのだから、もしも本当に猗窩座が童磨を嫌いなのであれば『他の鬼には少々煙たがられ、猗窩座からは完全に嫌われていた』等の文が入ってもおかしくはない。
ちなみに煙たがれるという言葉もイコールで嫌いとは結び付かない。
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