ある秋の既視感 - 1/2

「しかし、凄い量の本だな…」

秋のある日、狛治は童磨の家へと赴いていた。
というのも童磨が風邪を引いて寝込んだ際、彼の妻である恋雪が差し入れを持っていったことがきっかけとなり、それ以来狛治は何となく男の本能で独りになりたいときにこの家に来ていた。
もちろんそれを素直に認めるのは癪なので、意外にも童磨は自分のことには無頓着になるので生存確認も兼ねてという建前をつけてだが。
そんな狛治の訪問を童磨は喜んで迎え入れた。何にする?お茶しかないけどと言いながら、庶民からすれば少しお高いお茶とお茶請けを毎回用意してくるのが心苦しいため、訪れる際は手土産代わりに駄菓子を持参することもすっかり習慣化していた。
そんなこんなで今日も狛治は童磨の家に訪れたのだが、通されたリビングに設置されているウォールシェルフを眺めながら冒頭の台詞を呟く。
「そうかな? これでも結構減らしたんだけど」
「マジか!?」
「マジマジ」
カタカタとパソコンで作業しながら視線をあげずに答えた声につられる形で再度狛治は思わず本を眺める。
適度な間隔を空けてでシェルフに詰め込まれた様々な類の本。心理学や脳科学を始め、国内外で起こった残酷な事件や未解決事件をまとめた書籍、世界各国の歴史や文化、スポーツの他、スピリチュアルや宇宙の真理など多岐に渡る。その量は十畳ほどある壁の端から端までズラッと並べられており、四段重ねのシェルフにきっちりとジャンルごとに並べられていた。
「だって今は電子書籍もあるしね。限られた空間は有効に使わないと」
そう言いながらかたん、とエンターキーを押す童磨を一瞥した狛治は今度はぐるりとあたりを見渡す。
本棚の他にある物と言えば、デスクトップパソコンとそれに関係する機器、そしてこぢんまりとした観葉植物が一点。更に言えばティーテーブルとスツールくらいのモノだった。
広い部屋だからその物の無さが気になった狛治だが、物はあればいいってもんじゃないんだよと童磨は苦笑する。
「そうなのか?」
「うん、幸せって言うのは確かに人それぞれなんだけどね。多くの人の場合買い物をするときに購入した幸福感って言うのは、欲しくて欲しくてたまらないという苦痛から解放されたまやかしの幸せにしか過ぎないんだ。だから手に入れたそばから新しい物が欲しくなって、結果物に溢れても幸せにはなれない」
本当に幸せになりたいのならまず無駄なものを買わないで自分に必要かどうか自問自答するのが鉄則なんだよと笑いながらそう答える童磨に狛治はなるほどなと感じる。その法則に当てはめて考えれば、自分は童磨にとって必要な人間であるのか…と少し心がこそばゆくなる。
「後はね、運動して学んでたっぷり睡眠を取れば、人は色々なパフォーマンスが上がることが科学的に証明されているんだ。だから手っ取り早く幸せになりたかったらこれらを徹底することかな」
くすくす笑いながらそう言った童磨に、狛治は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になった。なぜならそれは自分も徹底している当たり前すぎることなのだから。
「そんなことでいいのか?」
「そんなことで良いんだよ。特に〝今〟はね」
なんだか含みを持たせた言い方に少し引っかかりを覚える狛治に構わず、童磨は居住まいを整えて更に言葉を紡いでいく。
「こんな当たり前のことを、幸せを追い求める人は出来ていないんだ。こんなことで幸せになれるはずなんか無いって端から決めつけて、やろうともしない」
「…それをその気にさせるのがお前の仕事、というわけか?」
「ん、まあそんなことなんだろうね」
間接照明に照らされて笑う童磨の顔は少し大人びているように見えた。
「狛治殿だって今は手芸部だよね? 俺と出会った頃は武芸で体を鍛えていたけれど、今は今で上手くいっているんだろ?」
「あ、ああ…まあそれなりに」
いきなり出会った頃の話を振られて思わず狛治はどもってしまう。あの頃は色々と破ることに傾倒していて、その最中に童磨と出会わなければどうなっていたのか分からない。もしかしたら今も猗窩座を名乗ってヤンチャをして、下手をすれば恋雪に見限られていたかもしれないと思うとぞわっとしたものが背筋を駆け抜ける。
「狛治殿が手芸を始めたきっかけが何であれ、続けられているっていうことはそれが好みのものであって習慣化されているんだ。人はさ、何だかんだで習慣化される生き物だから、幸せになりたいっていう人は不幸せな習慣を長いこと積み重ねているのと同じなんだよね」
だからこそ不幸の悪習を上書きする意味でも幸せになるための習慣をつけるには二カ月は続けないと実感は出来ないのだと続けた童磨に狛治は思わず舌をまろがす。胡散臭いとばかり思っていたがなるほどどうして説得力がある。それでも法外な値段で消しゴムやら水やらを売りつけることには同意するのは難しいが、竈門炭次郎がでっち上げた嘘の相談を真剣に受け止め、居もしない娘と話し合ってみると言わしめた話術は本物であるのは否めないし、彼も納得して幸運の消しゴムを購入していた。
「…流石はハピネスアドバイザーだけあるな」
「え、狛治殿が俺を褒めるなんて明日は槍が振るんじゃ、いでっ」
「一言余計だ。俺だってお前が相手でも素直にいいところは認めるぞ」
デコピンを見舞いつつさらっと本心を吐き、本棚に向き直った狛治を童磨はポカンとしながら見つめていたが、やがてじんわりとした温かなもので胸が満たされていく。

────…狛治殿、本当に変わったなぁ。

初めて出会った頃の彼はまるで狂犬だった。猗窩座という所謂厨二ネームを名乗り、雑魚たちをボコボコにした彼を童磨はどうしても放っておけなかった。無意味に人を傷つけるよりも人を助けることを彼に教えたい。だって俺は優しいから、〝昔〟みたいな彼を見るのはもう…、

「あれ?」
「どうした?」

そこまで思考を巡らせて童磨ははたと我に返る。〝昔〟ってなんだっけ?狛治殿と出会ったのはあれが最初のはずなのにと頭を振りながら自分の思考の混濁を整理していると、シェルフの中から一冊の本をを手に取りながら狛治は童磨の元へと戻ってくる。
「ううん、何でもない…、あ、狛治殿それ…」
「おう、悪いけど借りるぞ」
「うん、良いよ」
狛治が持ってきた本を目にして童磨は虹色の瞳を丸くする。
その本は半ば都市伝説として語られてきた、一晩で67人もの道場の門下生が惨殺された江戸時代にあった未解決事件を元にして書かれた小説だった。
童磨も一度それを目にしたことはあるが、その動機は隣に住む道場の跡取り息子に愛する者を毒殺された一人の男の憤怒の情であり、犯人の息がかかる者全てを許せずにその拳を振るって血に染めたという。
そこまで人を愛せることが羨ましいと感じると同時、何故か女中を取り逃がしているあたり、もしもこの女中が跡取り息子、もしくは犯人の男に横恋慕をしていて毒を井戸に投げ入れるように唆していたら、67人の巻き込まれた門下生たちは勿論、犯人の男も道場息子も報われないなと思い、これ以上読むまいとして閉じたままの物だった。
そこから先の男の行方は杳として知れない…という無難なナレーションで終わる良くも悪くも普通の作品で今まで存在すら忘れていた本だ。たくさんの本を繰り返し読んで知識を仕入れては書店へ売却し、また本を新たに買ってそれと同時に新たな知識をインプットするスタンスの童磨にしてみればそれは珍しいことだった。
早速腰を下ろして真剣に読み進めている狛治の隣で再び童磨は資料を作成する。キーボードを打ち込む音とパラパラと本をめくる音が静かな部屋に二重に響いていく。
「ねえ…」
「あ?」
おおよそ数分後、童磨はふと狛治に声を掛ける。
「その本、面白い?」
「ああ、まあな」
本から顔をあげずに食い入るように読んでいる狛治に童磨は意外だなぁと思う。
まあ別に自分たちは考え方が似ているわけではないというのは分かっていた。自分がどうにもいまいちで存在すら忘れる本を彼が面白いと思うのはあり得ることだが、童磨はそういう意味で意外性を感じたのではない。
「狛治殿、本読むんだねぇ」
「おい、どういう意味だ?」
「あ、聞こえちゃった?」
ニカーッと歯を見せて笑う童磨に狛治は拳を握り締めて振りかざす。しかし実際には殴りはしない。これは男同士のじゃれ合いのようなものだ。
「わー!暴力反対!」
そう言いながら両腕でガードして笑う童磨の頭にパシンと軽い裏拳を叩きこむことに成功した狛治は、読みかけていた本をぱたんと一度閉じる。
「…〝今度〟は…」
「え?」
「〝今度〟は絶対に間違えない」
「狛治殿…?」
「親父も、師範も、恋雪さんも、…そしてお前も」
風邪を引いて倒れたいつかのように、狛治の声ともう一つの声が重なって聞こえる感覚。ハッとしてそちらを振り向くと本に目を落とす狛治とは別に、彼の暗黒時代である猗窩座としての姿ではあるがどこか違和感を覚える少し透けている幻影が何かを決意したようにこちらをまっすぐに見据えていた。
『「〝昔〟みたいなことには絶対にさせない…」』
『今度こそ俺はお前を…』
「あ……」
幽体離脱のように短すぎる桃色のチョッキと白い裾を絞った形のズボンを履き、藍色に染まった指先をこちらに伸ばしてクシャリと頭を撫でる。
「っ…」
「…って、俺は何を…って、童磨?」
ふ、と〝猗窩座〟の幻影が消えたと同時、自分が何を言ったか理解していないような狛治が、生まれつき白橡の髪の頭頂部にある真紅のメルト柄を抑えている童磨を目にして怪訝そうな顔をする。
「お前、どうした?」
「いや、その…」
今の光景を、彼であって彼でない言葉をどう説明すればいいのかわからずに言い淀んでいると、狛治は本を持ったまますっと立ち上がった。
「狛治殿?」
「そろそろ帰る。お前、仕事中だったよな。長居して悪かった」
「あ、いや…うん」
別に気にしなくてもいい、とか、寂しいからもっといてくれていいんだよとか、何なら泊まっていくかい?という言葉は出てこなかった。
この前に続いて二回目。持ちえないはずなのになぜか胸がざわつく記憶に内心翻弄されながら、童磨は狛治を見送るために玄関先へ共へ向かう。
「あ、恋雪ちゃんにお礼言っておいて。美味しかったよって」
「ああ」
「何ならもっとしあわせ水をいらないか「却下」冗談だよ」
へにゃりと眉を下げて笑う童磨を見つめつつ、狛治も内心で奇妙な感覚を覚えていたが、ふと自分の手に当たり前のように持っていた本に気づきそれを返そうとする。
「あ、それ、良かったら貰ってくれないかな」
「は?」
「俺も狛治殿が見つけるまで買ったこと忘れてたんだよねぇ」
「…お前やっぱり無理重ねてるんじゃないのか?」
何がハピネスアドバイザーだという言葉はすんでのところで飲み込む。他人の幸せを優先する悪癖は〝昔〟と何も変わっちゃいない。
(…? 俺は一体何を…)
自分の頭の中に浮かんできた考えを頭を振って否定する。童磨が己に更生を持ち掛けてきたときは、町内のボランティア活動が中心だった。幅広く手掛けているというだけあって、様々なところに顔の利くコイツの口利きで花植えや街のクリーン活動といったものを行い、そしてようやく力の使いどころを学ぶことができたのだ。そのことについては感謝してやらなくもない。 だから童磨が自分の身を顧みずに他人を優先することを悪癖だなんて思ったことは無いしこれからもない。なのにどうして。
「やだなぁ、大丈夫だよ。流石に懲りたし親友とその奥さんに心労をかけさせるなんて優しい俺はしたくはないからな」
「よく言う」
おどけた様子でそう話す童磨に狛治もようやくホッとして笑う。
「じゃあこれ、有難く貰うな」
「うん、貰ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
そんなやり取りをしながら狛治は靴を履いてドアに手をかける。
「じゃあな」
「うん、また来てね」
バイバイと手を振る童磨に狛治も片手をあげてノブをおろして扉を開けた。
夕日が入ってくる廊下の眩しさに狛治は目を細める。そしてそんな狛治の後姿に重なるように、先ほど見かけたかつての猗窩座であった頃の後姿が溶けるように重なるのを見た童磨は、思わず手を伸ばしかけるがその寸前で扉は閉まることとなった。
「…なんで…」
独りになった玄関先で童磨は呟く。
「…あなた・・・は、もういないんじゃ…」
小声で呟いたその言葉はほとんど無意識のうちに出てきたものであり、それが何を意味するのか、今の童磨には皆目見当もつかなかった。

幸せになる本云々は、こちらの動画で紹介された本を参考にしてます。

https://youtube.com/channel/UC9V4eJBNx_hOieGG51NZ6nA

実際読んでみると人が幸せになるには物欲を減らすのが共通項目なんだなという印象で、執着心が少ないどまさんにしたらハピネスアドバイザーは天職だと思います。あとはよく寝て学んで運動するということ。なのでどまさんが狛治殿に押し売りをしなかったのは彼がもう幸せであることをこういう意味でも理解していたからだと思っています。勿論恋雪ちゃんも♪
ハピアっていう肩書はこういう本からの知識をインプットして、実際に自分で行って効果があったから勧めているというのもあると思う。ていうか実際本から得た知識を落とし込んで自分の言葉で発信するビジネスは横行しているし、それを機に人生変えた人は私を含めてたくさんいます。ハピアが詐欺ならこういうビジネスやってる人だって詐欺だって理屈になるから、私の中ではハピアも本編も詐欺師という肩書きは頭に他称が付くと判断してます。

あとどまさんが未解決事件やら残酷な事件やらの本を集めているのは、前者は単なる趣味で後者は洗脳とマインドコントロールの本質を知るためにだったらいいなと思ったり思わなかったりしてますw

 

次ページはやけに長ったらしい考察めいたものになります。

特に読まなくてもいいです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です