その頃猗窩座も仕事帰りに立ち寄ったケーキ屋で童磨のためにアップルパイタルトを購入していた。
「アイツ、美味そうに食ってくれるからな」
アップルパイが入っている白い箱を片手に歩く、鼻歌を歌い出しそうなほどに蕩けた笑みを浮かべながら恋人を想う彼の表情に見とれる女性がチラホラいるが、脳内を童磨で占められている猗窩座は全く気づいてはいない。
まくまくと幸福そうな顔をして、お土産として買ってきたものを美味しそうに、実際美味しいねありがとうと言いながら食べてくれる姿を見るのはもはや猗窩座にとって至高の幸福でありルーティンワークでもある。
猗窩座殿のお土産はとても嬉しいんだけど、最近お陰でまた胸が大きくなってしまったのは考え物だなぁとぼやいてもいたが、脂肪一塊さえ恋人の一部であることには変わりはない。むしろ胸ならなおのこと大歓迎だと、先程とは少し違った種類の笑みを浮かべる猗窩座に、見とれていた女性たちは何かヤバいものを見たと察してそっと目をそらしていた。
食べた物が腹に付かずに胸にいく体質の恋人のそこを夜ごと何度可愛がったことか。夜だけでは飽き足らず昼間も顔を埋めて魅惑の柔らかさと温かさを堪能するのも至福の幸福の一つだが、あまりにも育ちすぎた場合、揉んだり吸ったりするのを禁止されたら元も子もないので、その辺の様子を見計らう必要もあるがそれもまたいい。
童磨の幸せそうな顔を見るとこっちも幸せになれる。尽くされた分だけ同じくらいに尽くしたい。幸福は貯めておくことが出来ずに毎日リセットされる、云わばたんぱく質と同じ類いのものなので、毎日コツコツ積み重ねていく必要がある。だからこそ毎日童磨と共にいられること、彼を喜ばせることはそのままそっくり自分の幸せに直結していくことを猗窩座は生まれて初めて心から理解することができた。
「もう帰ってきてるといいが…」
羽が映えたかのような足取りで着く帰路は近いようで遠く、ほんの少しもどかしい。だがそのもどかしさも、このアップルパイを渡して笑顔で受け取ってくれる童磨を見ることが出来る幸福の満足度を上げてくれるものだと想えばなんてことはない。
幸福は、一方が搾取されるものでもするものでもない。
お互いがお互いを想い合い、愛し愛され思いやり、満たされた気持ちになれること。
そんな風に想える相手を今生で見つけ、そして見つけてくれた童磨に猗窩座はありったけの感謝の気持ちを募らせながら、マンションのエントランスにたどり着く。
そうしてお互いがお互いを想い買ってきたお土産を見て笑い合い、恋人は共に居ると似てくると言うのは本当だということが証明されてますます愛を深め、幸福を募らせる夜は始まったばかりだった。
・尽くされるよりも尽くす方に幸せを感じる
・相手にプレゼントを贈る
・当たり前のことに感謝して、ありがとうと口に出す
一見するとこんなことを真面目にやってて幸せになれるのかと思うようなことですが、実際私はやってて幸せになってますので効果は絶大です。
なので、猗窩童にも幸せになってもらいたいので今回この話を書きました。
というか拙宅の猗窩童は記憶ありで親友から恋人になっているので、特に座の場合は〝昔〟と同じことを繰り返すのは愚の骨頂だと理解してます。だからこそ相手に向かってきちんと感謝や愛の言葉を口にする。
本当の強者は自分の気持ちをまっすぐ相手に伝えることだと私は思いますね。
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