どうしようもない虹にツキが巡ってくる話 - 4/5

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さて、恋人と別れたのはいいが、差し当たってこれからどうしようかと童磨は考える。
そもそも自分と巌勝はどういう関係なんだろうかとこのとき初めて童磨は考える。
彼とは元がつく恋人から腹パンを貰い蹲っているところで出会った。そこから近況報告を一方的にまくし立てていたら、巌勝から自分ならこのような扱いはしないと言われキスをされた。
それから何度か元恋人から手酷い扱いを受ける度に彼が現れキスをされ…そんな関係だった。
巌勝から付き合おうとも言われたわけではないし、童磨も童磨で彼とのキスが気持ちよくて元恋人との関係に違和感を覚えたから別れたまでだ。
ともすればもう巌勝は自分の前には現れないのではないか。彼は元恋人に痛めつけられたときにしか現れなかったのだから。
「まあいいか」
それでも童磨は前向きに考える。巌勝から与えられたキスの心地良さに求められる気持ちよさを知ることができた。そして元恋人は嫌々ながらも付き合ってくれ、自分に対して誠意を見せてくれた。それだけでも立派な収穫だと考える。
元恋人にかまけていた時間の分、自由な時間の増えた童磨は、とりあえず新たな知識をインプットしようと図書館にでも向かおうとした。

────…知らなかった。

街並みを歩きながら童磨は人知れず感嘆する。

────…こんなに周りの風景って色鮮やかだったんだな。

先日のグレースケールの世界から一点、様々ものがいつも以上にキラキラして見えて童磨は内心戸惑いを隠せずにいた。

立ち並ぶ店の数々は、見る者の目を工夫するような色合いを成しており、季節にピッタリな花の香りや美味しそうな焼き菓子の匂いが辺りから漂ってくる。
昔ながらの佇まいの書店には話題の文庫本が並び、見る者を引き付ける煽り文句が書かれている。

そのどれもが童磨の虹色の目に新鮮に飛び込んでくる。初めて通った場所でもないのにも関わらず、まるで知らない街に迷い込んだかのようだった。

────…ああ、そっか。

今まではずっと自分は元恋人の方ばかり向いていた。幾分か背の低い元恋人は滅多に顔を上げてはくれず、目にするのは捻くれた旋毛が殆どだ。
こっちを見てよと言わんばかりに肩を抱けば、ギッと眦を吊り上げて睨みつけられる。それでもこちらを向いてくれたことが嬉しくて、童磨は思いつくままの話題を投げかけるも、元恋人はうるさい黙れ喧しいと吐き捨て、またそっぽを向いてしまう。
だから気が付かなかったのだ。いつも歩いている道がこんなにも色彩や匂いに溢れていることに。

周囲を行き交う人からすればこんな光景は当たり前のものなのだろう。だけど童磨は今初めて知った。こんなにも世界は瑞々しさで溢れていることに。
『ふふ』
そしてそれを気づかせてくれた巌勝に会いたくてたまらなくなった。
そこまで考えたときふと童磨は思った。そうだ、会いに行っても良いんじゃないかと。なにかと自分を気にかけてくれた巌勝には恋人と別れたことを伝えても良いのではないか?
あれだけ心配してくれたのだから、もう解決したことに心を揉ませてしまうのは心苦しい。自分も優しいけれど同じくらいに優しい彼に安心して欲しいと童磨は光に溢れた町を駆け出した。

巌勝の家は何の変哲もないマンションだった。
遠くから見えたので駆け出していく童磨の目に入ったのはその件のヒトである巌勝と、彼に比べると小柄だががっしりとした体格の黒髪の男の後ろ姿だった。
それを見た童磨は浮き足立っていた気持ちが萎んでいくのが分かる。

あ、そっか…。
俺だけじゃなかったんだ…。

そりゃそうだよね。巌勝殿は優しいし格好いいから、俺以外にも親切にしてあげるよね…。

忽ち意気消沈してしまった童磨は、くるりと今来た道を引き返す。何となく、これ以上は巌勝と黒髪の彼を見たくなかったから。

キラキラした風景は、少しだけフィルターをかけられたようにぼやけて見える。予定もなにも立てていなかったからぽっかりと空いた穴をどう埋めようかと歩きながら考えようとした時だった。

おい、と不躾に懐かしさよりも少しだけ不快に感じる声が背後からかけられる。振り替えるとそこには少し野暮ったさを纏う元恋人の姿があった。
「ああ、久しぶりだね」
おはよう、と挨拶をする童磨に元恋人は忌々しそうに顔をしかめる。久しぶりに目にしたその表情。しかし沸き上がってくるのはかつて感じていたものとまるで違う。
以前まではそんな顔も可愛いなと思っていたが、今は例えようもないざわざわとした感覚だった。
それでも顔に出さないのは童磨の人柄ゆえであろう。にこやかに元気かな?と声をかけると元恋人は更に顔を歪ませながら、彼に対して誠意の欠片もない言葉を並べ立てた。

なぜ連絡を寄越さないのか。
お前がしつこく誘ってこないから、いつ誘いを受けても良いようにあれから予定を入れてなかったのだ感謝しろ。
お前が連れていく趣味の悪い嫌味な成金志向の店で勘弁してやる。

何をどう聞いても言ってる意味がさっぱり分からない言語を並べ立てられる。そしてあれだけ何を言われても、口を利いてもらうだけで幸せを感じていたのに、今はその声がとてつもなく不快なものに感じる。

「……うるさい」

自分でも驚くほど低く冷たい声が出たことに童磨は気づくも、これ以上は聞きたくなかったし、見損ないたくもなかった。

そんな童磨の言葉に元恋人は間抜けヅラを晒すが、侮辱されたのだと受け止めたのか、更なるガラスの雨のような鋭い言葉を見舞ってきた。

折角お前なんかを探しにきたのにその態度はなんだ!
お前がいつきても良いように、他の友人達との誘いも断ったんだ責任を取れ!!

「うん、それは先ほど聞いたよ」
というかお別れしようとあの時言ったはずなのに、お前の顔を見ないで済むと思うと清々すると言ったのはそちらなのに、どうして俺を待っていたんだい?
それをそのまま口に出すと、お前は本音と建前の区別もつかないのか?それだからお前はダメ男なのだと更に加速する謗りを浴びせてくる。これ以上聞いていても時間の無駄だと覚る童磨は、あのさぁ、と元恋人の言葉を遮った。

「俺はもうこれ以上君に拒まれたくないし、君の口からそんな言葉を聞きたくない」

ぐらぐらと揺らぐ胸の内を、それでもかつて大切に想っていた存在を慮るように紡ぎ出した童磨の言葉も、元恋人には馬耳東風であった。

そんなことを言って、いつも許すのはどいつだ?
お前は己にべた惚れなくせに。
お前なんか、己以外の誰が相手をするのだ。

そこまで言われたとき、不意に耳の奥からぷつんとか細い音が聞こえて、心の中が冷え冷えとしてくる。

それは、目の前の元恋人によって傷つけられていた自分を抱き留めてくれてキスをしてくれた巌勝に対する侮辱でしかなかった。

「……黙れ」

先ほどよりも更に低く、底知れぬ冷気を纏う声が出てきた。

「君なんかには分からないよ」

そして今までの童磨なら口にしない言葉が出てくる。

「これ以上喋らないで。君の頭の弱さを俺に曝け出したくないなら」
その童磨の一言に思いどおりにならない鬱憤がたまっていたのだろう。いつものように鉄拳を繰り出そうと元恋人は大きく振りかぶる。
だがその手は童磨の顔に命中することなく、たおやかな拳によって受け止められていた。そんな素振りは付き合っている時に見せなかったので、元恋人は目を白黒させていた。
「ねえ、俺が今まで君のことを受け止めてたのは君を大切に思っていたからだよ」
少し拳に力を込めると痛いぞこのバカ力!と更なる悪態を吐く元恋人を童磨は温度のない冷めた目で見つめていた。
よくもまあ己に対してそんなに暴言がスラスラ出るものだ。よほど俺のことが嫌いだったんだな。でも、それでも。
「俺が君のために考えたデートコースも料理も、買い与えた服やアクセだって、君が喜んでくれるかな、幸せだと感じてほしいからで」
知らず胸の中がきゅうきゅうと痛む。尽くしてやったなんて言うつもりはない。しかしそれだけ元恋人を想っていたことは事実だったし、最後に伝えたかった。
にも関わらず元恋人は顔を歪ませながら『そんなもの頼んだ覚えはない!』『お前のためを思ってやっているとか恩着せがましい』と唾を吐き散らしながら吠えている。挙げ句の果てにお前が喜ぶためとか冗談じゃない、お前を喜ばせるなんて死んでもごめんだとまで言い出した。
爽やかな朝の空気は一転して台無しになっていく。あれだけキラキラしていた景色も馴染みのあるグレースケールへと戻っていく。
周囲の人々が遠巻きに眉を潜めて避けていく中、罵詈雑言を吐き散らし尽くした元恋人がいい加減手を離せと童磨の無防備な鳩尾に向かって蹴りが繰り出された。
(あ…)
まともに食らうのは久しぶりだからきっと胃液を吐いちゃうだろうなぁ、嫌だなぁとぼんやり思った瞬間、童磨の身体と元恋人との間に割って入った大きな黒い影。
「あ、」
「…大事ないか…?」
素早く童磨の手から元恋人の拳を解放させ距離を取らせ、その間に入った巌勝が元恋人の脚を掴み上げていた。
何だお前は!? 俺とコイツとのことにしゃしゃり出て来るなと、醜く顔を歪ませ唾を吐きながら喚き散らす様は正直間近で見たくもない。だがそれ以上に童磨に見せたくない巌勝は童磨を背後に庇いだてるようにして押しやると、件の恋人と対峙した。
「貴様が童磨にしてきたことは全部聞いている」
そう言いながら巌勝はかっちりとしたスーツの懐からB5サイズのファイルを取り出し元恋人に突き付ける。
なんだこれは!?と喚く元恋人に巌勝は先ほどの童磨とは比にならないくらいの、全てを切り裂く冷徹な月のような雰囲気を出しながら淡々と事実を告げていった。
「貴様がこ奴にしでかした暴力の証拠だ」
(え?)
巌勝の言葉にひょいっと童磨は身を乗り出して彼の手の中にあるクリアファイルの中身を見る。するとそこには、確かに自分が彼に受けていた暴力の痕跡が残る写真が幾枚も入っていた。
だが童磨はそれを撮られた記憶はない。いつ、どこでと巌勝との記憶をゆっくりと遡っていく。
(あ)
思い当たる一つの記憶。あれは確か巌勝の家に初めて招かれた日。酷いことになっているからと言われ、腹の傷に手をかざすように撫でてくれたときのことだった。
(まさか、あの時に…?)
確かに腹に手をかざすようにはしていたが、今思い返してみると直接撫でられてはいない。あの時自分は今まさに撫でてくれようとしたと思い込んでいたのだが、その時にこのように証拠となる写真を撮ってくれていたのなら納得ができる。今の世の中、相手に気づかれずこっそりと写真を撮れる精度の高い電子機器はごまんと売っているのだ。頻繁に家へと招かれ手当てをされた際に、こっそりと超小型のカメラで怪我の証拠を自分に気づかれないように撮ってくれていたとしても何ら不思議はない。

自分より上に座していた、上弦の壱である彼ならば。

「それだけではない………。先程の暴言もしかと録音させてもらった…」
ファイルを取り上げようと掴みかかってくるその手を押さえつけながら、器用に巌勝は万年筆型の録音機を再生する。すると先程自分が童磨に吐いていた暴言がそこかしこに響き渡っていく。
遠巻きに一部始終を目撃していたやじ馬たちも改めて聞くその罵詈雑言にいよいよもって嫌悪感を隠そうとしない視線を元恋人へと向けて行く。

────…よくそこまで自分を正当化できるもんだよね
────…しかも思い通りにならなきゃ暴力振るおうとしていたよ?
────…ていうか実際暴力振るっていたんでしょ? 相手の好意に胡坐かいて何も返そうとしないでさ。
───…つうか体格は良いけどフツメンじゃん。ただ髪が派手なだけなのとまつ毛豊富な程度で、よくあんな美形をコケに出来たもんだよね。
────…勘違い野郎乙www

そんな様々な声があからさまに囁かれ、恥をかかされたと更なる怒りに顔を歪ませた恋人が訴えてやると声高に叫んだが、巌勝は涼やかに笑うだけだった。
「好きにするといい…。最も貴様には…そのような度量もないだろうが…」
弱い犬程良く吠えると言ったもので、その手の虚勢には経験上慣れている巌勝が薄く笑う。訴えると言ったところで証拠はこれだけではない。童磨がDVをされていたという証拠は同業者である人物を介しすでに全て手に入れているのだ。
「ねえ、巌勝殿」
今までのやり取りを見守っていた童磨がおずおずと彼の腕を引っ張る。
「童磨……、危険だから、下がっていろ…」
「うん、ありがとう。でも大丈夫」
曲がりなりにも俺はあなたの次席にいたのだから。単に守られているだけの存在じゃないからと言外に訴えかければ、巌勝はその意思を汲んでそっと脇に避けた。
せめてこれだけは、かつて愛した人に伝えたい。最も、もう届かないことは分かっていても。
「俺はね、もう俺を大切にしてくれない人と付き合うつもりはないよ」
巌勝が背後で睨みを利かせている中でそう告げる童磨に、元恋人は信じられないと言う表情を見せる。ここまで元恋人を冗長させたのはこちら側に非がある。もう遅いことも分かっている。だからこそ言わなければならない。
「今度他の人と付き合うときは、ちゃんと大切にしてあげてね」
じゃあね、バイバイと手を振り、こちらを振り向いた童磨に巌勝は重々しく溜め息を吐いた。
「…お前は、あやつに甘すぎる…」
「ええーっ、そうかなぁ」
キョトンとする童磨。その人の好さにつけこまれてモラハラDVをされていたのだと苦言をていそうとしたのだが、スルリと腕に絡む腕が巌勝の言葉を奪った。
「いいじゃないか、可愛いから許してあげてよ」
「………」
どういう意図でその言葉を紡いだのか巌勝は読めなかった。アレを可愛いと思えるのはお前だけだと言うべきか。それとも確かにお前は可愛いがそれとこれとは別問題だと言うべきか。
いずれにせよ無言を貫くことにした巌勝は、目の前に唖然としてる汚物をこれ以上童磨に晒したくなく先に行くように促す。

コバルトブルーを通り越し土気色になった哀れみすら浮かばないその存在に巌勝は冷ややかな月と氷のような一瞥をくれてやると同時、薄く形の良い唇を動かした。

 

「お前は……

 

本当に…

 

度が過ぎる…

 

〝昔〟から……」

 

〝昔〟に比べて格段に言いたいこともわからなさそうな低能へと生まれ落ちたソレにそう吐き捨てた巌勝は童磨の肩を懐く。

それを聞き届けた人の成りそこないのソレが更に顔色を無くし、いっそ粒子にでもなるのではないかというくらいに驚愕し狼狽えていたことを、これ以上汚物を見せまいとする巌勝に促されて歩く童磨は知る由もなかった。

蛇足ではあるが、元恋人から巌勝と童磨の元に民事裁判の訴状が送られてくること等ついぞなかったことも一応だが付け加えておく。

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