早朝五時三十分。早くに目を覚ました猗窩座は隣で眠る童磨を起こさずそっとベッドから抜け出す。
日課の朝のジョギングに行くためだ。この時期は寒さも和らぎとても走りやすい気候である。
”昔”は暇さえあれば鍛練を重ねていた猗窩座の趣味はやはり筋トレやランニングと言った身体を動かす傾向にある。あの頃のようにがむしゃらに強くなる必要はないが、いざというときのために大事な人間を守れる範囲で身体を鍛え、力を蓄えたいと強く思ってそれを実行している。家族はもちろん、”昔”は己よりも強かった、今の世では大事な恋人である彼をきちんと守れるために。
ちなみにジョギングは基本一人で行っている。毎夜毎晩の愛の営みで童磨に負荷を強いている手前一緒に走ろうと言い出せない、と言うわけでもない。これは本能の一環で、男は一人になることを必要とする強い欲求がある。どんなに一緒に居たいと願っていても愛し合っていてもこればかりは仕方がないことなのだ。なのでこれはお互い納得済みの必要なソロタイムなのである。
黒いウェアに身を包み、黒地にカラフルなラインの入ったシューズを履き外へと出る。朝焼け間近の春の空は薄紫色とオレンジのコントラストが鮮やかに映えていた。
準備運動を終えた猗窩座はゆったりとしたペースで走っていく。短距離ではなく比較的長い距離を頭を空っぽにするために走るのだからペース配分が大事になってくる。
出発してからその途中で、同じジョギングで顔見知りになった人たちとすれ違いがてら頭を下げて挨拶をし、心地よい疲労感が猗窩座を包んでいく。
やがて見えてくるのは、住宅街より少し奥まった位置にある小さな公園が猗窩座の目的地だ。自宅から5キロ離れたここで一休みしてから自宅へ戻るのが猗窩座のジョギングのルーティーンだった。
ブランコ、滑り台、ジャングルジム、砂場といったオーソドックスな遊具しかない園内は流石に自分以外は誰もいない。まだ少し冷たさが残る春の風が汗ばむ身体を撫ぜていく中、汗ばむ顔を持参したハンドタオルで拭いながら、ふと何気なく猗窩座は空を見上げてみた。
そこにはひときわ美しく輝く星が見えた。きらきらと輝くあの星は確か明けの明星と言っただろうか。
その正体は太陽系で内側から二番目の惑星である金星で、地球とサイズが近い兄弟星とも言われている。昼と夜の長さがほぼ一緒になるこの時期の明けの明星はとても鮮やかに見えると言われているが、実際綺麗に春の東雲に映えていた。
「…」
無言のまま猗窩座は空を見上げ続けている。
何故だろう。夜の星の輝きが朝に塗り替えられ、それでもなお綺麗に輝く金星は、眠りについている大切な恋人の面影を呼び起こさせる。
一際高い位置にて、新しい朝を迎えるその時まで綺麗に輝き、最後まで見届けてくれる温かい光を放つ金星。それは、数多の信者の幸福と救済を実行してその最後を見届ける姿と重なるからなのだろうか?
それとも、”昔”から自分を親友だと言い切り、何も感じないながらも悲しむ素振りのために流した涙や、地獄での邂逅の際に首だけになりながらも零した涙の煌きが、あの美しい金星の輝きと被るからだろうか?
「っ…」
ああダメだ。
いずれにせよ意識してしまったからには今すぐ飛んで帰りたい。
寝ぼけ眼の目尻に口づけておはようと挨拶をし、かつては明けの明星のように隔てられた距離にいたが、今は自分の隣にいるその存在を深く深く確かめたい。
いつもならストイックに走って帰る距離なのに、今日は公共の交通機関に乗って帰りたいと思うほど隔てられたこの距離を猗窩座はひどくもどかしく感じた。
汗を拭いていたタオルをぐしゃりと手の中で乱暴にたたんでウェアのポケットにねじ込んだ猗窩座は、走行距離や運動量などを測定するため持参していたスマホを取り出し、suicaの残高を確認する。
この公園のある街の駅から童磨と共に暮らすマンションの最寄り駅まで十分に間に合うほどの交通費が残っていたのを確認した猗窩座は、ウォーミングアップを行っていく。
たまにはこういう日もあってもいいだろう。一刻も早く明けの明星のような恋人に出会うために、猗窩座は公園から最寄り駅までの道を最短で走り抜けるために、勢いよくスタートダッシュを切っていく。
まるでかつての上弦の参のような身のこなしで住宅街の狭い道を的確に走り抜けていく姿を、自然を称えて生物を慈しむ日に輝く明けの明星が最後の光を称えながら優しく見守っていた。
BGM:梧桐の丘(陰陽座)
春分の日の由来と明けの明星の特性を見たとき「あ、これどまさんや」と瞬時に思い、そんなどまさんを彷彿とさせる日と星を見たなら、一時たりとも座殿は離れていたくないよなぁと考えながら書きましたw
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