鈍色の空の元、肌寒い空気に触れて凍えていた時間は徐々に鳴りを潜め、モノクロめいた街の景色がパステルカラーに色づいてくるような温かな季節がやってきた。桜やいちごをイメージした飲み物やスイーツが売りに出され、店内や店先のポップもピンクやホワイトをふんだんに取り入れたデザインに溢れ、見るものの目をほんわかと和ませる。そして花屋も二月ごろから春の代名詞とも呼べる花であるチューリップを入荷し始めており、冷たい風は時々吹き付けてはくるが、ようやく温かな季節がやってくるのだと多くの人々に知らしめ始める。
そんな中、猗窩座と童磨は休日にそろって二人街を歩いていた。春物のスイーツの食べ歩きを始め、使い古した仕事道具をこれを機に買い替えるという用事や、冷やかしで雑貨店に入ったり、靴や服を見たり買ったりなど、充実した休日を過ごしている最中であった。
目が覚めるような美形二人が楽しそうに連れ立って歩いている姿は嫌でも人目を引く。だが多くの女性たちは彼らを高嶺の花と見定めたのか、馴れ馴れしく声を掛けて来たりはしなかった。むしろ楽しそうに談笑しながらお互いが大好きで仕方がないという気持ちが溢れている彼らを見て、何あれ尊い、良い物を見せてもらったありがとうそしてありがとうと手を合わせて拝む乙女たちが圧倒的に多かったのだがそれはさておき。
「あ」
風も穏やかで日も傾き始めている商店街の中、そろそろ家へ戻るための帰路へ着いた矢先、童磨が声を上げてある一見の店の前で立ち止まる。
「どうした?」
猗窩座もつられて立ち止まったそこはフラワーショップの前だった。最近の花屋はカフェや雑貨店も兼ねているが、この店は花屋一筋で生計を立てており、広く設けられた入り口の両サイドには今が見ごろの花々がそれぞれの魅力を損なうことなく飾られていた。
その手前に売られているのは鬱金香の切り花だった。ふっくらとしたふくらみを見せるその蕾は均整がとれており、どんなふうに開くのか心をくすぐられる形をしている。赤・白・黄色・紫・オレンジ・ピンク・ライトピンクとライトイエローの混じった物など色合いも豊富であり、その花たちをしゃがんで眺める童磨の白橡色の髪がより一層無垢なものに猗窩座は見えていた。
「ほら、コレ。まるで猗窩座殿みたいだね」
ぼうっと恋人に見惚れていた猗窩座の気持ちに気づかないまま、そう言いながら童磨は濃いピンクのチューリップにそっと触れる。それは恐らく髪の色のことを指すのだろう。この髪色は〝昔〟の名残であり、今は義姉である恋雪がかつて着ていた着物の色に由来するものだ。何の因果か、前身である狛治と双子として生まれた際、髪の色はかつての猗窩座のままで生まれついており、この髪色について色々と突っ込まれたことがあり、鬱陶しいという気持ちの方が大きかった。だが、再会した童磨がある日に言った「猗窩座殿の髪はまるで情熱的という花言葉の筏葛のようだな」との言葉を聞いて髪の色をそんなに厭わなくなったことを不意に思い出す。花を愛でる趣味があるのかないのかは定かではないが、童磨がかつて使っていた血鬼術は蓮と蓮華を模したものであり、それなりに花の詣でに詳しいのだろう。だがこちらは、花に例えられるような外見ではない。むしろ大柄ではあるが虹色の瞳を持ち華やかな容貌の彼の方こそ蓮や蓮華や白ユリの化身だとかそう言ったものに例えられて相応しいのにと思いながら、猗窩座も童磨に付き合ってその隣にしゃがみこんだ。
「そうか?」
「うん」
嬉しそうにそして愛おしそうに破顔する童磨を間近で見て、漂ってくる甘い花の香も相まってそのまま香しい唇を吸ってやりたくなる。そんな風に自分の前で笑えるようになった彼が好きで好きでたまらない。一緒に隣に歩いて他愛のないことを話しながら同じものを食べて、同じ場所へ帰る。それだけでも例えようもなく幸せなのに、こんな風に無防備に笑いかけられたら。
もっともっと彼を貪って自分のものにしたくてたまらなくなる。それは単なる征服欲でも支配欲でもましてや肉欲でもない。断じてそれはない。ただただ底なしの愛情で持って、ずっと遠ざけてしまっていた飄々としていた彼を掴まえてずっと愛し続けていたい、それだけ。
「色もそうなんだけどね。花言葉が俺と猗窩座殿にピッタリだなぁって思って」
「は…?」
思いもよらない言葉に猗窩座は思わず童磨を凝視する。そんな猗窩座の向日葵色の瞳を柔らかく見つめた虹は、嬉しそうに笑いながら言葉を紡いでいく。
「ピンクのチューリップの花言葉はね、『誠実な愛』『愛の芽生え』
俺にいつも誠実に愛を与えてくれる猗窩座殿のおかげで俺は愛を芽生えさせることができた」
心臓が歓喜の鐘の様にどくどくと高鳴る。
「後はね『優しさ、思いやり』『愛着、愛情』
猗窩座殿の優しさや思いやりは俺にいつもたくさんの愛情と愛着を教えてくれる」
なんだ、それは。そんなの、そんなのは…。
「そして…『幸福』 人々を幸せにするためには自分自身も幸せでなきゃならないってこと、猗窩座殿が教えてくれたんだよ」
だからね、このピンクのチューリップは猗窩座殿と俺にピッタリな花だねと笑いかける童磨をしゃにむに猗窩座は抱きしめにかかる。
「っ、お前の方こそ…!」
ああ、どうしてこうも此奴は俺を喜ばせることに長けている。
〝昔〟、童磨を自分が忌避していたのは狛治の頃の悪い方向へと当たる勘の良さから遠ざけるしかなかったに過ぎない。それに付随して童磨が言っていたことは全て本当のことであったが故、更に神経を逆なでされていた。
人は本当のことや図星を指されると人によっては鬼のように怒り狂う。まさに逆恨みでしかなかったことは今だからこそ分かる。
だからこそ今、童磨が述べているのは心からの気持ちであることも伝わってくる。混じり気のない純粋な真実。それでいて本気の愛情。そして相手の話に合わせられる柔軟さ。
それを思えば童磨こそチューリップ全般の花言葉に相応しい。
「猗窩座殿、ちょっと苦しい…」
チューリップが潰れちゃうよとか細い声で訴える童磨を猗窩座は名残惜し気に離す。花一本隔てる距離すら惜しいほどに今は彼とくっついていたかった。
「それ……」
「うん」
童磨が手にしていた一輪のピンクのチューリップの上からそっと武骨な手を重ねる。自分に例えてくれたその色を、彼そのものを表す花言葉を持つこの花を、恋人に捧げたくてたまらなかった。
「買ってやる。いや、買わせて欲しい」
「え? いいの??」
「っ、いいに決まってる……! こんな口説き文句を吐かれて買わないなんて男が廃る」
今度は花を押しつぶさないように持ち直して猗窩座は童磨を再度抱きしめ直した。自分よりも小柄なのに広く逞しい彼の背中に腕を回した童磨はそのぬくもりと匂いを堪能する。
ターメリックのような花の香りに混じって鼻腔をくすぐる、彼の熱い体温とお日様をたっぷり浴びた猫のような匂い。ああ、やっぱり猗窩座殿はピンクのチューリップみたいな人だなぁ。
店先で堂々と二人だけの世界に入り、思う存分お互いへの愛情を確かめ合う猗窩座と童磨をを気を利かせて見守っていたこの道ベテランの店長が物陰からそっと顔を出す。これはもうお買い上げのタイミングであることを見抜いた店長が、あるだけのピンクのチューリップを大量に抱えてやってきた猗窩座にこっそりアドバイスを送る。それを素直に受け止めた猗窩座は嬉々として店長のおすすめの本数のピンクのチューリップを購入し童磨に贈れば、彼は破顔しながらキレイにラッピングされた九本のピンクのチューリップを大切な宝物のように受け取った。
「ありがとう、猗窩座殿」
ニカーッと本当に嬉しそうに笑う童磨を見て、猗窩座もつられて笑顔になる。
「あ、そう言えばさ」
「うん?」
流石にこれ以上店先でいちゃつくのは営業妨害だと感じた二人は店の入り口から退避し、道の端の方へと移動する。だが店主からしてみれば目の保養になるイケメン二人が店先にいるだけで若い女性たちがやってくるのでもっといて欲しい、むしろ1分1000円のお給金を払うから短時間のバイトとして雇いたいと思うほど尊みにやられてしまっていたがそれはさておき。
「ここに来る途中で寄った雑貨店に、色々な花瓶が置いてあったよね」
「ああ、そう言えば」
ぎゅっと手を繋いでいるため童磨は猗窩座から貰った花を大切に胸に抱くように片腕で持っており、猗窩座はそんな花の顔かんばせの恋人とピンクのチューリップの共演をほんわかとした気持ちのまま幸せそうに見つめている。
「でさ、ちょっとだけそこに寄り道してもいいかな?」
童磨が何を言いたいのか瞬時に察した猗窩座は、更に笑顔をとろけさせ繋いでいた手をぎゅっと握り直して歩く速度を速めていく。
「ああ! もちろんだとも!!」
「わ、猗窩座殿! 早い、早いってばー!!」
テンションの上がった猗窩座が童磨の手をグイグイと引っ張り、今来た道を戻っていく。そんな美形二人のそのやり取りはやはり多くの通行人の目を引くが、猗窩座は見せつけるように硬く繋いだ手を高く持ち上げては元に戻し、もう一度持ち上げるという牽制を行ったため、外野は更に遠巻きに眺めるしかない。こんな幸せそうな二人の間にやはり割って入る方が無粋であるし、先の時と同じよう彼らの愛の力に充てられた乙女たちと若干の男子たちが尊さのあまり拝むことになったのは言うまでもない話である。
余談ではあるが、その後しばらく件の花屋のチューリップがピンクだけではなくすべての色が飛ぶように売れ、ついでに花言葉になぞらえ買っていった乙女たちが大量に発生し、やはりあの二人を看板息子として雇えばよかったと、嬉しいやら後悔やらの念を抱えながらも、その店はずっと繁盛し続けたのだった。
彼が購入した九本のピンクのチューリップの意味は『いつまでも一緒にいよう』という意味を持ち、チューリップ全般の花言葉は『思いやり』という意味を持つ。
どこまでもそばにいて共にありたいと願う猗窩座と童磨にとってこれ以上に無いほど相応しい愛の花であることは明白であった。
うちの座殿の髪は、どまさんから情熱的という花言葉を持つブーゲンビリアのようだと称されたという割とナチュラルにぶっこんでるマイ設定があるのですが、座殿の髪の色ってそれ以外にも色んな花の色に例えられていることが多いなって思いました(躑躅・紅梅色・紅桜等)。
その中でもピンクのチューリップは花言葉的にも二人にピッタリだなと思って書きました♪
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