『…もう、別れよう』
忘れもしない昨年のクリスマス間近の頃、猗窩座は童磨にそう切り出した。そんな彼の言葉を聞いても童磨は荒れるでもなく怒鳴るでもなく、うん、そうだねと静かに頷いた。
今生は猗窩座は前世の記憶を持って生まれていたが童磨はそうではなかった。それでも童磨は初めて会った時から猗窩座に懐いていたし、俺たちは良い親友になれそうだねなんて言いながらじゃれあってきた。それは俺がお前に地獄に堕ちたときにかけた言葉だと何度口をついて出そうになったことか数知れない。だが猗窩座は終ぞ前世の記憶については口を割らなかった。
前世の生の終わりに結んだ絆ではあったが、前世の関係は最悪と言っても過言ではなかったから。最速で上弦の弐まで上り詰め親しくしようと近づいてきた童磨に対し嫉妬と怒りに任せて暴力を振るってきた。そんな過去を童磨に思い出させるよりも一から友情を築いた方が良いだろうという、今にして思えば彼を思いやるふりをした打算からくるものだった。
だが自分だけが前世の記憶があり童磨が記憶がないというのは予想外の展開を齎した。前世では抱くことすらできなかった友情がいつしか恋に変わり、猗窩座は童磨に告白し恋人関係となった。元々今生では双子の兄として生まれた狛治の妻である恋雪以外に対して苦手意識があり、今生では感情を得ている童磨と接しているうちに彼がいればそれでいいと思うようになったのだ。そんな猗窩座の決死の告白を童磨は嬉しいと言って受け入れてくれた。
だけども幸せな日々は永遠には続かなかった。
前世の記憶がある猗窩座とそれがない童磨。二人の関係は確かに新たな発展を齎すのに一役買ったが、それ以降は単に足かせとなるばかりだった。
童磨は恋人となった猗窩座に惜しみなく愛情と優しさを注いだ。しかし猗窩座の方が〝昔〟の負い目からだんだんと重荷に感じてしまっていったのだ。
その優しさは俺だから向けられるわけじゃない。他の者が望むならきっとこいつはそれを向ける。大体地獄で会ったのが俺じゃなくたって、きっと人好きのするコイツなら上手くやって行けたはずだと、飾らずにまっすぐな気持ちで受け止めることが出来なくなってきたのだ。
そこから徐々に歯車が狂い出していったのは至極当然のことだった。〝昔〟のように暴力に訴えることはなくとも、童磨が自分を気にかけてくれるたびそっけない態度と言葉を彼にかけ続けてしまっていた。その結果、当然のことながら童磨の笑みに悲し気なものが混じり始めたが、一度ずれた歯車を直すことはできずにそのまま軋み音を上げて回り続けるしかなかった。
好きな気持ちには変わりはない。だが今の童磨は〝昔〟の記憶がない。〝昔〟の分まで親しくなろうと決めた彼ではない。そんな気持ちが膨れ上がり、これ以上彼に対して〝昔〟のように酷い振る舞いをする前に、猗窩座は童磨に別れを切り出した。
『そう、だね。俺たち、もうお別れした方が良い』
『っ…』
淡々と同意する童磨の言葉に猗窩座は少なからずショックを受ける。それと同時、ああやっぱり俺じゃなくても良かったんだという奇妙な安堵感を覚えた猗窩座の目には、アイボリーのニットを着た童磨の手が腹の前でぎゅっと組まれて震えていることにも唇をかみしめる仕草にも気づけなかった。否、気づけたとしたところで猗窩座は彼を抱きしめることはできなかっただろう。〝昔〟、鬼だった頃に自分の弱さを潔く認める強さがあれば、今のままの童磨を愛せる柔軟さがあれば、この結末は避けられていただろうことに彼は気づいていた。
そして今から〝昔〟の記憶を捨ててやり直せる気力すら残っていないことにも。
『今までありがとう、猗窩座殿』
恨み言一つ言わず、無言のままの猗窩座のことをこれ以上苦しめないように綺麗な笑みを浮かべて踵を返した童磨の目尻に雫が一つ浮かんでいたことにも彼は気づいていなかった。
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