時期的には桜と緑が目映いとされる季節の昼下がり。墓標が石でできている棺型の墓の前にあるベンチに猗窩座は腰を降ろしていた。
よっこいせ、という声が口を突いて出て来てもおかしくないほどに年を取った自分を、今生は極楽にいるであろう彼はどう見えるだろうか。
「今年もまた雪桜が綺麗に咲いたなぁ」
情熱的だという花言葉を持つブーゲンビリアの様だと愛する人にかつて揶揄された猗窩座の髪はすっかりと灰桜へと変わっていた。
大きかった瞳を縁どる豊かなまつ毛も同じ色に染まり、目尻には童磨よりも長く生きたという証である皺が刻まれている。
「お前、俺が来ると張り切ってその前の日に雪を降らせてないか?」
童磨が猗窩座に見守られながら天寿を全うした日から数年。猗窩座は毎年欠かさずに童磨が眠るこの場所へと通っていた。
何度も何度も旅行に出かけた北の大地のこの霊園に墓を買ったため、童磨が眠りについた季節は世間一般では春なのだが、気温や気候は冬と遜色がない。
今日だってここに来る前日は2月の気候に逆戻りだと騒がれていたが、今朝はぴたりと吹雪は止んで、少しずつ緑が萌え始めた木の枝に白い桜を咲かせている。
角の欠けた猗窩座の手帳には事細かに童磨がいなくなってからの詳細がつづられている。最期に残した彼の言葉”ゆっくりこちらに来ておくれ”を達成するために、そして自分が童磨の下へ赴く際、彼のいない時間をどのように過ごしたかをたくさん話すために、この手帳を燃やしてもらう旨は遺言として残している。
その中の記録には確かに童磨が猗窩座の下から先に旅立ってから今年で六回目の快晴及び雪桜満開日よりと書かれており、どれだけ童磨が自分がここに来るのを楽しみにしているのかと思うと温かい気持ちとほんのりとした苦みが胸の中に湧き出てくるのだ。
「…俺に幸せになってほしいとお前は言ったな…。望み通り、俺は幸せだよ…」
皺の刻まれた手で、童磨の名前が刻まれたプレートを優しく撫で上げる。
「…お前を好きでいられたこと、お前と一緒に生きれたこと…、お前が最期に言ってくれたこと…それを思い返せば返すほど、今もお前を想えて幸せだと感じる…」
多分去年も一昨年も一昨昨年も同じことを言っていたと自覚している。だがそれが偽らざる本音なのだから仕方がない。
童磨が聞いていれば『そうかそうか…、それが猗窩座殿の幸せなら何も言うまいよ』とニカーッと満面の笑みで言うだろう。
「…お前以上に愛せる者など…出来ようはずもない…」
確かに童磨の言う通り、彼以外の人間に求められ愛されたこともあった。だが、彼以上に求めて愛せないことは付き合えば付き合う程思い知らされ、自分も相手もこれ以上傷つく前に別れた。相手もきっとこれ以上はこちらに深入りできないと覚ったのだろう。比較的穏やかに別れることができた。
たった一人を想いながら生きること。それは決して不幸せなことでも縛られていることでもなんでもない。こんなにもここで眠る彼を想うだけで、これほどまでに満たされた気持ちになる相手など、他にはいない。
不意に風が吹きつけて、枝に積もる雪を軽く散らしていく。桜とは程遠い冷たい粉のような花びらが、目尻を熱くさせていた猗窩座にそっと降り注いだ。
”────…泣かないでおくれ、猗窩座殿”
それはまるでかつて自分がそうしていたように、熱い雫を吸い上げる童磨の唇のようだと思った猗窩座は、ふ、と目尻を潤ませながらも笑みを浮かべたのだった。
BGM:遺書(Cocco)
鬼の頃は座殿が先に逝きましたが、人間として生まれ変わった世界ではどまさんの方が先のような気がします。そして最期の最後まで彼は微笑みながら見送られていそうです。
ちなみにBGMにした歌の歌詞の一部からふと考えたのですが、今生のどまさんは最後の最期を座殿の手で下ろしてもらいたいとは思わないタイプだなと感じます。
座殿に限らず周囲の人を幸せにしたいと心から思っているどまさんであれば、自分の命をその手で刈り取った座殿が自分がいない人生を幸せに歩いていけるか?と考えたとき絶対否定するでしょう。
ましてや座殿と仲睦まじい人生を歩んできた彼を想えばこそ。そんな風に自らを殺めさせて悦に入るような真似はしないです拙宅の彼は。
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