その①モブ→童注意
「氷雨君はさぁ、もう少し身長の大きい子と付き合った方が良いと思うんだよ」
キンコンカンコンと鐘が鳴り、すわ猗窩座殿のところへ行こうとしたところ、氷雨君氷雨君と呼ばれて振り向けば、辛うじて顔と名前が一致するクラスメイトの男子がそこにいた。
何か用?と訊ねたところ、開口一番、何の前触れもなく冒頭の台詞を吐かれたのだが、正直何を言われたのか分からなかった。
「何を言っているのかな?」
なのでもう一度相手が何を言いたいのかを知るために聞き返すと、目の前の男子はだからぁとこちらを見下ろしながら口を開く。
「あんなちんちくりんで不愛想なピンク頭よりも、僕のような背の高い男の方が釣り合うと言っているんだよ」
もう一度聞き返したけど一体何を言ってるんだろうという感想しか抱けない。分かったのはこいつが俺の猗窩座殿をたかが身長が低いというだけで侮辱したということだ。
まじまじと目の前の男子を見ると確かに身長は俺より1~2㎝は高い。だがただそれだけのことだ。髪は艶もないし眉毛もぼさぼさ。今の流行りなのかは知らないけれど無精ひげを生やしている。カッコいいかどうかはさておき、どう見ても清潔感はない出で立ちだ。
そんな成りでよくもまあ俺の猗窩座殿をたかが身長の高低差ごときで見下せたものだと思う。
「残念だけど俺はありのままの猗窩座殿が好きなんだ。身長が高かろうが低かろうが関係ないよ」
そう、そんなこと関係ない。俺より背が低いとはいえしっかりと体を鍛えているから力はハッキリ言って俺以上にある。
例えば休日に一緒に買い物に出かけたとき、重たい物は持つと言って聞かないし、実際に軽々と持ってくれる。ことあるごとに俺を姫抱きにしたり腰を抱えて持ち上げる。なんなら腕立て伏せをするときに上に乗ってくれと頼まれて背中に乗ったところ、軽々と320回やってのけるほどには体力があるのだ。
確かに俺よりは小柄だけれど、いつも俺を大事にしてくれるのが分かる。”あの頃の俺は不甲斐なかったから”と、たまに悔いいる表情とその言葉にこちらも少し胸が痛くなるけども、それでも俺を精一杯の愛情で大切にしてくれる。そのたびに俺の心はいつもいつも温かく甘くて柔らかなもので満たされていくのだ。
「だから君はお呼びじゃないよ。そもそも君が猗窩座殿の何を知っているというんだい?」
あれほどまでに優しく俺を大切にしてくれる彼を、目の前の男はたかが身長が低いからというくだらないことで相応しくないと見下している。
裏を返せば猗窩座殿に身長しか勝てる要素がないので、唯一優れている武器でマウントを取っているのだろうか。だとしたら一周回って哀れにすら思えるけど、ハッキリ言って好きな人を無意味に貶めた相手にこれ以上時間を費やすほど、”今の”俺はお人よしじゃあない。
「用はそれだけかな? じゃあね、ばいばい」
あくまで表面上は穏やかに話を切り上げて顔を逸らし、猗窩座殿の教室へ向かおうとすると、がっと肩を掴まれる。
反射的に相手を見ると、血走った眼をして明らかに憤った彼の姿がそこにあった。
「黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって…!」
大きく振りかぶった腕に、あ、これ防御しても間に合わないやと頬に来る衝撃を覚悟してぎゅっと目をつぶろうとしたその時、ビュンっと背後から見知った大好きな気配が勢いよく迫ってきた。
「ぁ…」
「童磨!」
あっという間に俺の前に立ちふさがり、振り下ろされた拳を左手でぱしりと掴んでいるのはたった今想いを馳せていた彼だった。
「猗窩座殿」
「大丈夫か!? 怪我は!?」
みしみしと音を立てながら目の前の男子が呻くのも構わずに拳を受け止めながら俺の身を案じてくれるのは、俺より小柄だけども誰よりも大好きな恋人。
ほら、やっぱり身長なんか関係ないじゃないか。
こうして俺を守ってくれた猗窩座殿は誰よりも逞しく見えるし、俺だって彼を守りたいし支えたいと思う。
そんな風に想える人ならばどんな姿だってかまわない。そんな風に想えるほど大好きだってことがどんなに嬉しくて幸せなことなのか分からないまま、身体的特徴を詰ることに重きを置いたこの男子はやっぱり可哀想だなとは思う。
「おい貴様」
普段とは違うぞくりとする音を含んだ声。向日葵色の瞳は鬱金色に染まっているのだろうなと猗窩座殿の短いブーゲンビリア色の髪を見ながらそんなことを思った。
「先ほどから黙って聞いてはいたが、俺への誹りはどうでもいい。だがな」
猗窩座殿の左手に力が籠められるのと同時、目の前の男子は痛みに呻きながら情けない悲鳴を上げた。
「俺の童磨に二つの意味で手を出そうとしたことは万死に値する!」
痛いいだいいだいよぉお゛!と身も世もなく泣きじゃくる男子。一応周囲にはハラハラと見守っている多数の生徒はいるものの、これ以上は過剰防衛になってしまうので、何も悪くない猗窩座殿が罰を受けるのは耐えられなかった。
「猗窩座殿、もういいから。俺は大丈夫だから」
ぐいっと彼の右手を反射的に掴んで止めれば、ハッとした顔で猗窩座殿は振り返って俺を見た。
「っ、本当か?! どこか痛いところは!?」
パッと男子生徒の拳を解放すると猗窩座殿はまっすぐに俺を見上げながらそう聞いてきた。
「大丈夫だよ。猗窩座殿が守ってくれたから」
「っ、それなら、よかった…っ!」
ぎゅっと猗窩座殿が俺の胸に額を擦りつけながら安心したようにそっと呟く。そんな彼の髪をよしよしと梳きながら俺は腰を抜かしている愚かな男子をじっと真っすぐに見据えてやる。
──…これでもまだ君は、猗窩座殿よりも自分が俺にふさわしいと思っているのかい?
言外にそう伝えてやれば、彼は這う這うの体でその場から逃げるように立ち去っていった。
「猗窩座殿、もう大丈夫だから」
格好良くも可愛い恋人にもう一度そう声をかけても、ぐりぐりと胸元に額を押し付けられてはぎゅううううっとさらに両腕に力を籠められて抱きしめてくる。
そんな俺らを見ながら『やっぱり身長の差なんて全く関係ないね』とか『二人とも好きっていう気持ちが溢れちゃってるしね』とか『式場が来いむしろ俺らが式場になるからお前ら今すぐ直ちに結婚しろ』という声が聞こえてくる。
最後のはともかく周囲の声を聞きながら、現在8㎝差の身長が”昔”のように14㎝差に広がったとしても、俺は猗窩座殿には色んな意味で抱かれたいし、ずっとこうしていたいという気持ちを新たにしたのだった。
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