例えばこんな出会いと結末 - 3/3

以下クソ長い語り

お読みくださりありがとうございました。
この話を書いたのは、原作を読んでてずっと思っていたことを形にしました。
無限列車編を最初に読んだときのイメージとして、猗窩座は『敵味方関係なく、自分が認めた相手ならば潔く勧誘して切磋琢磨しあう性質の鬼』だと思っていました。
しかし上弦会議の際、上弦の陸から上弦の弐へとのし上がった童磨に対する態度を見て『え!?』となりました。

なんで? 猗窩座って強い者が好きな鬼じゃないの?
その鬼、上限の陸から成りあがって(おそらくそれこそ無名の鬼の頃から)のし上がってあなたの上にまで上り詰めたまぎれもない強者よ?
それを「腕をどかせ」のスパンから0秒で頭を吹き飛ばすって、え? え??

それが猗窩座という鬼に対して抱いた最初の違和感です。
そのあとすぐに、玉壺に対し「情報とは何のことだ? 俺も行きたい! 教えてくれないか」のシーンで、何も言わずに頭を吹っ飛ばす座に「こんなに武人然としたキャラが嫌悪感丸出しにするなんて、いったい童磨って鬼は何をやらかしたの?」と逆に興味を持ちながら原作を読み進めるも、得られた情報は『入れ替わりの血戦で(おそらく)負けたこと』しかなく、「それってただの逆恨みじゃ…」と思いました。
入れ替わりの血戦の描写はファンブック2つ読んでも詳しい事は書かれていなかったのであくまでも憶測ですが、ちゃんと無惨様や黒死牟殿の立会いの下で行われているため、卑怯な手を使うような真似は出来ないと思うんですよ。というか黒死牟はともかく、無惨様なら卑怯な手ですら作中に書いたように戦術の一つとして認めてそうですけども。少なくとも上弦の陸から弐へ上がったというからには、童磨の戦いの手段は無効にされるようなことをしていないということは明白です。
でもここからは二次創作脳が都合のいい方へと働いてくれて、「強者が好きな猗窩座が童磨に対してなんでそんな対応なのか?」から妄想をこねくり回して「自分を気にかけてくれる強者は悉く自分を置いて逝く」というのが根っこにあり、さらに「弱いままでいたならば俺はお前を知らずに済んだ」等、人間時代のトラウマがまるで呪いのように作動するから近づかない(むしろ近づけない)のに、あっちから距離を詰めてくるから仕方なしに手を上げ続けてきたのでは? という解釈に落とし込みました。

ただそれでも、そんな猗窩座の心情は本人はもちろん他の鬼すら知らない。そして曲がりなりにも童磨に命を救われた妓夫太郎は、話す努力や理由も言わず恩人に手を上げ続けている猗窩座に対し、自分たちを追い詰めた人間たちの影を重ねていたのでは…?となり、今回の話が生まれました。

誤解しないでほしいのは、猗窩座の武人然としていながらも相反する狭量的な弱さがあるという部分は非常に魅力的だと思ってますし、ましてや猗窩座アンチやヘイトの気持ちは全くと言っていいほどありません。
むしろ好きなキャラ同士じゃないとカップリングにはしません。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です