「…え?」
新しい一日が始まる希望に満ちた朝陽が徐々に世界を照らしていく時間帯、猗窩座と童磨はまだ誰もいない空き教室で二人寄り添っていた。
彼が告げたその言葉に、白橡の髪を持つ彼女の花のかんばせは驚きに満ちている。
「……えー…っと…?」
しかしその表情は、鳩が豆鉄砲を食ったような表情と言っても過言ではなく、明らかに戸惑いと混乱を覚えているそれであり。
(何でこうなった!!)
猗窩座は動揺する心を必死に押し隠しながら、時間を巻き戻す血鬼術があればと心の底から願っていた。
朝採り 聞きなし 君とキス
~悩める少年aの暴投~
頼田猗窩座。都内の中学校に通うごく普通の15歳。
ブーゲンビリアの短髪と大きな眼と豊かなまつ毛を持つ、若干幼い印象を与えるが、空手部に籍を置いているため体躯はかなりがっしりとしている。
性格も真面目でストイックなため人間関係は良好で、実は秘かに想いを寄せる女子生徒も数多いる。
そんなやや上位スペックを持つ彼が持つ目下の悩みは、おおよそ100年以上は顔見知りであり、つい3か月ほど前に付き合い始めた氷雨童磨のことであった。
そもそもごく普通の中学生として猗窩座は認識されているが、それは周囲にうまく隠しているからに他ならない。
先述した事柄から分かるように、彼は所謂前世の記憶を持ったまま生まれてきた人間だった。
それもその前世は鬼…つまり人ならざるものであり、幾多の人間を屠り食らい、最期は鬼殺隊と呼ばれる鬼を狩る組織の者たちと対峙し、その命を終えた。
その直後旅立った地獄で、人として生きた”狛治”と存在が分かれ、”猗窩座”として地獄で童磨と再会した。
ずっと疎んでいた。近づくだけで虫唾が走り、生理的嫌悪を覚え、反吐が出るほど嫌いだった…と思い込んでいた。
その真相は、”狛治”の頃に味わった壮絶な過去に起因するもので、『己を気にかけてくれる強者は尽く自分を置いて毒で逝く』という呪いにも似た警鐘だったことに気づいた猗窩座は、童磨への蟠りを死んでから初めて解いた。
そうして首だけになって落ちてきた童磨を受け止め、しばしの間語らい、地獄で別れそして生まれ変わったという経緯を持つ。
ちなみに今生の童磨は、あまりにも仕事がなくて暇を持て余した神がとち狂ったのか、ロリ巨乳の美少女として転生していた。幼少の頃に童磨と再会した猗窩座は、親友関係を築いていける喜びをひそかに噛み締めたものの小学5年生でその違和感に気づき、当人から女であることを知らされて、リアルに脳みそが爆発する音が聞こえ三日三晩寝こんだ。生まれ変わったら親友になりたいという存在の性別そのものが替われば無理もない。だが人間は心のバランスのとり方や調節が出来る生き物だ。猗窩座は童磨に対し友愛ではなく初恋という名の感情を狂い咲きさせ、さらに4年間辛抱を重ね、3か月前にようやくその想いは実りを告げたのである。
と、ここまでが前提である。
前世で百数十年以上、今生では10年以上、童磨への複雑な心情が絡まりあった結果、恋人という関係に落ち着いたのだが、正直何も手出しができていない。
義務教育中の身であれば何も焦る必要はないのかもしれない。しかし中身は成熟しすぎてもはや白骨化しているくらいには生きてはいる。
ならばお互い同意があれば少しくらい先に進めばいいとは思うだろうが、そうは問屋が卸さない。
猗窩座はこの白骨化年月の間中、色ごとに現を抜かしたとがない。
空いている時間はひたすら鍛錬に費やし、見どころがあり、自分よりもあと一歩劣る強さの人間を鬼に勧誘し、かつての始祖である無惨の名を受けてあちらこちら飛び回っていたのだ。”狛治”の記憶を無意識に押し込んでいたため、女と戦えない殺せないばかりか、懇ろになることなどにはとんと興味はなかった。
対して童磨は万世極楽教と呼ばれる宗教団体の教祖をしており、平素は哀れな人間の身の上話を聞いてその身をもって”救済”をしていた。
更に言えばこの頃の彼は感情がないと思い込んでいたため、”救済”とは別に恋という欲望で身を持ち崩す感覚がどのようなものかを知りたかったため、子供の恋愛ごっこに身を投じていたという。
”子供の”というだけあってプライベートでは体の関係はなかったと、聞いてもいないことを脳内テレパスでペラペラと話してきた時は正直腸が煮えくり返っていたがそれはさておき。裏を返せば”救済”では体を使うことを厭わなかったということだ。
つまり正真正銘の童貞が、体だけは百戦錬磨の童貞非処女の過去を持つ精神面はある意味純粋な恋人と、どうやって関係を進めるべきかと猗窩座は悩んでいたのである。
流石にこんなことは周囲の友人には言えない。
かつての自分であった”狛治”も今生では双子の兄として転生しており、猗窩座としての記憶の断片を持っているためか、童磨との関係を特に反対している様子はない。だがそれとこれとは全くの別問題である。
狛治には今生こそ将来を共にしようと誓い合った恋雪という伴侶がいるが、辛抱強く恋雪ファーストな兄のことだから、彼女の気持ちに寄り添って関係を勧めていくだろう。なのでアドバイスを求めたところで、十中八九参考にならないのは見て取れる。
というか下手に話して童磨の前世がバレるようなリスクを冒したくはない。あの頃はあの頃、今は今であるとある意味割り切ってはいるがそれは自分自身であり、記憶の断片を持っているとはいえ今は一個人である狛治に押し付けるつもりもない。
だがいい加減こちらとしてもそろそろ先に進みたい。『あかざどの?』と甘い声で己の名前を呼ばれたりとか、ふわっふわのメレンゲにトッピングされたマシュマロのような胸を押し付けながら抱き着いてきたりとか、たまにそっと指先を取って「手、つないでくれないかな…?」と上目遣いで見上げてきたりするその表情とか…。
そのまま押し倒してしまいたい衝動には駆られるし、そうするだけならきっと簡単だ。だがそこから先、どうやって先に進めばいいのか。
そう考えるとここはやはりセオリー通りにキスくらいは済ませておきたいのである。そうすれば一歩、また一歩と関係性を進められるはずなのだから。
では一体誰に相談するべきなのか?いつもここで行き詰る。
先述した通り、周りの友人や狛治には言えない。自分たちの他に記憶を持ったまま人間に転生している存在は残念ながら自分と童磨以外見当たらない。
悶々とした悩みを抱えながらも明日に備えて眠ろうとするが、いっかな睡魔は訪れない。
何度も何度も寝返りを打っても眠気がやってこないため、寝入るのを諦めた猗窩座は寝台から手を伸ばし、何となしにスマホを操作する。
液晶の明るさを最低限に絞り、暇つぶしに最適な青い鳥のアプリを起動させて、フォロワーやフォロイーのTLを眺めていく。
その中にはもちろん童磨のアカウントもあったが、彼(女)自身の呟きは実はそれほど多くはない。
彼(女)曰く、『暇つぶしには良いかもしれないけど、身も心も持ち崩すほどのめり込むのはまだちょっと理解できないんだよね』とのこと。
『そんな時間があるんだったら、俺は猗窩座殿ともっとお話したいし会いたいんだ』と無邪気に笑う童磨を思い出して、ほんのりと心が温められた感覚に陥る。
その気持ちを抱いたまま眠ろうとしたとき、ふと猗窩座のフォロワーがRTしたアカウントの呟きが目に入った。
それは、3か月間付き合っている恋人とキスが出来ていないので、それとなく伝える方法はないかというDMが届いたというもの。
それに対し、アカウント主はかの有名な戦国武将が詠んだ句をもじったアドバイスを送りつけたという内容。
奇しくもその相談主は自分と同じ中学三年生であり、恋人と付き合っている期間も一緒だった。
アカウント主は冗談か洒落のつもりでそう返したのだろう。しかしこの相談主は純粋だったのか試してみるというDMを直後に送り、流石に焦ったアカウント主は絶対にダメだと前置きをした上でオーソドックスなデートのアドバイスを送るも音沙汰無し。思わず小僧呼ばわりをして引き留めようとしたところ、まさかの成功という結末で、多くのRTといいねがされていた。
「…」
思わず猗窩座は脱力してしまう。こんなもので行けてしまうものなのか?むしろ自分が色々グダグダ考え過ぎなのか。
「…ふふっ」
思わず笑い声が漏れ落ちる。心の中に閊えていたものが取り払われた気分だ。
そうだ。”昔”は制限があったとはいえ、色々とフランクに自由に動けていたではないか。
そして”今”は更に自由に動けるのだ。童磨に近づけること、会えること、言葉を交わすこと、話し合う場を設けること、何だってできるのだ。
「…俺らしくもない」
小さく独り言ちた猗窩座は青い鳥のアプリを終了させた代わりに、緑のメッセンジャーアプリを起動させる。
そのまま目当ての人物のトーク場面を呼び出して、受話器をかたどったアイコンをタップする。
軽快な呼び出し音が鳴ったのは束の間のこと。
『もしもし! 猗窩座殿どうしたの?』
すぐさま出てきた目当ての人物の夜中にも拘らずやかましくも愛しい声に、少し声のトーンを落とせと苦言を呈した後猗窩座は言葉を紡いでいく。
「あー、あのな…」
そうして明日…日付は変わり今日になったが…の朝一番に、使われていない空き教室で待つように約束を取り付けた猗窩座は自分史上マックスの勢いで自転車をこぎ学校にたどりき、待っていた童磨からの挨拶を遮ってまで開口一番に件の言葉を伝えた。
しかし結果は冒頭の通りである。
「ごめん猗窩座殿、あの、なんて…?」
平素通りに穏やかな笑みを絶やさずに、テイク2を提案してくる童磨の言葉がからかいでも気遣いでもなんでもなく、純粋に何がどうしてそうなったのかを聞きたいが故の質問なのだろう。
しかし深夜テンションから一気にマントルに沈み込みそうなくらいに現実に戻った猗窩座は、そのまま自尽したい衝動にかられたが、生憎素手で頭を吹っ飛ばせる腕力は今の自分には持ち合わせていない。
一周回って冷静どころか氷の御子が数十体頭上に乗っかかっているかのごとくの絶対零度に襲われて、思わず頭を抱える猗窩座に、童磨はああ、そうか!と手を打った。
「つまりホトトギスとホトトKISSをかけた猗窩座殿からのお誘いというわけだな!」
「あああああああああああああ!!!」
頼む、傷を抉ってくれるなホントお願いという猗窩座の心の声にはもちろん童磨は気づけるはずもない。
「しかし猗窩座殿…、いくら何でもそれはまだ早すぎると思うのだが…」
「……は?」
今度は猗窩座が真顔になって童磨を正面から見る番だったのだが、なぜか童磨は顔を赤らめて恥じらっているように見える。
「だって…、俺たちキスもまだだろう? そ、それを…蕃登ほととキスなんて…」
「~~~~っっっ!!???!?!?」
ここにきて猗窩座は何故あのアカウント主が必死に相談者を止めたのかようやく理解できた。そして自分が童磨に対して体目当ての下衆野郎だという認識を植え付けてしまったことも。
「ちが…っ!違うんだどうま! 俺はお前の身体が目当てじゃなくてだな!!」
ああああもう締まらない、決まらない。
かつてこんなにも目の前のこの元鬼に対して弁明をしたことがあっただろうか。否、なかったからこそここは必死に矜持や諸々をかなぐり捨ててでも本心を伝えるべき場面だ。でなければ絶対に後悔する。
「確かにお前のことはいずれ抱きたいと思っている! だがその前に手順というものがあるだろう!? だからせめてキ、キスだけでも、と思って俺は…」
「うん、うん分かってるよ猗窩座殿」
すい、と両腕が伸ばされそのままぎゅっと抱き寄せられる。胸元ではなく肩口にだが、己の胸板に童磨の柔らかく豊満な胸が当たっているのを猗窩座はたちまち意識してしまい、カッと頬が熱くなる。
「俺もその…、”昔”にキスはしたこと、なくてなぁ…」
両腕が緩んだのと同時、ぽつりとつぶやかれた童磨の言葉に思わず顔をあげると、そこには照れ笑いを浮かべながら薄紅に染まった面差しの乙女がいた。
「”昔”はともかく…、今の猗窩座殿としたいなぁって、ここだけの話、ずっと思ってはいたんだけど…。”昔”と勝手が違うからどうしていいかわからなくて…」
あと一歩踏み出したかったのはこちらも同じだったんだよと紡がれた言葉と表情に、心に走った衝動のまま猗窩座は童磨の唇を奪っていた。
「んっ…!」
勢いあまって歯がぶつかってしまったし、虹色の瞳を閉じさせる余裕すらなかった。
童磨はそんな不器用な猗窩座からのキスと気持ちを汲み、両頬に両手を添えながらゆっくりとそれに応じていく。
「ん、は、ふ…っ」
何度も何度も唇と唇の表面同士をすり合わせていく。”救済”の最中に救いと称して口を吸われたことはあったのだろうかという思いがふと頭をかすめていく。
だけどそんなこともどうでもよくなるほどに童磨とのキスは気持ちが良い。心地よくて、ふわふわで、もっと、もっと欲しくなる。ただ唇同士が触れ合っているだけなのに、こんな気持ちになるなんて思いもよらない経験だった。
「ふ、は、ぁ…」
お互い夢中になって唇を貪っていたため、上手く息が吐けずに同時に離れる。無言のまま見つめっているうちに緊張がほどけて、どちらからともなくふ、と笑みがこぼれた。
「気持ちよかった…」
「俺も…」
「こんなことなら、変に小細工せずにお前に伝えればよかった」
「ふふっ、流石の俺もビックリしたよ」
「ああああああそれはもう忘れてくれというか忘れろ忘れさせてやる」
「ははっ、握り拳を作りながら言うの止めてくれないかな?」
”今”の関係では当たり前になった、他愛もない会話とじゃれあい。そこに新たにキスをする習慣が確かに生まれた今日というこの日。
「ねえ猗窩座殿」
「ん?」
「…もう一回、今度は俺からしていい?」
「いいぞ、来い」
軽く両腕を広げた猗窩座の唇に今度は童磨から唇を重ねていく。
先程は勢いのまま交わしてしまって気づかなかったが、改めて集中してみると彼女から与えられるキスはどこかぎこちなくそして初々しい。
「んっ…!」
思わず背中に両手を回してその柔らかい身体をかき抱く。思わずぴくりと体を震わせるが、それでも童磨の唇は猗窩座から離れることはなく。やはり息が続かなくなるまで唇を合わせ続けていた。
「…ふ、ぁ…は、ん」
「…どうま」
いつの間にか童磨の身体は猗窩座の膝に乗り上げていた。こんなにも今の彼(女)は柔らかく華奢だったことに否が応にも気づかされる。
「どう、だった?」
はふ、と息を吐きながら元々垂れがちの大きな瞳を潤ませ訊ねて来る童磨に、猗窩座はニコリと笑みを浮かべる。
「最高以外に何があるんだ?」
まるで夏の空のようなその笑顔と共に紡がれた言葉に、童磨もニコーッと笑い、そしてまたどちらからともなく唇を重ねていた。
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