梅雨時の夜の一室にて

 

「教祖様、本日の信者は以上でございます」
「分かったよ。お疲れ様」
山奥の寺院にある、陽の光が一切差し込まない奥まった座敷にて。
一段高い御座所に置かれている洋風の座布団の上に座るのは万世極楽教の教祖。白橡の髪に虹色の瞳という稀有で麗しき外見を持つ教祖ー童磨ーはにこやかに、報告にやってきた頭を剃りあげた若い側近に労いの言葉をかけて下がらせた。
そのままふぅと溜息を吐いて洋風のふかふかとした座布団の上に深くもたれかかりながら、傍らに置いてある金色の鉄扇でパタパタと自分に風を送るために仰ぐ。
梅雨に入ったばかりのこの時期は、ジメジメ蒸し蒸しとしたスッキリしない天気が続く。夜になったにもかかわらずじっとりとした空気が肌にまとわりつき、しかもやけに気温が高い。
「ふぅ…暑い」
人の頃と比べて丈夫になったはずなのに暑さにはめっぽう弱い自分。恐らくそれは扱う血鬼術によるものだろう。世が世なら氷属性と称される童磨の技は見た目は華やかで綺麗だが殺傷能力は非常に高く、敵対する鬼狩りたちが駆使する呼吸に対し特攻を持っている。
それ故の反動なのだろうか、その術者である童磨は実は非常に暑さに弱かった。信者たちと対面する間は涼やかな顔で汗一つ流さずに接しているが、それは自分の術をこっそり駆使しているからに他ならない。そしてそれはエネルギーを使うためその分栄養を補給しなければならないのだが、この季節になるとまるで暑気あたりのような症状になり、食欲もがっくりと落ちてしまうのだ。童磨が栄養価の高い女を好んで食うのは強くなるためだけではない。季節によってがた落ちする食欲と体力の低下を補うためでもあった。
「はぁ…」
仰いでも仰いでも慰め程度の風しか来なく知らず童磨は体温調節をする犬のように舌を出す。眠らなくて済む身体というのは思いの外厄介であり、人間であれば眠ることで体力を回復させることができるのに…と思った童磨の耳に、べべんっという琵琶の音が響いた。
「ぐぇっ」
それと同時、翅のように軽い薄絹が垂れ下がった天井からどさりと音を立てて何かが落ちてきた。そしてカエルが潰れたような声も。
「くそっ、琵琶女め」
その正体は急にこの場所に転送されてきた童磨の同僚であり親友の上弦の参の鬼である猗窩座だった。
「やあやあ猗窩座殿。俺に忍んで会いにきてくれたのかな?」
ぱちんと黄金の鉄扇を閉じ、にこやかに挨拶をする童磨だが、対面する猗窩座は蒼い刺青が走るあどけなさが残る顔を思いっきりしかめて吐き捨てた。
「寝言は寝て言え。お前との情報交換のためやむなくこちらにきてやったのだ」
そうは言うものの猗窩座としては出来ればウマの合わない童磨と顔を合わせたくなかったので伸ばし伸ばしにしていたのだが、流石に報告期限ギリギリまで待った鬼の始祖により、サクッと行ってサクッと帰って来いという有無を言わさぬ言葉と共に、琵琶女こと鳴女の血鬼術によって無理矢理飛ばされてきたというのが真相である。
「さっさと情報を…って、どうしたお前」
「え、なに?」
来てしまったものは仕方がないさっさと用件を済ませて帰ろうと、苦虫を嚙み潰したような顔で童磨の方を向いた猗窩座が同僚の顔色の悪さに顔をしかめる。と同時に、脳みその奥のあたりがむずりと動いたかのような感覚を覚えて言葉を切り、ずかずかと御座所へと上がり込んだ。
「…お前、どれくらい食っていない?」
「え、え?」
何故か手に取るように童磨の不調の原因が理解できる。そして脳みその奥辺りから訴えかけてくる看病しなければならないという直感に従い、猗窩座はずいっと顔を近づけて答えを促す。
「いいから答えろ。俺とて暇じゃない」
「あ、えーっと…今月のはじめから?」
「何故に疑問形なのだ! 馬鹿か貴様は!! 神との交信のためのポーズだか何だか知らないが、断食なんぞする必要もないのに律儀に実践する阿呆がいるか!!」
「えー…」
いつもはこちらが話しかけても無視をするか手や足が飛んでくる猗窩座にまくしたてられ、いつもは饒舌で飄々としている童磨は思わず圧倒される。それは平素はつれないこの〝親友〟の思いもよらない反応もあるが一番の原因は本調子ではないからであろう。
「ちっ、四の五の言っていないで何か食え。女がいいとか選り好みをするなよ」
「いや、気持ちは嬉しいんだけど、実は毎年この時期になると食べられなくて…」
手のかかる鬼のために一狩りしてこようとらしくないことを考えていた猗窩座は、その言葉に今度こそ絶句する。敢えて食べなかったのではなく食べられなかったということを今初めて知った。そしてそんな弱点をあっさり自分に暴露する上席に位置する鬼に対しふつふつと腹立ちが沸き起こってくる。ただそれは自分を見下しているが故の余裕という奴かといった感情ではなくもっと別な部分から沸いてきたものだった。
「貴様! そんな状態で何の対策も取らないで食欲が戻るのを待っていたのか! 大馬鹿者にもほどがあるぞこの馬鹿!」
「酷い! 馬鹿って二回も言った!!」
「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い馬鹿童磨!!」
「馬鹿っていう方が馬鹿なんだぜ! 猗窩座殿の馬鹿――――!!」
噛みつくように吠えられて、たじろいでしまった童磨だがいきなりの馬鹿呼ばわりに流石にカチンときて応戦するも、如何せんいつもの余裕はこちらにはない。鬼でも不快に感じる暑さで頭が茹っていたにせよポンコツにも程がある言い争いをしていた二人だが、こんな夜更けに騒いでいては誰かが駆けつけて来るとも限らないと気付いた猗窩座が先に黙った。
「ちっ、良いからこれでも飲んで大人しくしろ!」
「んぐっ…!」
言い争いの最中にもしんどさから舌を出してはあはあと息をして半開きになった童磨の口内に自分の指を押し込む。
「そのまま噛みきっていい。あの方の血を飲んでその腑抜た面をどうにかしろ」
いやいやと首を振り吐き出そうとする童磨の喉奥にグイッと猗窩座は更に指を突っ込む。このままだと喉の奥を突き抜かれるかと思うほど入り込んでくるので、やむなく童磨は口内にて猗窩座の指先に自分の牙が当たるように調節し、そのままツプリと皮膚から肉にかけて突き立てた。
「っ」
息を呑んだのは二人同時だった。猗窩座は若干の痛みに、そして童磨は、若干薄いとはいえあの方の力を宿す猗窩座の血の味に。
「んっ、ふ…」
こく、こくと喉を鳴らしながら鬼の始祖の血が混じる上弦の参の血を飲み干していく。すきっ腹には少々きついものがあるがそれでも少量ずつ流れてくるので飲み干せない量ではない。
一方猗窩座も童磨の顔色が少しずつ赤みを帯びていく様にホッとしている自分に気づき愕然とする。

何故俺はコイツを〝看病〟してやりたいなどと思ったのだろうか。
そして弱っているコイツを見て放っておけないと思ったのは何故か。

そのまま弱り切っている隙をつき、寝首を搔くとまではいかないが留飲を下げることだってできたのにと今更ながらに気づくも、そんな正々堂々とやり合わないなんて弱者がすることだと猗窩座は奥歯を噛みしめながらその考えを打ち消していく。

寝静まった寺院の奥座敷に、ただただ無言のまま血を与える鬼と血を飲み干す二人の鬼。

調子が戻ってきた童磨が猗窩座の手首を両手でつかみ、グッと喉の奥深くまで咥えこむ。そのあまりにも扇情的な表情に慌てた上弦の参は一気に指を引き抜く。

「んぁっ」
ちゅぽんという音を立てながら赤く濡れた唾液が自身の指が引き抜かれ、小さく開かれた童磨の唇を繋いで消える。
「も、もういいだろう!」
どもったように吐き捨てる猗窩座に、童磨はうん、ありがとうとしおらしく礼を述べる。

どかりとその場に腰を降ろして胡坐をかいた猗窩座の顔は何故か暑気あたりのように赤くなっている。今日は暑いからなぁとぼんやり思っている内に少しずつ体調が戻っていくのを感じつつ、どことなく甘味を感じる彼の血が付いた唇をペロリと舐め取った童磨は本来の目的を果たすため、紅を引いたように鮮やかな唇を開いていったのだった。

 

 

珍しく鬼時代ですが険悪じゃなくむしろツンデレ座殿×ポンコツどまちゃんな感じです\(^0^)/
素敵イラストはこちら

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