「往生しやがれ!ド腐れ野郎!!」
刃を振りかぶった嘴平伊之助と栗花落カナヲが、毒で溶けかけた上弦の弐である童磨に襲い掛かる。
今、童磨の全身を蝕んでいるのは、先ほどの戦闘の最中、体内へ取り込んだ蟲柱・胡蝶しのぶが一年以上かけて仕込んだ藤の毒で、その致死量はおおよそ七〇〇倍のものだった。
骨から溶けていく感覚に襲われながら、どうにか身体を再生しようとする童磨に三つの刃が迫りくる。
完全に崩れ落ちた右腕と左目。”弐”の字が刻まれる残った目で鬼狩りを見据えながら回復の時間稼ぎのために、最後の大技を仕掛けようと黄金の鉄扇を振るおうとしたまさにその時だった。
バシャアアアアアア!!というけたたましい音と水しぶき。蓮が浮かぶ池から勢いよく飛び出してきたそれは、鬼狩り少年と少女の攻撃を衝撃波で塞ぎきる。
「え…っ!?」
果たして驚愕の声を上げたのはどちらだっただろうか?
池の水が一時的に壁のように立ちふさがり、それが引いていく中で見えたもの。
裾が絞られた白の下衣、桃色の短衣チョッキ、蒼い刺青が走る逞しい背中。
数珠をはめた足から展開された陣は氷の結晶だが、見間違えようはずがない。
「上弦の参が何で…!?」
童磨が口にするより先に、栗花落カナヲが驚愕の声をあげた。鎹烏からの報告とは全く異なった状況に混乱を隠せない。
そこには確かに竈門炭治郎と富岡義勇と共に撃破したはずの、上弦の参である猗窩座が童磨をかばうように立っていたからだ。
だが、驚いているのは鬼狩りたちだけではない。
「ど、……して、あなたがここに…?」
溶けかけた瞳が見せる幻かと思ったが間違いない。己の前にいるのは、死んだはずの友人だった。
「無駄口をたたくな。そんな暇があったらとっとと解毒しろ」
毒の耐性が付くのが速いからと言って致死量の七〇〇倍の毒を取り込めばそれなりに時間も力も消耗する。だから猗窩座の申し出は童磨にとってはありがたいことなのだが、未だに彼は混乱の極みにある。
死んだはずの猗窩座がここにいるのもそうだが、何より不可解なのはもう一つ。
(俺を…、守ってくれた? あなたが…?)
「…聞きたいことは色々あるだろうが今は我慢しろ…。終わったら全部教えてやる」
そうして構えを取る猗窩座は橋げたから池にかけて術式展開の陣を浮かべる。それはやはり雪ではなく氷の結晶を成していた。
猗窩座が地獄から舞い戻ったのは、つい先ほど取り戻した前身の記憶からだ。
「行け」
人間の頃の自分である狛治と分離した猗窩座は、まるで双子の兄のごとく彼に背中を押された。
「今度こそお前の大切な奴を守れ」
大切な奴。それは壱〇〇年以上に渡り蝕み続けた呪いが解けた今、誤魔化しようもないほどに心を占めるある鬼のことだ。
無名の鬼から上限の陸へ、そして上弦の弐であった自分を打ち負かし、躍り出た鬼の童磨。
彼は飄々としながらもその強さは折り紙付きであり、それはかつての師匠である慶三を彷彿とさせる。
そうして裏も表もない顔のまま猗窩座の地雷を踏み抜いてはいたが、決して嘘などはつかず、表立って人を馬鹿にするような態度も取らない鬼だった。
ありのままの自分を正当に評価してることに他ならず、全てをあるがままに受け入れる大らかで穏やかな性質を持つ。それは罪人であった自分をひっくるめて愛してくれた恋雪のようだった。
猗窩座が童磨を忌避していたのは、”自分を気にかけてくれる強者は悉く毒で逝く”という警鐘めいたものであるが、今まで弱者であった狛治の記憶を頑なに封印していたためそれが呪いとなって発動していたのだ。
だが、狛治と猗窩座が分離した今、その呪いは正しく警鐘として受け止められ、同時に童磨への想いが湧き上がってくる。
「俺は俺の罪を償う」
くるりと背中を向けた狛治はそのままごうごうと燃え盛る炎の中へと歩き出す。
「お前は、お前の使命を全うしてからこっちに来い…」
────…願わくば、童磨と共に。
その言葉を聞き届けた猗窩座はかつての自分に一礼をすると、くるりと背を向けて走り出した。
ごつごつした岩肌を滑るように走っていく道中で、まるで思い出の欠片を拾うように脳の中に入り込んでくる童磨の過去。
稀有な容姿を持って生まれたため、実の両親から神の子として生きることを押し付けられ。
大人たちによってたかって、あくびの出るような身の上話をこれでもかと聞かされ続け救いを求められ。
その中で徐々に感情が摩耗していきながら、見出した道が『気の毒な人たちを幸せにしてあげたい、助けてあげたい』というどこまでも他人の供物となる生き方で。
知れば知るほど奥歯を強く噛みしめる。
俺は一体何を見てた?
否、何も見ていなかっただけだ。
弱い自分も強者であるあいつを認められず、あいつのやることなすことに耳をふさいで手を上げ続けて、それでも尚あいつは俺に接し続けてきた。
どちらが強かったなんて一目瞭然だ。
感情があるにせよ無きにせよ、強いという事実を認められず、あいつに当たり散らしていた時点で、弱いという現実から目をそらした俺があいつに叶うはずがなかったのだ。
そして再び拾い上げていくのは、あいつと対峙している相手の情報。
花柱・蟲柱を姉(?)に持ち、その殺された腹いせか挑発かは知らないが、童磨に感情がないことを嘲り笑い、あまつさえ生まれたことすら否定にかかった小娘。
夫と姑に暴力を受け、瀕死の状態であいつの寺院に駆け込んできた母と共に手厚く保護されていたが、ボタンの掛け違いからあいつの”善行”を見てしまい、良いだけ罵って逃げだした挙句喰われた母親の息子。
鬱金色の瞳が憎々し気に歪む。まさか自分が、忌々しく思っていた上弦の弐に対して行われた仕打ちに関してこれほどまでの怒りを覚えるなんてことは想像だにつかなかった。
術式展開 破壊殺・乱式
呆然とするカナヲと伊之助を打ちのめすために拳打のラッシュを放つ。
痛みにうめく声を上げながら吹き飛ばされていく二人を尚も追うために、猗窩座は更に床を蹴って懐へと潜り込む。
「花柱の継子とか言ったな貴様! 女とはいえ容赦はせぬぞ! 何も知らぬ分際で!! よくもこいつを貶めてくれたな!!!」
生まれてきたことが間違いであるなんて、何の権利があってそのようなことを口にできた!!
自分の感情をひたすらに飲み込み、救いを求める者たちに文字通り救いを物理的な意味でも与えてきたこいつを、よくもそんな薄汚く薄っぺらい言葉で罵ってくれたな!!
懐に入り込んだ猗窩座の拳がろっ骨を巻き込みながらカナヲの肺を殴打する。
そんなカナヲの窮地を見た伊之助が刀を持ち直し飛び出していくが、闘気を感知した猗窩座は過たずに、その二刀流をガシリと握りしめた。
「犬は三日飼えば三年恩を忘れずというが、お前らは犬以下か? 嬲り殺しか野垂れ死にするしかなかったお前らを救い上げた恩人に、恩恵を受け取るだけ受け取って、唾を吐きかける真似がよくできたな!」
生活困窮者を受け入れ、保護し、その生活の面倒を見ながら教祖としての指名も果たす。これほどまでに有言実行を体現してきたこいつの善行を、よくも見ずに、知ろうともせずに!!
ばきり!と怒りに任せて日輪刀をへし折った猗窩座は、こと切れたカナヲの身体をぶら下げたまま、そのまま術式展開・脚式・流閃群光を見舞う。
よくぞここまでこのガキどもは此奴をコケにできたものだと心から憎々しく思う。
ああ、全くもって────…。
弱者であるほどよく吠える
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