ツインテールと兄さんの日
厳しい冬の冷え込みが和らいだ日本でいう小春日和の二月の某日。ここしばらく分厚く垂れ下がった鈍色の緞帳のような雲が開き、鮮やかな青が広がる空の下では、久しぶりの暖かな恵みに浮足立つ観光客や地元民でごった返しているギリシャ・アテネ。その市街地から数キロほどしか離れていない場所に位置する山の麓にある聖域に住まう者達もその麗らかな昼下がりを思い思いに過ごしていた。
コロッセウムや屋外にて陽射しの下で汗を流し鍛錬に励む者、ロドリオ村を始めとする近隣の村へ慰問する者。また座学に励む者は窓から差し込む日差しを浴びられればどんなにいいかと目を細めたり、柔らかな日差しが齎す眠気に誘われて涎を垂らして舟を漕いでいたりと、それ相応の平和な時間を謳歌していた。
そしてそれは、聖域の最高位に君臨する黄金聖闘士達も例外ではなく。
「カノン、まだか?」
「まだだ、いいから大人しくしておけ」
彼らが守護する十二の宮の中の三番目に位置する双児宮の中庭にて聞こえてくる双つの声。
冬の間に降り積もった雪はこれから少しずつ溶け始め、やがて緑の息吹が聞こえ始めるこぢんまりとした園にて、ガーデニングチェアに腰を下ろして読書を楽しんでいたのはこの宮の主であるサガと、その後ろに立ち、手には櫛を、バンテージを巻いている利き手の手首に翠のゴムを二つ携えて彼の柔らかな金の髪を二つに分けて結わえようとしているのは、そのサガの双子の弟であり、もう一人の双児宮の主であるカノン。
「そんなに凝る必要はない。軽くで良い」
「そうはいかん。せっかくのチャンs…いや、ただでさえお前は無茶を重ねているのだ。少しでも視界は拓けていた方が良いだろう」
「今、チャンスと言いかけなかったか?」
「ひどいな兄さん。兄を想う弟の真心を疑うなんて」
「下心の間違いではないのか? 全くお前は…」
そんな言葉の応酬の合間にも、カノンの指はサガの髪を慈しむように動き、少しずつ絹糸のような毛束を手に取り、ランダムに分け目を入れて行きながら、耳よりも若干低い位置でまとめて緩くゴムで縛っていく。
「ん…」
いつもは豊かな毛髪で覆われている項が晒されたことで若干の違和感が生じたのか、それとも不意に吹き付けた冷たい風に寒さを覚えたのか、少々艶めかしい声を上げて小さく体を震わせる兄の背後からきゅ、と弟が抱きついた。
「こら、カノン。いたずらは止しなさい」
「いたずらじゃない。休日は元来身も心も休めるものだ。せっかくの休みの日にこの日差しの下で積んであった本を読みたいというお前の気持ちも判るが、それで風邪を引いたら本末転倒だろう」
だからお前を温めてやってるのだとしれっと告げるカノンに、本当にこの弟はと、髪を結わえられたことで露わになったサガの耳がほんのりと赤く染まる。
そう、カノンがサガの髪を結っているのは、少しでも兄が本を読みやすくするための気遣いだった。有体に言えば切ってしまった方が手っ取り早いのだが、長さは同じでも自分とは違う手触りの、絹糸のごとく柔らかな髪を好んでいるカノンにとってそれは許されざることだ。勿論好きなのは髪だけではない。例えば日の落ちた自室にて、デスクチェアの上に座り後日必要な書類に目を通している際、ぼんやりとした灯りが照らす美しい横顔とその顔をヴェールのように覆う髪、手入れの行き届いたすらりとした指が髪を耳にかける仕草の一つ一つが魅惑的なのだ。その身に纏っているゆったりとした白い長丈服も相まって、こっそりと夜にだけお忍びで訪ねてくる天使を連想させる、そんなサガの全てをカノンは愛してやまなかった。だからその兄を構築する髪を切ってしまうなど、カノンにとってはとんでもないことなのである。だがやはり暗がりの中で本や書物に目を通す姿はとても美しくはあるが、春を媒介する緑を宿す綺麗な瞳にとって優しい環境ではないのは確かだ。こちらとて例外なくカノンにとっては愛しむべき対象である。なのでカノンは少しでもその兄の目の負担を減らそうと、艶やかな髪を二つにまとめ上げることを思いついた。
当然と言うか自分のことに無頓着なサガは最初難色を示したが、元より口が達者なカノンである。神をも誑かした口先であれやこれやと兄を丸め込みにかかった。これは興味本位などではなく、ただでさえ色々と無理をする兄を想っての行動だということを表に出したことが何よりもサガの心に覿面に響いたのだろう。好きにしろと可愛げのない言葉ではあるが嬉しさを隠しきれない表情で了承を得ることができた。
「そろそろいいか」
段々とサガの身体が温まってきたことを感じとったカノンが、ゆっくりと腕を解き離れていこうとした瞬間、かくんと兄の身体が傾ぐのを感じ取り、慌ててカノンは腕を伸ばす。それと同時に膝から落ちかけたサガのお気に入りの本も、咄嗟に異次元を開いて受け止めた。
「っ、おいサガ?」
基本サガの私服は首やデコルテ部分が開かれている薄手の物を好む傾向にある。いくら今日が暖かいとはいえまだ冬だからと、肩にショールを羽織らせ、膝にとろりとした素材のハーフケットをかけたのは他でもないカノンである。過保護とも言えるくらいの防寒対策に加え、誰よりも近しい信頼のおける相手に髪の毛を弄られた挙句に温もりを与えるように抱きしめられれば、疲労の溜まっているサガがいともたやすく睡魔に浚われてしまうのは至極当然のことだった。
「全く、まだ片方残っているというのに」
好きなだけ兄に本を読ませてやろうとした気遣いが無駄になってしまったかと、小さく唇を尖らせながら結わえたゴムを解こうとするが、その気配を感じ取ってちいさくむずがるようにサガの首が振られる。
「…」
了承を得たりと言わんばかりににんまりと笑った後、もう一度サガの身体を抱きしめて深く椅子に腰かけ直させたカノンの両手は、この世の全ての美しいものを紡いだかのように煌く金色を取りかるく口づけると、既に結わえ終えている髪のシンメトリーを整える作業を再開したのだった。




BGM:Premier Amour(MALICE MIZER:Voyage)
2018年2月2日がツインテールの日、2月3日がにいさんの日だということで思いついて書いた物です。
ツインテールと言えば初音ミクのように、耳より高い位置で結い上げるものだとばかり思っていたのですが、昨今のツインテールは耳の当たりで二つに分けて緩く結ぶのもありだそうで。
そんな風に考えたら、原作カラーのサガのツインテとかもう天使にしかならない(*´д`*)となりましたので、今回の話の双子の髪は金髪です\(^0^)/
ちなみに、カノンさんの髪は兄の髪を結うのに邪魔にならないように軽く後ろで結んでいたりしたらカッコいいなと思いました。
何か続きました
(2018/02/07)

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