連日連夜、ほぼ双児宮に戻らず教皇宮に詰めっぱなしの双子の兄に業を煮やしてやってきたカノンの眉間に刻まれているシワはとても深かった。寝不足で霞んだ瞳でもそれははっきりと見えるのだから、相当腹を立てているのだと理解したサガだが、何故そんなに弟が怒っているのか判らず、内心戸惑っている。 「お前のそれは贖罪じゃない」 そんな己の心情を見透かしたようにそう吐き捨てたのと同時、つい今しがた目を通していたはずの書類が手の中から、ふっと消える。消えたのではなくて執務机の上にダンッと手を置いたカノンの右手が、自分の手からそれを取り上げただけだということにしばらくの間気づけなかった。 「ただの自虐趣味だ」 ざっと書類に目を通し、これは後でも十分間に合うと言い置いて、保留のファイルに仕舞い、山積みになっている紙の束を押しのけたカノンはそう言った。 「…なに?」 「聞こえなかったか? ならばもう一度言う」 眠気に冒された頭では、弟の言うことは一度では理解できなかったらしい。だがそんな様子のサガにカノンはそれ以上憤慨することなく、兄の頬に手を伸ばしてぐ、と掌で包こんだと同時、コツンと額を宛がってきた。 「お前のそれはただの自虐趣味だ」 「カノン・・・!」 サガがここで初めて非難の声を上げるが、勿論それは言われた言葉に対してではない。いくら専用の執務室を与えられているからといって、完全な私室ではない以上いつ誰が来るかわからない場所で、兄弟としてのスキンシップでは誤魔化されるか否かのカノンの行動にサガは慌てふためき、弟の手を振りほどこうとするが、疲労が蓄積されている身体ではそれは無理な話だった。 「無謀と勇気は違う、そう、お前は教わらなかったか?」 宛がわれた額から入り込んでくる温かな小宇宙と共に紡がれるカノンの声。 「それをお前は、俺や他の連中に教えたことを忘れたのか?」 若干険は混じるものの、その声音はまるで穏やかで優しい子守歌のようだと、疲労しきった脳はそう受け止める。 「…忘れてなど、いない。けどそれとこれとは」 その声に全てを委ねて眠ってしまえ、そう促し始めている本能に流され始めてしまっている気持ちをどうにか押さえつけながらサガは、あまりにも温かい小宇宙と両手から逃れようとするが、双子の弟はそれを許してはくれなかった。 「違うからといって、お前に無理を重ねさせて良い理由にはならん」 改めて後頭部に手を宛がい、故意に強く額を打ちつけるようにカノンはサガを引き寄せる。ごちん、と音を立てた額はそれなりに痛んだので、恐らくあちらもそうだろう。だが、そんな自分の痛みを厭うよりも、こちらが大事だと言わんばかりにカノンの手は尚もサガを離そうとはしなかった。 「お前も俺も聖域も、あの頃とは違う」 じっ、と真っ直ぐにこちらを射抜く視線が海の緑を介す瞳から発せられる。それに捕らわれたサガは、慌てて逸らそうとするが、今度はしっかりと頭を押さえつけられているため視点をずらしても逃れることはままならない。 「寝る間を惜しまなければ復旧が進まなかった頃とも、 俺を双子座に添えるためにお前が心を押し殺していた頃とも…、 そして、そんなお前の情に胡坐をかいて甘えていたあの頃の俺ともな」 強引にカノンの手から逃れようとしていたサガの動きがピタリと止まる。その一瞬を逃さずカノンの手は更にぐ、と兄の頭を引き寄せながら、切実さを込めて眉尻を下げた。 「頼むから、もう頑張るな」 俺を信じるに値すると思ってくれているのなら、と続けられた言葉と弟の顔を見て、サガは小さく息を呑む。 ここでそれでも自分はまだ…と突っぱねてしまうのは簡単だった。あの頃のように、カノンの言に聞く耳を持たず、自分を失墜させようとしているのかと思い込むことだってやろうと思えばできるはずだ。 だけど弟の言うように、もう何もかも違う。許されざる罪は確かに背負った。だけどそれを赦してくれた女神や仲間がいる。そして何よりも自らの弱さゆえ手放してしまった片割れが身も心も血で禊いで女神の聖闘士として生まれ変わり、心底自分を想って側にいてくれているのだということが痛いほど伝わってくる。 それでもまだ言葉が出てこないサガの頭からカノンの両手が離れていき、そのまま置きどころのなかった自分の手が逞しくもどこかふわふわとした両掌に包まれる。つい先ほどまで自分を押さえつけていた掌とは思えないほどに、その手は優しさに満ちていた。 「それでもお前が自分を赦せないと言うなら、別の贖罪を一緒に考える。…だからもう」 こんな風に、身を削るような真似はしてくれるなと必死に訴えかける弟の言葉の一つ一つが、最後まで頑なだった心に染み入ってくる。 (ああ…) 自分はまた、弟のためと称して、道を違えるところだったのか。 「…カノン…」 すまない、という謝罪は似つかわしくないとサガは思った。贖罪の仕方を今の今まで間違えていたことに気づけずにいた自分を、強引にでも引き戻してくれた弟へ与えたいものはそれではなく。 「…ありがとう…」 「ああ」 今はただ、この一言が相応しいと思い伝えれば、良くできたと言わんばかりに優しい笑みを浮かべた弟の顔が眼前まで再び近づいてくる。 今度は優しく触れられた額から流れ込んでくるのは、先ほどと同じ、温かく安堵できる弟の小宇宙。 「後は俺が片付けるから」 だからお前は休めというカノンの声は、送り込まれてくる心地のいい小宇宙に身も心も委ね、その結果訪れてきた睡魔を受け入れて瞼が降りてくるサガの耳に辛うじて届くに留まった。 ずるりと体制を崩してしまった自分の身体を難なく受け止めた弟の腕の逞しさや温かさを遠ざかる意識の中で感じながらサガは、要らぬ心配をずっとかけ続けてしまっていたカノンを、目が覚めた瞬間から今まで以上に彼を信頼し、大切にしようと心底誓ったのだった。イノセンス 罪の意識は ナンセンス それはそれ。これはこれ。二度と其の意味違えるな。
BGM:ナンセンス 意味に非ズで イノセンス(グルグル映畫館:ナンセンス 意味は無いケド 意義が有る) 2代目拍手小説のカノサガでした~。 初代の拍手小説もBGMがグルグル映畫館だったので、いっそ拍手小説はグルグル映畫館withカノサガにしようかなと思っていたのですが、あえなく断念\(^0^)/ あと2つほどグルグル映畫館の楽曲をモチーフにしたカノサガのストックがあったりなかったりするのですが、それが形になるのはいつになるやら…(^_^;) この話を書こうと思ったのは正に「それはそれ、これはこれ~」の歌詞を聴いて。 もう、まんまカノンからサガに言ってもらいたい歌ってもらいたい歌だったりするんですよね(*゜∀゜)b タイトル部分もうまいこと最後に持ってくることが出来たので割と気に入っています(*´∀`*) (2018/01/03) (2019/06/30再録)
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