繰り返し、繰り返される愛虐の日々。
だがそれは、互いに互いを求めて止まない心を抑える事が出来ない彼等に残された、唯一の最後の手段だった――。
囲 女~婀 娜 ざ く ろ~
-其 の 八-
「また・・・、その話ですか・・・?」
いつもの様に常連客と臥所を共にしたシドは、敷布に寝そべる男の右隣に身を横たえながら、うんざり・・・と言った表情は表に出さず、ただ淡々と問いかけた。
「あぁ・・・、わしは本気だとも。老い先短い余生をお前と共に過ごしたい。何よりも、長らく付き合ったお前へのけじめの為に身請けを申し入れたい・・・。」
つい・・・と、脂ぎった冷たい毛むくじゃらの枯れた手が肩に触れ抱き寄せられる感触に、嫌悪感から来る肌の粟立ちを悟られないように、シドはその白い手でそっと男の身体を押しのけた。
「そのような・・・、私如きには勿体無い話です・・・。そのような戯れは・・・。」
それに私は・・・。
その後に続きそうになる言葉を必死で飲み込みながら、シドはその男からの提案をやんわりと断り続けていた。
通常、女郎を身請けするには、彼女達が背負った借金やその店の利益を求める分だけの金額を主に払う事となる。
その額は相当の物であり、生半可な財産を投げうる事では決して出来ない。
だから、女郎を身請けるのは、相当の資産家か上流階級の人間に限られた“道楽”でしかない。
しかも、身請けられたからと言っても、女郎達は決して自由になる事は無く、不特定多数の客の相手からは解放されても、今度はその身請け主に一生を捧げることとなり、雁字搦めである事は変わりない。
男が渋々と言った感じで帰路に着くと、シドははぁ・・と溜息を一つ着く。
気だるい身体に夜着を纏い、情痕の匂い立つ白い身のまま、今宵もまた禊がれる為に兄の下に向う。
乱暴に組み敷かれながら、その身を暴かれて開かされ、愛の言葉も無い、慈しむ睦み合いでもない、ただ獣のまぐわいの関係。
うつ伏され、腰を高く突き上げさせられた体勢のまま兄を受け入れながらも、シドは高ぶっていく熱のまま鳴き続けている。
愛から来る行為などではなく、ただ傷口を押し広げて塩を刷り込むような時間であったとしても。
どんなに憎まれても、恨まれても構わない。
想いが報われる事などと大それた事は願わないまでも、唯この人の・・・。
「何を・・考えている・・・?」
不意に、手を胸に回されて後ろから抱き起こし上げられると、深くねじ込まれている兄の先端で尚も奥を抉られて、びくびくとシドの身体は跳ね上がる。
「んーーっ・・!」
猿轡を口に噛まされて、言葉を発する事を許されないシドは、
うなじから背中に這わされる舌のぬめりと、前に回された手でいたぶられていく自身から滲み出す液に濡れた指先で、胸の突起に触れられる刺激を敏感に受け止めて、ポロポロと涙を零し頭を振りながら応えて行く。
「んぅ・・っ、く・・・んっ・・・!」
鼻につく、どこか媚びた甘い匂いが沸き立つような声で喘ぐシドに対する兄の責め苦は段々と激しくなっていく。
「俺と居る時間に、他の事は考えるな・・・。」
顔が見えない分、耳元で低く囁かれる声の持つ言葉の意味が、どこか違った響きで届いたが、シドは慌ててそれを否定する。
そんな筈はないと。
まるで想い人に対しての、嫉妬を持つような物言いだなどと・・・。
「ふ・・・っん、んーーッ・・・!」
ぬるぬると粟立つ自身を弄られ、一際強く腰を揺さ振られて、後ろから兄の欲情を注ぎ込まれるのを感じながら、一瞬湧き上がった気持ちを白く塗りつぶされたシドは、くぐもった悲鳴をあげて絶頂へと辿り着いていた。
夢が終わった後に襲い来るのは、どうしようもない虚脱感。
体温が離れていくのと同時に、剥されて行くのは、癒えることなくただただ血を流していく、想いの傷跡のかさぶた。
身支度を整えて自室へ戻ろうとするも、背を向けて横たわる兄の姿をじっと見つめながら、その場に動けずに居る弟の視線に気づいたバドは怪訝そうに後ろを振り向く。
「・・・?何だ?」
「・・・いえ、お休みなさい・・・。」
無表情のまま、静かに首を振り今度こそ立ち上がり部屋を出て行くシドを、同じ傷跡から血を流しているバドは黙って見つめていた。
彼等が抱える気持ちは、唯痛いほど純真で。
だからこそ、伝えてしまえばお互いが潰えてしまう事を判っているから・・・。
身体だけを重ねていく事に溺れていってしまっても、傍に居られるだけで良いと・・・。
「今・・・、何と・・・?」
「だから楼主である貴方にお願いしたいのだ。貴方の弟君がわしの身請けを受け入れるようにと・・・。」
時は黄昏。西側に面した窓から差し込む夕日が、血の様に室内を赤く染め行く中、バドはあの男と対峙していた。
亡き父と親交のあった、この界隈で有力な権力者の資産家であり、父母が亡くなったあの夜に、弟と関係を持ったこの男と。
この男の口承で、あの日以来、その界隈では知らぬ物は居ないほどにシドの評判は広まって行ったのだった。
黒い革張りの来客用の椅子を、ギシ・・・と軋ませながら、男は尚も言葉を続ける。
「わしは、あの子を気に入っている。戯れなどでは決して無い。それに君の大切な弟君だからというわけではないが通常の身請け額の三倍は出す。」
後生だからこの通りだ、と頭を下げる男に対して、無表情な面持ちのバド。
その心は様々な感情が湧き上がって来る。
清かだった弟の身を奪っていった・・・それが例えシドが望んでいた事であっても・・・、この男を殺してやりたいほど憎んでいる一方で、もうこんな関係を終わらせるべきだと叫んでいる自分も居る。
想いも打ち明けられないで、こんな関係をこれからずっと続けていったところで、一体何が実ると言うのか?何が拓けると言うのだろうか?
「・・・判りました・・・。前向きに検討しておきます・・・。今日のところはお引取り下さい・・・。」
一緒くたになる感情をそのまま飲下し、逡巡の果て、抑揚の無い声で告げたのは、以前の自分ならば考えられない言葉。
その一言を聞いた男は、若き楼主の見えない位置で底黒い笑みを浮かべると、良い返事を期待していると言い残し、扉を開けて立ち去っていった。
「・・・・・・・・っ!!」
主だけが残された来客室、木炭の四足に硝子張りのテーブルの上に乗せられている、材質の違う硝子で作られた灰皿を無造作に引っつかみ、力任せにドアに投げつけた。
ガシャーン!!
まるで己の心そのままの如く、耳障りな音と共にバラバラに砕け散っていくそれ。
「・・・っ、やがって・・・」
誰に対し、何に対しいらだつのかも判らないままに、ガツッとテーブルに拳を叩きつけた。
「ふざけやがって!!」
感情の高ぶるままに叫び、打ち付け続ける拳は見る見るうちに傷付いて、血が流れ出てくる。
高騰した息遣いのまま、握り締めた血まみれの両手を渾身の力で振り下ろし、身体を折り曲げて蹲る。
しぃん・・・と静まり返る空気に、ようやく頭の中は冷えていき、バドは自嘲的に吐き捨てる。
「俺の立場なぞ・・・。」
金よりも何よりも、量ることなど出来ないはずなのに。
身体だけでなく、全てが欲しいと想える相手なのに。
砂を噛むような想いは堂々巡りを繰り返すばかりで・・・。
「所詮・・・こんな物だ・・・。」
どうして抱える物は多いのに、失いたくないたった一つの者をこの手で掴めないのだろう・・・?
もう・・、解放してしまおう・・・。
ポツンと漏らした彼の声の震えは、誰の耳にも届くことなく。
ポタリと、血がこびり付くテーブルの上に落ちた透明の雫は誰も見る事は無く。
ただ、夜の帳がまた降り様としていた――・・・。
ゴトゴトと音をたてて、ただ飾り立てただけの成金趣味の馬車から見る景色は、紅葉の季節とあって、それなりに見るものの目を楽しませてはいるが、白い華人には何も映ってはいなかった。
その瞳は色を失くし、ただただ虚無そのものであったが、隣に座る新たな主人は、彼を身請けできた事がとりあえず喜ばしい事であったので、何も気づいてはいなかった。
突然、兄から身請けを受け入れろと言い渡されたのは、つい昨日。
いつもの様に、兄の部屋へ赴こうとした時、不意に戸口に気配を感じ振り返ると、無表情のままで立ち尽くしていた兄がいた。
『あ・・・。』
肌蹴たままの夜着を胸の前で慌てて留めながら、すっと立ち上がり、今行きますと告げて歩みを進めたのと同時・・・。
『!?』
不意に一歩部屋に踏み込んだバドによって、腕を掴まれて、その胸の中に身体を預けさせられた。
それはあまりにも温かすぎて、抵抗の言葉も何も出ては来なかった。
しかし次の瞬間に兄の口から出た言葉は、あまりにも冷たすぎる物だった。
『明日から、お前は客間に出なくてもいい。』と。
一瞬何のことだか判らず、聞き返そうとする間も無く、身体を離され、そのままくるりときびすを返してその本意を聞かされた。
『お前の身請けを引き受けた。明日迎えに来るそうだ・・・。』
暗くなる眼前。
どうして・・・?と、問い返したくても喉がひりつき言葉にならなかった。
目はからからに乾き、涙すら流せなかった。
『今のうちに、身の回りの所持品だけまとめておけ・・。』
表情の見えないまま、響いてくるその声に縋りたくとも足は動かず、ただ絶望だけが冴え冴えと蝕んでいた。
最後の会話はただそれだけ。
再会を誓う約束も無ければ、本当の気持ちを打ち明ける間もないまま、夜は明けて迎えの馬車がやってきた。
着いた屋敷は、馬車同様に西洋かぶれのごてごてした外観。
シドは無表情のまま、その中の一室に通された。
今日は疲れているだろうから、ゆっくりお休み・・・と、猫なで声で労った後、主が去っていく足音を聞いた時、足元から崩れ落ちるようにしてその場に座り込む。
「・・・っ!」
今になって涙が溢れ嗚咽が漏れる。
着物の裾ごと自らの身体を抱きしめながら、シドはそれでも必死に声を押し殺しながら泣きじゃくる。
「ふ・・・う、・・・うぇっ・・・。」
彼にとって、自分はただの欲望のはけ口の人形でも何でも良かった。
ただ、ずっとそばに居たかった。
気持ちを伝える術は無くても、その存在が常に確かめられる位置にいたかった・・・。
でも、もう貴方はどこにも居ない・・・。
指きりげんまんの約束も、愛しい人にももう届かない彼が
柔らかすぎる絨毯の上に流すのは、枯れる事の無い真珠の雨。
その長い毛足は幼い頃兄と誓った、あのシロツメクサの草原を思い起こさせた――。
続く。
戻ります
|