冥恋-2-



あくる時の聖戦の日、まるで白い灰の様な吹雪の中で、とある双子の兄弟が別々の世界へと袂を別たれた日。
まだ息のあった弟の器を、影として生きる事を余儀なくされ、ずっと光である彼を憎んでいた兄は今までの贖罪として、その空ろの肉体に自らの生命を注ぎ込んだ。

――所詮俺はただの影だ。
最初からお前には“兄”など居なかった。

お前をずっと苦しめて来た、そんな忌まわしい存在など忘れ、これからは・・・

幸せに生きろ――・・・・。


それが事実上彼の残した最期の遺言とも取れる願いだった。
骸となった弟の身体の上に更に冷たく纏う光の甲から伝えられていく温もり。
代わりに純白の雪の様な影の甲の兄から緩やかに失われて逝く息吹。

――あぁ・・・、それでも・・・・。
弟の代わりとなって注がれていく生命の鼓動と引き換えに失われ行く意識の中で兄は思う。

――もう一度お前とやり直せたらと・・・・。
吹き荒ぶ雪が募り積もった、アスガルドのこの鍍金だけの重なり合った白を焼き尽すほどに。

固く抱きしめていた腕が緩められ、兄の最後の力が全て弟に注ぎ込まれ、その影としての宿命を負った肉体が空になって投げ出される瞬間までに、捨てきれずにずっと繋ぎとめていた彼の想いは果たしてこの国を見守る神に届いたのだろうか――・・・・?


冥 恋  -Ⅱ-


極寒の閉鎖された王国・アスガルド。
この国は、嘘かまことか与り知らぬ忌まわしき因習によって聳え立つ砂上の櫓でもあった。
その中で最も違えてはならぬのは、双子への厳しい戒めだった。
同じ腹から二つに別って生れた者達は、前世にて罪を犯した故に、その魂は畜生にまで劣って贖いの為に堕とされたのだと、古くから信じ込まれていた。
その為にどちらか片一方を選び、その者の魂を恥無き昂みにまで育て上げて天上へ還す為に、もう一方の赤子の命を選ばれた者へとまず移し変える為にすぐに殺されるのが当たり前だった。
しかし、ある双子の兄弟が生れた大貴族の当主はそれをせずに、せめてもの情なのか、それとも自らの手を汚すのを躊躇い、自然の中に還すと言う事で選んだ赤子の中へ神の意思をもってその命を注ぎ込みたかったのか・・・、捨てる宿命を負わせた我が子をその雪の中へと置き去った。
生き延びる保障など何処にも無かったが、そのまま息絶える保障なども何処にも無い兄であるその子を選ばれた弟である子は、一生知らぬ存ぜぬで隠し通そうとした大人達によって一応は大切に育てられていた。

だが、そんなささやかな脆弱な人間の叛きもこの国の守り神である耄碌老神のお気に召さなかったであろうか――・・・。

引き離される事で均等を保っていた双子の兄弟が廻り合った日、兄はひたすら憎しみにその魂を激しく焦し、弟は贖罪と罪悪と懺悔の涙でその魂を濡らし、そして・・・・・。


「・・・にぃ、さん・・・・。」
一人佇む薄暗い部屋の中、黒い喪服に身を包んだ彼の夕日色の瞳はいっかな晴れることは無く哀しみの雨を零し続けていた。
このまま涙腺の決壊を通り越し、眼球がもげ落ちて盲になろうかと言うほどに、身体中の水分が全て溢れ出たと言うほどに嘆いたと言うのに、彼の中に在る感情全部は留まる事を知らぬように、唯一人の者を想って悲涙となって押し流されていく。
“その身を死の穢れの色の黒で包み、禊ぎの為に七日七晩は生者と関わりを持たずに息を殺して喪に服せ。”
それが北欧の極楽浄土ヴァルハラに最も近いとされるワルハラ宮の、肉親への弔いの習わしであった。
だが、今嘆き哀しむ者の肉親である兄は、忌まれる双子の因習ゆえにその存在は本人の死を以って文字通り闇へと葬り去られた。
様々な複雑な思いが交錯したが故に起こったアスガルドと聖域の乱。
それは乱心となった聖巫女の慈愛に満ちた祈りを以って終結を迎え、星に選ばれた神闘士と呼ばれる騎士達は蘇りアスガルドは真の平和への道を歩むが為に生まれ変わろうとしていた。
そう、表向きは――・・・。

ただ一人、ζ星ミザルの影として選ばれたアルコルの神闘士、バドの魂は、そのまま静かに睡への旅路へとついたのだ。
それは、光の星に選ばれたシドへその命を捧げたからか、もしくは違えられた因習の代償として老神がその魂を持ち帰ったまま離さなかったのか、いずれにしろバドの身体には小宇宙が灯る事は二度と無く、その空となった器は密かに火葬に伏される事となった。
そう、全てはまた習わしどおりに・・・。
この国の葬送は、現世にて役目を果たし終えたその器は借り物として大地に還元する為の意味合いを以って土葬に伏されるのだが、世間に顔向けできない者達は死して尚もその存在を抹消するために、煉獄の業火を思わせる炎で焼かれて粉骨される。罪を背負って生れた穢れた魂を清めて来世にまたその生を受けんがための浄化と言う都合の良い解釈を後付された手法で。

暗く一人こもる事となった死者を弔うための離れの一室、シドはいまだ乾く事無く熱くその白い頬に残る涙の痕をそのままで、空ろに紅に濡れた両の瞳で手の中に在る兄を見つめていた。
その白い灰となった骨を小さな小さな青い小瓶に詰め終えられた兄を、密かに火葬に伏したその聖巫女本人から手渡されながら言われた事を反芻する。

あなたはバドの喪に服す間、彼の事を世間に知らしめてこの因習を改善するか、それとも黙秘したまま傷を癒す事に専念するか・・・、答えが出れば教えて下さい・・・・、と。

オーディーンの加護をその器に受けて全てを束ねる女王だとしても、彼女もまた脆弱な人の仔で。
この混乱の最中にあるワルハラ宮の内部を立て直しながらも、改竄される事のない精神を酷く消耗する祈りは待っていてはくれない中、精一杯の事を自分達に対して施してくれていたのはシドは判っていた。
それがまだ神の強いたレールの上を走る物であっても、感謝こそはすれ恨むのはお門違いだと言う事も頭では判っていた。
違う、恨んでいるのではない。
最期にたった一時だけでも逢えた兄を価値無き者としての方法で葬り去ったとしても、それは仕方が無いことだと言うのも良く判っている。
哀しいのは一人だけじゃない。不幸なのは自分だけじゃない。
頭の中では判ってはいるのだ。
だけど・・・・。

この世界でたった一人だけ取り残されたと言う思いだけはどうしても拭え切れない。
そして彼は一体何を想って私などの為に命を投げ捨てたのか・・・・。
いっそこのまま・・・、貴方のことだけを考えながら全ての命をが干からびながら、自分もまたその身を亡くして貴方の傍へ行きたい・・・。

そう思いながら、殆ど無意識のうちに利き手が小瓶の小さなコルクの蓋にかかり軽く捻ったと同時、さらりとした兄を一欠けら掌に空けて、こくんとその口の中に押し込んだ。
・・・無機質的な味とはかけ離れた、どこかほんのりとした甘みが舌先からじわりと痺れるように広がっていく。
そう感じるのは、きっともう、唯でさえ壊れていたのが、彼の死をきっかけにして本格的に崩壊して行っているのだろうか。それともその粉骨が兄だからと言うのもあるのかも知れない・・・・。
「バド・・・・・。」
上等な香を焚いたってこのような甘美さは感じないと、段々と現と睡の狭間もつかなくなった病人の様に、じわじわと甘水の様な感覚に思考を鎮められながらシドは黒きその身を横たえていく。


・・・・・・ド・・・・・。
一条の光も見えない、闇の世界。
その中で耳元に響く、どこか懐かしいその声と共に、ふわりと空気を柔らかく混ぜ込んで優しく髪の毛を撫ぜていたその手が頬に下りて来て、涙で乾ききった頬に落とされる感触。
「・・・・ん・・・。」
冷たい床の上に敷かれている真っ赤な毛足の絨毯の上に、猫の様に外敵から身を守るように丸まって睡りに堕ちていたシドの身体は、まだまどろみを貪っていたくて気だるさを訴えたが、彼の本能が早く目を覚ませと急かしたてて、ゆるゆると長い睫毛に縁取られた切れ長な目蓋を開かせて、その中の夕日色を現していく。
――・・・・・シド・・・・・。
いまだ霞む視界の中にまず飛び込んできたのは、闇色。
「・・・?」
半分覚醒しきっていない中、顔を上に上げてみると次に映ったのは、その黒衣に美しく映える若草の緑青が混じったさらりと棚引く銀の絹糸。
「っ?!」
まさか・・・・、まさか・・・・・!!
はやる気持ちを押さえつけつつも、触れられた頬から伝わってくる波動・・・緩やかな鼓動にも似た・・・・、が幻ではないのだと何度も自分の中で確認しながらも、いや馬鹿な!そんなはずはないと否定する気持ちの中、それでも堪えきれずに大きくこじ開けた瞳の先に映るのは――・・・。
「う、そ・・・っ・・・」
紛れも無い、自分の為にその生命を散らした・・・・。
「うそ・・・だ・・・!」
からからにひりつく喉から零れ出したその言葉は、まず再会を祝して放たれた兄の字ではなく、本心から望んでいた夢を自身で打ち消そうとする、期待の反動によって起こる落胆を防ぐための自己防衛の表れの言葉だった。
「ど・・ぅして・・・・?」
しかしそれでも、その言葉に気を悪くしたような素振りは見せず、ただ優しい微笑から少しばかり苦笑した表情に変わっても尚自分を見つめてくるバドの姿に、始まりを告げた夢の様な出来事をこのまま成就させたく想う心を押さえつけることなど出来ないと表す言葉をまた投げかける。
――・・・無理もない、か・・・・。
戸惑いの視線を受け入れながら、苦笑して細められた同じ・・少しだけ色素が薄く見える・・・若干鋭いバドの瞳は少しだけ悲しそうに伏せられる。
だけども頬に添えられたままの手を外す事はせず、そのダークオレンジはただシドだけを捕らえ続けている。
「だって、あなたは・・・っ!」
死んだ
そう言い掛けそうになるものの、その言葉の持つ鋭い刃の様な残酷さ故にシドはその声を懸命に飲み込んだ。
でも現に、バドが既にこの世ならざる者になったという真実を証明するものは、傍らに転がる小瓶が証明しているため、どう足掻こうとその真実を覆すだけの証拠をはシドは持っていない。
――・・・ああ、確かに俺は、器の残骸をそれに詰め込まれた・・・・。
低いながらもどこか透明なその声で、すっとその小瓶を指し示す。
――・・・・だが、そのお陰で俺はこうしてお前の前に現れることが出来た・・・。
そこに至るまでの経緯を、バドは口外すべきではないとひたすらに隠し続けながら、捨てられた子犬の様な瞳で呆然としながら見上げてくるシドを見つめ続け言葉を繋げていた。
――・・・怖い・・・・か?朽ちて尚、こうして死霊となってまで未練がましく黄泉返るこの俺が・・・。
「まさかっ!」
哀しみに伏せられた瞳が、自嘲的な言葉と共にますます色濃くなるのをシドは耐えられないと言った様に、大きくシドは頭を振った。
血の通わぬ透き通った肌の色、触れられるが温もりを感じない手、闇を象徴する黒衣・・・。
それでも・・・。
「・・・・逢いたかった・・・・!」
そう、逢いにきてくれた。
そうなっても尚彼は自分に逢う為に来てくれた・・・。
何度目かの・・・だが、彼の前では初めて流す涙を零すシドを、触れていた少し無骨なその手で拭いだすバドの手つきはとてもとても優しくて。
どの様な手段を使って自分に出会いに来てくれたのか、それを知ることはまだ怖い気がして聞けなかったが、それでもあの日に見ただけのその姿・・・、純白よりもずっと似合う色を・・・例えそれが不浄の色だとしても・・・、纏う兄が自分に逢いに来てくれた――・・・。
「バ・・ド・・・。」
――・・・ん?
ギュ・・・・っと、触れることの出来る形ある衣を痛いほどに掴み、まだ信じきれない面持ちで震える声で名を呼べばすぐに答えてくれるほどそばに。
「にい、さん・・・?」
――あぁ、・・・。
そうしてバドはそっと手を伸ばし、温もりを持たぬこの身の中に閉じ込めるようにして強くシドの身体を抱きしめた。

多分、ずっとこの手で、この瞳でこの声で、シドという存在を近くに感じるほどに生きて居たかったのだと、あの日薄れ行く意識の中、最期まで焼き付いた後悔。
だから閉ざされていた瞳に口付けを、届かない耳元で繰り返し名を呼び、力なく投げ出された躯の如く冷たい身体を抱きながらひたすらに温もりを与え続けていた。
全ては自身の醜い嫉妬から招いた天罰なのだとして、冥府への穴へその魂を引きずり込まれる中で、ただシドのこれからの幸せだけを希った。
――・・・シド・・・。
冷たい死の吐息を紡ぎながら、あの時“兄さん”と呼んだ間近にある薄い肉付きの綺麗な花弁に、バドは血の通わぬ己のそれを重ね合わせた。
一瞬だけ、びくんと身を竦ます気配が、血の通わぬ手を通して伝わってきたが、それも束の間の事で、シドはおずおずとだがこの腕を掴んで来たその手を首の後ろで組み直しながら、それに答え様と顔の角度を変えて更に深く口唇を押付けてくる。
双子の兄弟として交わすそれとは違う熱を持つ口付け。
それはずっと本能的な部分で漠然とした確証にも似た感情。
生まれる前は元は一つだった生命を分け与えて生まれてきた自分達を、離れてはいけないのだと定められていた絆を、よってたかってずたずたにしたのは、ただ周りにいた老神の汚い飼犬共。
その中で俺もシドももがき苦しみ、そして今も尚こうして生と死の住民として隔たれた無情な現世よ――!!

きっとシドは俺を受け入れる。
きっとシドだけが俺を理解してくれる。
きっとシドだから俺は――・・・。


「ん・・・・。」
熱くなり始める口付けを解いたのは、どちらが最初だったのだろうか。
夢を見る面持ちから驚愕に満ちたそれで自分を見上げてくる弟の髪を、差し込む朝日の中薄れていく身で撫でながら、バドはその中に溶け込んでいく。
「に・・さん・・・!?」
泣きそうになりそうなシドの耳元で、バドはそっと口づけるように口寄せながら優しく言霊を贈り付ける。

――また、今晩・・・・来る、から・・・。

泣きそうに顔を歪めて懸命に腕を伸ばして引きとめようとする弟を最後まで慰める事が出来ないまでも、朝日の中に溶け込む雪の様に消えていくバドは何処までもシドに優しかった。



つづく





戻ります。