ヒタヒタヒタ・・・と、音も立てないまましっかりとした歩く足取りは、昔の影の中で生きて来た者としての性の名残なのかそれとももって生れた癖なのか・・・。
足元すらも照らし出す光も無い、ごつごつとした岩肌の、奥に入れば入るほど閉塞感が増していく闇の中、ためらいも無く進むバドの目の前に現れたのは、今しがた懇々と湧き出たかのような清んだ蒼を湛える恵みを潤すかのような泉だった。
もう何が来ても驚くまいと思っていたが、その泉はまるで、自分達のかの神の甲が出現した湖を彷彿させ、否が応にも置いてきてしまった彼を思い起こさせる。
『・・・・・シド。』
たまらなくなりその字を小さく呟いて、振り返ろうとするが、狭い洞窟の様なこの場所を更に狭めるかのようにタールの様に咽る漆黒の濃霧に覆われ始め、仮に後ろを振り返ってももう辿ってきた道は跡形も無く塞がれているだろう事を物語っていた。
『・・・・・・・。』
未練なんか無かった。
これで良いと信じて、この命を彼に注ぎ込んだ。
後は弟が幸せになれればそれで良いと、それだけを願った。
だけど郷愁と思慕と憐情の痛みがまたこの胸を突き上げてくるのを感じ、バドは蒼の水鏡の先から進めず、天高く聳え立つ牢獄の如く岸壁の向こうの見えない天を仰ぎ見る。
無数の色の闇が重なり合うかのような暗黒の虚空、そこに描き出すのは、自らの命を投げ打ち、最期に自分を兄と呼びそして目の前で崩れ落ちて息絶えたその骸に、この生命を注ぎ込むほどに大切だと思い知らされた、愛与えし者の姿だった。
“おやおや、随分と感傷に浸ったようなカオをしているじゃあないの。折角の色男が台無しだねぇ。”
『!?』
気配も何も無い、無の空間から聞こえてきた婀娜っぽく艶めのある女の声に、バドは思わず辺りを見回しながら拳の構えを取る・・・が、張り詰めた糸を指で弾き、それが一瞬で修繕されていくかの様に、既にそこに自分以外の何者の音も無く影も無いままで、幻聴かと構えを解いたその時だった。
『っ、!な・・っ!?』
“もう行っちまうのかい?折角だから色々とお話しようじゃないか。アルコルの神闘士さん。”
再び聞こえてくるその声は、一人なのに、まるで幾重にも張り巡らせた蜘蛛の糸の様な音域だと感じたと同時、全身の自由を奪われて、まるで鉛の様にその場に動けずに居るバドに、どこかで聴いた事のあるとも思えるその声は高らかな笑い声と共に、あちこちに反響しながらバドの耳に響き渡る。
『・・、誰だ!貴様・・・っ』
動きを奪われても声を出すのは可能なので、本能的に警戒して低く唸る獣の様に叫ぶものの、姿無き女はさも面白そうにケタケタケタと笑うばかりであった。
“あぁ、ゴメンなさいね。”
耳障りなようでどこか人を惑わすその声が奏でる笑いが止まり、姿は見せる気配はないものの居住まいを正すように変化したのがきっかけの様に、バドの足元にあるこの暗闇の中には似つかわしくない、瑞々しさを湛えた蒼の水鏡が楕円状に波紋を静かに描き出した。
『!?』
“自己紹介する前に、これを見てくれるかい?”
ふわりと何かが蠢く空気は、恐らく相手の姿が見えるのならば、その指で湖面を指し示すものだろう・・・・、言われるまでもなくその光景から目を離せないバドの目の前で、泉に浮き出る波紋はマグマの沸騰の様にボコボコと激しく泡立ち始め、それが最高潮に達したとと思われた瞬間に、ふいと色を失った。
『・・・・っ、シドっ!?』
蒼から乳白色へと変化したその湖面が映し出したのは、影としての自分が垣間見てきた弟の部屋とは違う、更に重々しさを感じさせる室内にて、寝台に伏せったまま黒い衣服に身を包む、悲愴にくれてやつれたシドの姿だった。
男にしては華奢な・・それも幾分か細くなった十本の指で大事そうに包み込んでいるのは白い小瓶で、それが何を意味するのか目を凝らして見ても判らずに、そして身体は一ミリたりとも動けない。
それでもあらん限りの想いを込めてもう一度彼の名を呼ぼうとした所で、時間切れだと言わんばかりにぷつりとその交信は途絶えたのだった。
『・・・おい!』
バドが姿無き声だけの存在にその先をもっと見せろと牙を剥くが、そう言った所でだんまりを決め込まれては何も打つ一手もない。
“・・・もう判っていると思うケド・・・。”
その要求には答えられないという代わりの様に、突如トーンを落とした声で語りかけられる。
“あんたは自分で自分の人生を終えたの。”
それは既に、こんな異質な空間に迷い込んで漂っている時点で、そして先ほど、湖を隔てた目の前で嘆き悲しんでいたシドを見れば判りきった真実だった。
『・・・あぁ・・・。』
抑揚の無い声一言簡単に肯定の意を示したバドに、更に声は問いかける。
“じゃあ聞くけど、あんたは一体何の為にその命を投げ出したわけ?”
『そんなことは決まっている!』
あれだけ警戒していた“声”に、動けぬ身体はそのままだとしても、闇の住人に問答をしている事実に、バドはこの時はまだ気がついていなかった。
『シドには・・・、弟には俺の分まで生きてもらいたく・・・!』
今まで憎んできた分、苦しんできたその分をせめてもの償いとして。
お互いに途絶える命ならば、その半分を別たれた器に分け与えてその分まで幸せにと。
“だけどあの子は幸せそうに見えるのかい?”
『それは・・・、今はまだ無理だろうけど』
“何時かきっと時間があの子の負ったキズを癒していく・・とでも言いたいのだろうケド、それは有り得ないだろうねぇ。”
『!何故そう言い切れる!?』
もう止まった筈の鼓動が早鐘の様に鳴っていくのは、自身の選択が過ちだったと言う警鐘を示しているのか・・・しかしそれに気づかぬふりを決め込みながら尚も問答を続けていく。
“あの子の最期を見届けているのならそれ位判らないのかい?ずぅっと引き離されていて、あんたの存在を知ってからのあの子は長い間あんたを想い続けて、最期には命すら投げ出そうとした位想い続けていたって事だろう?・・・そんなあの子が、これから責め苦の様に続く永い時間の中をあんた無しで生きていけるとは思わないねぇ。”
『っ!』
ドクン・・と、鼓動が鎮まり、その後にじわじわと溢れ出る焦燥感。
“たかが時間如きであんたの事を忘れられる位にあの子の想いは軽いと思ってんのかい?”
そしてずばりと渡される引導にも似た“声”にバドはぐうの音も出ずにいた。
見せ付けられた弟の姿は、影として、そして網膜に焼き付けた紛れもなく本人で、それがこの“声”が見せる偽者だと言う可能性などは考えにも及ばなかった。
仮に偽者だとしても、そんな事をして、一体この“声”にとって何の利益があるものか?
それに、憎しみに刈られていたとは言え、ずっとこの双眸で着かず離れずに見続けてきた近しい者。
ちょっとした仕草、立ち居振る舞い・・・、いや、それよりも他の誰も気がつかなかった、気配を押し殺していた己の存在に唯一気づいていた理由が、翳りのない血の繋がりが齎した直感と言うのならば、泉の中の彼の姿も、己の中の本能的遺伝子が発する半身としての共鳴しあうそれに他ならない。
それだけでこの“声”の言い分を聞いても良いものかと、思考を張り巡らせるが、影とは言え神に選ばれた己の動きを捉える手練・・・、何よりその発せられる“声”がかつて聞き覚えのある面影を含んでいたのも手伝って、バドは“声”が差し出されたカードを見切る術は当に封じられていた。
“あの子はあのままだと、あんたを追って来かねないよ?それで無くともオーディーンの爺さんのろくでもないやり口は身に沁みてよぉく判っているだろう?”
ともすれば、見えもしない喉の奥で、くくくと笑いながら耳元で吐息を吹きかけるように近づいてきた“声”を振り払う気力も無く、バドは光の失せた瞳ですっかりと煌きを取り戻した泉を見つめ続けている。
双子と言うだけでここまで踏みにじられる、祖国の歪められた因習。
本当にオーディーンが慈悲深い神ならば、もっと違う道だってあった筈ではないか?
押し黙り、この暗闇と同じ位深い色に思考を食いつぶされていくバドに、“声”は、あたかも満足そうに、姿の見えない姿でにやりと唇の端を吊り上げると、艶めく吐息を絡めながら最期の一手とばかりに語りかける。
“ねぇ、あんた・・・、あの爺さんとその飼い猫のヒルダがしてくれたことを、よぉく考えて御覧なさいな。
悪戯にあんたと、あの可愛い弟ちゃんを不幸のどん底に叩き落した挙句、甘い言葉で利用するだけ利用して、あんたはこのザマ、あの子はあのザマ。
本当にあの爺さん達に慈悲があるんだったら、あんたたちはもう少しマシな結末を迎えていたのかも知れないよ?”
も う 少 し マ シ な 結 末 を ――・・・。
『シド・・・!』
発せられる言葉に嬲られるようにしてなぞられる本心に、バドはがくりとその場に崩れ落ち項垂れる。
その時点で身体を拘束する力は解除されたのにも関わらず、その闇から囁く声をふさぐ事も忘れ、ただぼんやりとした視線で泉の淵にへたり込み、更に目を凝らしてその水面に映った弟の姿を追い求めていた。
そうだ・・。きっと彼はこのままだと、その先の時に殺されてしまう。
そうなった時点で、一体誰が彼を救える?
感情をしまいこむだけしまいこんで、最期の邂逅で全ての想いを放つような弱く繊細な弟が・・・・、その先に待つのはただ与えられるだけの残酷な時間を食い潰す事もできないまま朽ちていくだけの道行き――・・・・。
“それに、何でアルコルの神闘士として選ばれたあんたがこんなヴァルハラに似つかわしくない、掃き溜めの様な場所に居るのか判るかい?”
『・・・・・・・・・。』
もはやバドには何も答えることなど出来なかった。
ただ一人、混沌の異世界空間で垣間見せられたシドの現状と、そんな彼を良かれと思ってでも一人きりに置いて来てしまった事実、それに伴う罪悪感と後悔と、そして想いだけが彼の思考を占め始めていた。
それらがバドの中に眠っていた弱さと言う名の闇を呼び覚ます中、その“声”が準備の整った温床に火種となって入り込み、その心を黒い炎で嘗め尽くすことなど、ここまで来ればいとも容易いことだった。
“あの子の手の中に入っていた硝子の小瓶・・・、あの中に入っているのはあんたの肉体の成れの果てさ。”
『な・・っ!』
この国においての火葬の習わしについての真相を知らないわけではなかったバドは、顔を上げて目を見開き、その刹那、何かが音を立てて切れていくのを感じていた。
“ねぇ?それでもまだあんたは、あの女が治めるこの世界に操を立てる筋合はあるのかい?そもそもこうなったのだって、ヒルダの押さえつけられた本心から巻き起こった戦じゃないのさ。
それを都合良い様に英雄に仕立て上げられて、用が済んだらハイさようなら。・・・・ひどい話じゃないか。”
ぶるぶるとバドの全身が震えている。
一度巣食い浄化された筈の憎しみは、浄化させてくれた者の悲痛な現実と、何一つ変わろうとしない祖国に向けて、あの頃以上の炎となって燃え盛ろうとしている。
そんなバドに“声”は、先ほどとはまるで違う、癒しと安らぎに満ちたかのような音を以って、ある提案をその耳に持ちかける。
“――・・・。”
『・・・なに?』
切り裂かれそうな遣る瀬無い、全てを壊しつくしたい衝動に捕らわれた心は、そのあまりにも甘い誘いに一気にぐらりと傾き、バドの瞳には光が一瞬だけ戻る
しかしその色は、かつて影としてミザルのシドの栄華を目指していたハングリー精神とその本来の強さを際立たせた強い意志のそれではなく、仄暗くくすんだ、不吉な淀む色が混じるものだった。
冥 恋 -Ⅳ-
何処にあるとも知れない、深い深い闇の底。
名誉ある戦死を遂げた者が、神の膝元・ヴァルハラに行けるように、そうでない者達にも、それ相応の報いとしての魂の行き着き場所がある。
通常は地下の国の暗黒と寒気に身を切られながらもなす術もなく、辛うじて見える道すじを頼りにそのまま死者の国へと降りて行き、犯した罪の浄化を科せられる。
また生まれ直すべく者と、そうでない者を判別し、転生させるか処分するかは死を司る女神の元で判断し、そして各々の魂の行く末が決まる。それが、この国においての死後の魂が行き着く習わしだった。
だがしかし、地下の国と死者の国を繋ぐ道の洞窟には、ある実体のない女神の住居が構えられていた。
その住居は、通常の生を送った魂はまず見えることのない物で、何か強い想いを胸に抱きながら・・、そしてその女神のお眼鏡に適った者ではないとその扉は開かれる事はない。
それがたまたま、光のあるものとして葬られなかったミザルの影の神闘士・アルコルのバドであり、その容姿に付け加え、彼が仕えていたアスガルドの聖巫女、ヒルダがこの女神にとっては腸の煮え繰り返る程に憎たらしい存在の面影を宿していた上、かつての聖戦では海王から授けられし指輪に宿り、彼女のもう一つの本性を引きずり出した、
オーディーンと義兄弟の契りを交わしながらも、誰よりも混沌を望んだ神・ロキの愛人である、アングルボザは、双子達の夜毎の罪月の覗きの趣味は無いのか、何も映し出さない気に入りの泉の鏡に視線を向けて忌々しげに鼻を鳴らす。
“あの女・・・・、私があれだけ揺さ振りをかけてやっても、最後の最後までいい子ぶりやがって。”
実体はとうの昔にとっくに滅び、夫も亡き今、何かを寄り代としなければここから出ることも出来ないが、今の彼女にとって見ればこんな辛気臭い世界に降臨し、全てを支配することには何も興味も湧かなかった。
ただ、あの聖巫女の従順さと儚さが、かつて誘惑して寝取った夫の前妻を思い起こさせて、それが憎たらしくて海王の世界征服ごっこに乗ったに過ぎない。
“あんな女には勿体無い、上玉二人が捕らわれ続けるんだったらいっそ壊れちまった方がマシってもんさね。”
そして今回も、迷い込んだ男前の生贄の坊やのお願い事を叶えてやりながらも、自分はいい暇つぶしになる。
独り言の様に高らかに笑うその声は、新たに通っていく魂達には、地獄の底からの勧誘の唸り声の様な恐ろしい地響きとなって、その足を竦ませていた。
・・・最初“声”が誘ったその手法はにわかに信じがたいことだった・・・。
「・・は・・っ、あぁ・・!に・・さんっ!」
汗ばみ、身を撓らせるシドの、全体的に少しやつれた、だがその妖艶は増すばかりの裸体に、唇を落として啄ばみ、丁寧に朱華を散らしていきながら、バドは内部に突きこんだ性で、この六日間開発して行った弟の内部にある悦部に狙いを定めて丹念に責め立ててゆく。
「あ・・っ、あぁっ、ん・・やぁ・・っ!」
何も無い粉塵だったままの己の骨を一舐めしたシドに引き寄せられるかのように、確かに無になった筈の肉体は生前とまでは行かないまでも、愛し合うには相応しい姿に形を帯びていた。
「シド・・、シド・・っ」
悦びに咽び泣きながら喘ぐシドの唇に、バドはここに居るという証を吹き込むようにして口付けを落としながら、限界にまで張り詰めていく弟の熱い塊に手を伸ばし触れていきながら激しく扱き、絶頂感を高めだしていく。
「んっ・・あ、あ・・、あぁあ・・・っ!」
背中に回された手が限界を訴えて突き立てられる爪が、ぷちりと音を立てて肉を突き破る痛みと、離されていく唇と唇に煌銀糸が張られながら、解放される唇が奏でる放たれる甘い悲鳴をこの耳で確かめるように聞き取りながら、熱く狭まる弟の肉壁がきつくバドを締め付けて行き、シドの性から迸る欲情をその手のひらの中に収められて行く感触に、そして己の欲情の熱を、その体内に注ぎいれる
感触に、バドはどくどくと心湧き踊るのを感じていた。
あと、一日だ――・・・。
“シド・・・明日、明日だ・・・。必ず迎えに来る。”
少しだけ早く切り上げた情交であっても、ぐったりと横たわっている弟の髪を優しく梳きながら、バドは色褪せていく腕でぎゅっとそのまま抱きしめながら、子守唄の様な声音で囁き続ける。
水膜の張る夕日色の瞳で見上げられながら、また触れられは出来ないものの、誰よりも温もりを分かち合う事の出来る兄の頬に、細い指を辿らせながらそっと掌を添えて、最後の一片を散らせて行く花の様な微笑を浮かべる。
「きっと・・・ですよ?・・今度こそ。」
一人にしないで・・・。
消え入りそうな声で訴える、その綺麗な弟の笑みが最初の夜に比べ、生命の輝きが失われつつあっても、バドは勿論シドも全て理解した上での選択だった。
“反魂の術って知っているかい?”
『?』
無言で首を振るバドの目の前で、赤黒い液体が流れ落ちたかと思うと、辺りには甘いとも腐臭とも言えない匂いが立ちこめる。
“死んだ者を生き返らせるのに使う術だけど、これはちょっとした応用さ。”
驚きのままに目を剥くバドの目前で、滴った血液は蜜の様に流れ落ち、今度は遠くから眺めているかのように映し出された蒼の泉の中のシドに被さるようにして禍々しくありながら、どこか鮮やかなコントラストを描きながら波紋を浮かべて行く。
“これであの子に呪い(まじない)はかけ終えた。あとはあんたがあの子がそう望むどおりの事をしてやって、ひたすら満たしてやればいい。”
その“声”の言う通り、バドはシドの前に姿を現す事を許された。
凶つ者とされ、忌むべき者とされ、全ての存在を抹消された彼が残せた、たった一つの白い粉塵を体内に取り込むとされる呪いのおかげで。
“消費期限は、その骨が無くなるまで。それが無くなれば、晴れてあんた達は一緒になれる。だけど忘れなさんな。これは決して威張れたもんじゃない。あんたもあの子も、天国の階段を昇れるとは思わないほうがいい。”
「後悔なんか・・・・、貴方の存在を喪ったと知った時以上に感じる事なんて無い・・・。」
後悔はしないな?と念を押した、薄れていく兄の身体、温もり、匂い・・・それをこの夜も最後まで感じていたくて、シドは気だるい身体をバドに押付けながらぽつりと呟いた。
“・・・あぁ、俺もお前を連れて行けることをこれっぽっちも悔いたりなんかしない。”
最後の最後・・・例えこれからずっと一緒に居れるとしても、別たれていく恐怖は拭い去れるものではないバドもまた、薄れていくその両腕でシドの温もりを感じ続けている。
「兄さん。」
窓から差し込む、この世界で見る最期になるであろう朝日を背後にして消えていく、絶望に満ちた見送りも今日限りだと思うと、この六日間の中で初めて煌めく朝日が綺麗だとシドは思いながら、後は共に逝けるだけだと言う期待に胸を高鳴らせながら、
顔を上げ、逆行の中で微笑みながら透けていく兄に万感の想いを込めてそっと口付ける。
甘くて哀しい・・・、熱く激しい禁められた夜毎の初恋・・・。
絶対的存在である、主神と君主に背を向けて、互いの手を取り合って逃避しようとする二人の目の前に続くその道は、確実に破滅へと向かうものだとしても、彼らはなりふり構わなかった。
ただ一緒に逝けるのならば――・・・。
“今夜、あの雪の丘で・・・・。”
口付けを解きながら、あの場所で終わった終焉をまたやり直す約束を交わす中、こくりと頷いて見上げてくる弟の姿はこれ以上にない程美しくそして儚くその双眸に焼き付いていた――・・・。
つづく
戻ります。
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