彼方の果て -Snow Testamentary Letter-








――何時か、叶うならば白い雪の様に――・・・。

それがお前の今際の願いだと言うのなら、俺はその手でお前の願いを叶えよう・・・。
例えそうする事で、自分への愚かさを浮き彫りにさせ、今よりも暗い絶望に苛もうとも――・・・。



彼 方 の 果 て

~Snow Testamentary Letter~



降りしきる雪の中、ざくざくと大地を踏み締めて獣道すら見えない山道をひたすら登り続ける。
この腕の中に抱く白く小さな壷の中には、かつてこの腕で零れ落ちていった双子の弟が存在し、温もりのかけらも感じない無機質な手触りの中、それでも尚これ以上凍えないように、きつくきつく抱きしめて荒れ狂う雪から彼を守る。

二度目の哀悼の儀式を俺はこれから行う。

それが他でもない彼-シド-の願いだったから。



失意の果てのブリザードの中、お互いに雪の中で果てたと思ったのに、俺はどうしてか生き延びてしまった。
雪の中で冷たくなって行く身体をリアルに感じながら、とうに生きる事を破棄した両腕は感覚を失い、せめて死ぬまでは抱き続けていたいと思っていたシドの身すら触れることは出来ない。


シド・・。
ずっと憎み続けてきた、でも今は身を切るような後悔の中から気づかされた、愛しい俺の半身。
憎しみの中生き続けていたあの頃、重く立ち込めた鈍色の雪空を、底尽きることの知らない憎悪の込めた眼差しで見上げ続けていた。


空の下に降る雪は、平等に分け隔てなく現世に降るというのに、何故神は人を隔てる?
双子に生まれたと言うだけで捨てられた俺は、生まれながらにして業を背負うべく人間なのか?
そして今も尚、俺と血を分けた弟はぬくぬくと両親の膝の元で暮らしているのか?

自分自身を否定する心と、弟を憎まずにはいられなかった心は、いとも簡単に俺の中を暗く寒い無限に続く回廊の如く闇に染め上げて、この手でシドを殺すことだけを支えにして生きてきた人生。



きっとこれは、そんな生き方をしてきた俺への、オーディーンが与えた罰。
ゆっくりと目蓋を下ろし、次に目が覚めた時最初に入る光景が、地下の国・ヘルの門前だと信じてやまなかった俺の願いはいとも簡単に切り捨てられた。
目が覚めて視界に入ってきたのは、ワルハラ宮内の一室。
そこには、瞳一杯に涙を溜めた、本来の清らかな姿を取り戻した地上代行者の少女。
『あ・・・、ヒ・・・ルダ様・・・?』
『バド・・・バド・・・ッ!』
嗚咽を漏らし、感覚のない手が白い手に包まれて、その部分から感じる癒しの小宇宙。
『・・・あ、おれは・・・。』
『ごめんなさい・・・、ごめんなさいっ・・・・っ』
嗚咽交じりの声と、ポツポツと何かが俺の手の上に落ちてくる感覚。
それは雨の様に流すヒルダ様の涙だった。
『あなたには、特に辛い思いをさせてしまって・・・。』
・・・辛い、思い・・・・。
そうだ、俺は・・・・っ!?
『ヒルダ様・・・っ!彼等は・・シドはっ・・・!?』
弾かれたように起き上がろうとするが、長い間死の淵を彷徨っていた身体は、俺の意思を無視し鉛の様に重く動かないでいた。
そんな俺の肩に、そっとヒルダ様のたおやかな手が置かれ、一つ呼吸を置いて言葉を紡いだ。
『・・・落ち着いて・・・聞いて、下さいね?・・・・』

ゆっくりと告げられていく事実。
あの戦いからすでに一月ほど経っていた事。
俺以外の神闘士達はヒルダ様の治療の小宇宙の甲斐なく、その魂はヴァルハラへと旅立ち、その遺体は、もう各々埋葬されてしまっていた事。
そしてシドの遺体は、名家の長子と言うこともあり、実家に引き取られていったと言う事・・・。


『でも、バド・・・。』
あまりの事実に愕然とする俺に、ヒルダ様は淡い空色の衣の袖の中から一つの白い封書を取り出して、俺の前に差し出した。
『?』
訝しげに思っていると、それを察したかのようにヒルダ様は更にお言葉を続ける。
『この封書はシドの・・・・、つまりあなたにとってもお母様から預かった物です・・・。』
『え・・・・!?』
『勿論中身は読んではおりませんが・・・、貴方に伝言も預かっております・・・。』
突然の出来事に、身体はおろか思考までもが正常に動こうとしないような感覚に陥る。
『・・・でも、あなたはそれを聞きたいですか・・・?』
そっと長い睫毛に伏せられるアクアブルーの瞳。
『ヒルダ様・・・。』
確かに聞きたいかと言えば・・・それは否だ。
俺を捨てた側の人間。
俺からシドを引き離した家の者。
でも・・・。
自分もお辛いのに、それを後回しにしてまで、俺の気持ちを優先させようとするこの聖巫女の気持ちに報いる為、俺はそれを受け入れる覚悟を決めた。


『聞かせて・・・・下さい・・・・。』



そして受け入れたもう一つの“真実”から、俺はこの足で自分が生まれた家を尋ねた。
念のため顔をフードで隠し、髪も下ろした格好で。
門前払いを食らわせられるかも知れない姿だったが、この国で忌まれている因習に捕らわれている者達にとって、素顔を曝す方が厄介な事であろう。
玄関のノックレバーを掴んで軽く叩くと、ガチャリと中から扉が開く。
『・・・・あ、あぁ・・・!』
完全に開かれた扉の中には、自分達を生んだ“母”と言う、見ず知らずの女が涙を溜めて俺を見据えていたが、俺には何も感慨も沸かなかった。
『“初めまして・・・”?それとも、“ご無沙汰していました”かな?』
そんな皮肉めいた言葉がスラスラと口から飛び出てくるのを諫めるでもなく、頭一つ分見下ろしている彼女は、雪の降り積もった外套を白い手で払い、下ろした髪をかき上げて俺の顔を覗き込もうとするが、俺は即座に振り払った。
『止めてくれ。』
俺はこんな事をしに来た訳じゃない。
ただ、この手に取り戻しに来たのだ。
唯一とも言える、俺の近しい者を。
『そう、ね・・・。貴方はそんなことを望んできたわけじゃないのよね・・・。』
弱々しく言う彼女の言葉に、俺は、あぁ・・と頷く。
『伝言、聞いてくれたのね・・・。そして封書も・・・。』
『あぁ・・・。』
ヒルダ様から聞いた伝言は、彼女がシドを手渡したいと言う事だった。
それと同時に手渡された封書は、シドが生前に認めた物で、そこには俺へ充てたメッセージや、シド本人の悔恨が痛々しいほどの肉筆で綴られていたのだ。
このアスガルドの大地に還元する為、埋葬される筈だった身体は、シド本人の希望により火葬に臥され、今彼女の手に持っている白い小さな小さな壷の中には、粉になったシドが眠っている。
俺の反応に憤慨した様子もないままに、“母”から手渡された壷を受けとると、この場を後にしようと、俺は背を向ける。

俺たちを引き離した側の“大人”であり、“母”である女。
だが、名家の長子の面子の為にシドを引き取ったと言うのに、その身体を埋葬する事も無く、彼の望みどおりに事を運ぶのにはそれなりの苦労もあったであろう。
そして、そのことを俺に伝えるように頼んだ彼女・・・。
愛情も感慨深さも沸かない中、でもたった一つだけ生まれた気持ち・・・。


『母さん・・。』
歩もうとした足をその場で押し止め、背中越しを見つめるシドに似た柔らかい眼差しを感じながら、俺はたった一つの気持ちを言葉にする。
『ありがとう・・・。』
そしてそのまま歩き出した背後で、静かに彼女が泣き崩れる気配だけを感じた――・・・・。



「着いたよ、シド・・・。」
目的の場所に辿り着いた俺は、抱きしめていた腕を少し緩めて、眠り続けるシドに呼びかける。
「お前が、望んだ場所だ・・・。」
そこは山の中の拓けた場所で、眼下には凍て付いた湖が見える。
「俺達が、選ばれた場所だ・・・。」
その湖は、決して交わる事のない光と闇の双子が、聖戦士としての道を歩むきっかけとなった場所だった。
「・・・シド。」
最後の時が訪れようとしている中、返ってくる言葉も無いまま名前を呼び続ける俺。
このまま、俺もお前のいる場所に行ってしまいたい・・・。
でも、それではお前の望みは永遠に叶えられない事になってしまう・・・。
気持ちを何とか踏み止めながら、腕の中の壷の蓋を開けて、その中から真っ新な灰になったシドの身体をその手で掴むと、一時的に止んだ雪によって、雲の切れ間から刺す日の光の中に彼を解放した。
白い雪の様に、かつて二つの神闘衣が出現した氷の張る湖の上に、シドは静かに光を受けて煌きながらゆっくりと舞い降りて行く。


その手も、唇も、何もかももう重なる事も無いままに、彼の面影は緩やかに陽に融けて消えて行く・・・。


「シドっ・・・!」
また吹き始めた風と共に舞い散っていく羽根の様な弟と共に、枯れ果てたと思っていた俺の涙も一緒に飛び立って行く―――・・・。





“・・・何時か叶うならば・・・・白い雪の様に、貴方に降リ注ぐ優しさになりたい・・・・・・・・・・。”





それが、お前の残した最期の祈り。
ならば俺は、お前への想いが哀しみに満ちそうになる時、雪を見上げてお前を思い出すから・・・。
だから、俺が召されるまでずっと俺の元に降りてきてくれ――・・・・。






シド―――・・・・・。





TO BE CONTENUED・・・



戻ります。