世界樹-君と再び巡るまで-



例えどれだけ時が流れようとも、忘れたくない想いがある――・・・。

形に残せなくても、経過する時間によって褪せていこうとも、人は不明確なそれを必死につなぎとめようとする。
それが大切な存在で、たった一瞬だけが掛け替えの無い時になったというなら尚更の事で、忘れていく事に恐怖すら覚えてしまう。

だから形あるものに想いを託すのは、きっと人が備え付けられている本能の一部分なのかも知れない――・・・。



世  界  樹
~君 と 再 び 巡 る ま で~



「遅くなってすまん、シド!」
春の訪れが遅いアスガルドにも、ようやく温かい日の光がさんさんと降り注ぐようになったある日の夕刻、それでもまだ山や森といった自然の土地は、地が顔を出しているとは言えまだ雪が深い。
その雪の深い山をかき分けて更に上った森の中、人の目には留まらない獣道を辿っていくと見晴らしの良い拓けた丘の上に、ひっそりとした氷の組み木が無造作に立てられており、その前に息せき切らせて辿り着いたのは一人の青年だった。
髪はもうじきこの山にも目覚めだす萌芽の様な淡緑色がかった銀色で無造作に伸び、瞳はもうじき山の向こうに落ちかける夕陽の色を持ち、この国を支える、うら若きオーディーンの地上代行者・ヒルダ様を守護する近衛隊隊長が着用出来ると言う隊服を身につけた、現近衛隊長のバドだった。
「毎年この時期は忙しくてな・・・。」
この時期が来るたびに同じ事を言っている気がするなと、バドは自らの手で亡骸を葬りそしてその手でここに眠る証を刻み込んだ双子の弟に苦笑交じりで語りかけている。

それはもう幾年前の昔になるだろうか・・・。
聖戦と呼ばれた戦がアスガルドを襲い、聖巫女ヒルダ様の下に集った選ばれし戦士・神闘士の悲しき物語は今や伝説にも似た語り草になっている。
それは確かに起こった現実の出来事なのに、話を聞く人々にはどこか現実実を帯びない、もっとずっと遠くに起こった異国の物語だとしか思えないのかも知れない。
だが、それが時が流れていくと言う事であり、彼等の流した血の赤さやそのおびただしい量を記録するものは口承でしかないわけで、それをずっと生々しく感じろと言うのは無理なことであり、それは当事者・・・あの聖戦の生き残りであるバドやヒルダ様、フレア様にとっても酷な話であった。
そしてもうひとつの宿命に翻弄された、ミザルとアルコルの星の元に生れたバドとシド・・・、双子への恐ろしいまでの呪いについては、少しずつ少しずつ・・・、隊長となったバドの働きもあり、今では跡形も無く消えうせようとしていた。
それは喜ばしい事であり、今この時代のアスガルドの双子には幸せそうな笑顔を浮かべ、寄り添って生きていける・・・


そこまで至る経緯を考え込んで、ぼぅっ・・・となった頭にふと過ぎる。
流れ行く時の流れに、かつて自分たちを縛り付けていた因習を知る者はどれだけいるのだろう?
そのせいで自分達がどれだけ弄ばれ、あの再会にどんな気持ちで立会い、そしてどんな想いでようやく心が通った、唯一の近しい者をこの手で触れたのか・・・・。

聖戦の悲惨を訴えるとは言っても、全ての傷口を曝け出すような事はバドは出来なかった。
忌まれた双子の片割れと言う事と、その戦いで弟を失った事を告白しただけで精一杯だった。
全てを暴く事は、死して尚、シドを辱める事になるような気がして、そしてその記憶は自分の中で留めておく事で、今やそれだけがシドと自分を共有出来る物だと思ったから。
だけども、たまに訳もないやりきれなさを感じる時がある。
どうして自分達がこのような役を担わなければならなかったのかと言う――・・・。


「・・・っと、悪い。折角来たのにぼうっとしちまって;」
湿っぽく、ずるずると引きずりそうな思考を慌てて打ち消すと、その墓の前に片膝を折ってひざまずくようにして座る。
「今日は土産を持って来たんだ。」
そして胸の前に大事そうに両の手で抱えているのは、まだ幼い、北の大地にでもしっかりと根を下ろし咲き誇ると花を持つ苗木。
「何て言うか・・・、お前がそこに居たって言う証が欲しいって言ったらヘンだろうけどさ・・・。」
その大きくて白い逞しい骨格の手が汚れることを厭わずに、土を軽く掘り返し苗床となる場所を作り、そこに苗木をそっと植えた。
「何も残せなかった俺が言うのもなんだけどな・・・。」
かの北欧神話の世界を取り巻いていたトネリコの大樹の様に、俺と言う世界を象徴する為にその木をお前に咲かせて欲しい・・・。
「お前の大地に還元された身体を一部分だけで良い、そこからこの樹に移動してくれるだけで良いんだよ・・・。」
共有できるものが、不確かな儚い記憶だけでこの道を生きて行けるほど、俺は強くないから・・・。

俯く背中にいつの間にか風は冷たく吹きつけてくる。
そして立ち上がり、弟に『また来るからな。』と明るく言い残して、そこを後にするバドの瞳が赤くなっているのは誰も知ることは無い。
そして、夕暮れの赤はうっすらと夜空の藍色に取って代わろうとする瞬間で、空と大地の境目は赤と紺のグラデーションのコントラストを描き出す。




もうすぐアスガルドに夜の帳が降り始める。
隣り合わせになる彼等の守護星のミザルとアルコルの星の煌きは、あの日の聖戦以来どちらも平等に美しく輝き続けている。
それは彼の魂の一部が天に昇り、綺麗に瞬かせ、輝かせているのだろうか?




ならばきっと、そこに植えられた苗木もやがて彼が綺麗に咲かせるのであろう。
形あるものに想いを託していきたかったのはきっとシドも同じであろうから――・・・。



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