ここに来たのは、別に今までどおりで、一人でここに佇んでは何をするでもなくしばらくしてから自分の待つべきところへ帰る習慣だけだった。
恵まれていないとも思わなかったけれども、満たされていると言う気持ちも別に感じてなど居なかった。
感情が麻痺していると言えばそれまでだけれども、何で自分の背中に映える色はこんなにもくすんでいるのかといつもそのことばかりを考えていた。
だから、その鮮やかな色に逢った時、あっという間に魅かれてしまったのかも知れなかった。
この透き通る蒼に映える色の翼を持つ彼の人に・・・・。
a hymn azure
†Black†
それはまるで鏡の様な姿だった。
青天の遥か果てに、人間が死してから辿り着く事を望む永遠の楽園、所謂“天国”と言う名称で呼ばれているそこには、またもや彼らの空想上の存在である“天使”達がふわふわと漂いながら全ての苦痛から解き放たれた人の魂を優しく温かく迎え入れると言われている。
その白い雪のような大地を流れるのは大いなる輪廻の河であり、新たなる人の魂は其処を通り、来世への入り口にまで舟に乗ってまた生まれ変わりを果たす、星屑を散りばめたように煌めく水面の向こう岸に、黒い羽を持つシドは自分と全く同じ姿であり、しかしその背に羽ばたく白い羽根に目を奪われて立ち尽くしていた。
「・・・・・。」
「・・・・・・。」
それに気がついたのは向こうも同じであり、大地に沈む夕日を溶かしたような瞳・・片方は同じ色のライトグリーンの前髪で隠されていたが・・を大きく見開いてその黒い羽を持つ彼の姿を映していた。
「あ・・・。」
黙ったまま立ち尽くす、近いようで遠い静寂の河の向こうから絞り出すような声を上げたのは、白い羽根を持つ彼の方だった。
「どうも・・・。」
兎に角挨拶だけは天使であり人間であり最低限の礼儀であると言うのは共通しているようで、呆気にとられているシドを見つめたまま、これまた無難な言葉を彼にかけた。
その声は、自分とは似て非なるような低いそれでも優しさを含むそれであり、その言葉が自分に投げかけられた事を悟るまで数秒間・・・、耳に入り脳にまで浸透していくその間はまるで、地にしみこむ水のような心地良さを持って彼の中に響くまで、数秒間の時間を所要した。
「初めまし、て・・・?」
返事を返すのもこれまた儀礼であるのか、シドも無難な・・だが、どこか違和感を感じて語尾の最後を疑問系にして返すと、遠く目の前に居る彼は吹き出す一歩手前の笑顔で更に言葉を投げかける。
「あぁ、初めまして・・だよな?」
そう言い終わるか否かで、ふわ・・・っとその地から両脚を浮かせて宙に浮んで、あっという間にシドの目の前に降り立った彼は改めてシドの姿・・そして背に持つ羽根をじっと見つめる。
「・・・あ、の・・・。」
「その黒い羽根・・・、お前、狩の種族だろ?」
「っ・・・、」
いきなり言い当てれて思わず唇を噤む。
狩・・と言うのは、寿命を全うしようとする運命の臨終間際の魂を、下界の借り物の器から導き出して連れ出す事を請け負っている天使の事で、それは人間達の間では“死神”と呼ばれる部類に属する者だった。
だから、その背に羽ばたく羽根は天使とは似ても非なる漆黒であり、無理に命を奪う訳でもないのにその下界にいる生き物には忌み嫌う者も多い。
だが、目の前に居る青年の持つ白い羽根は正真正銘の天使と呼ばれている種族の者で、彼らこそが極楽浄土に居るべきに相応しいとされると認識している人間が殆どと聞く。
「・・・そう、だとしたらどうだと言うんですか・・・?」
「え?」
漆黒の羽根の死神と呼ばれ続ける事にはもう慣れているはずだったが、それでもどこか弱い自分は、見ず知らずの世界の生き物に何も知らないくせにそう言われることがひどく腹立だしくそして哀しかった。
同じ種族である家族やその仲間は、たかが人間共の言葉などいちいち気にしていれば身が持たない、第一お前は狩の一族としての自覚が足りなさすぎるから一々傷付いて涙する面倒な性格だと、面と言われて言われたり陰で言われている事を知っていた。
だからこそ、本物の“天使”である象徴の白い羽根を持つつい先ほどに出逢ったばかりの名も知らない彼に、いきなり言い当てられた事に何故か苛立ち、そして少しだけ知られたくなかったのにと言う気持ちも湧き上がる。
大体にして、白と黒の羽根の二つの種族はこの河を挟んだ里に暮らしてはいるものの、その色と同じでどこか互いを犬猿しているようであり、黒の種族が白に遜っている様であって殆ど交流は持たれていないのだ。
だからこそ尚更、シドはそんな白い羽根が眩くて眩すぎて淡い憧れを持ったのだ。
「・・・・お前さぁ・・・。」
不躾な自分の答えに呆れかえるでもなく、不意に頬を捕らえられる感覚に、シドは一瞬そこから伝わる指先の熱に言葉と行動を奪われる。
「凄い純粋で不安定で繊細だな。」
「え?」
初対面で八つ当たり的に言葉をぶつけた自分も自分だが、会ってすぐに自分の姿を言い切られたのも初めてで、恐らく呆気に取られていたのとは別な感情が湧いていたのかと思う。
だから、彼の唇が急に自分のそれに重ね合わせられた時、何の抵抗も無くすんなりと受け入れて・・あまつさえ初めてであっても・・・、当然の様に瞳を伏せて為すがままになっていることが出来たのだと、思う。
「・・・・何、今の・・?」
そして唇から伝わっていく熱が離れた時、急に我に返ってもの凄い勢いで赤面してしまったのは、当然の事だと・・・思いたい。
「やっぱりな♪」
「何がやっぱりなんですかっ!?」
これだけ初対面でやりたい放題にされてしまい、一気に羞恥が頭に上り、それでも余裕綽々の彼の態度にますます自分が振り回されているようで・・・。
「初心でいて天然系の美人さん。」
「っ!////」
いきなり畳み掛ける展開に頭が付いていかない黒の天使は、混乱しながら憧れかけていた目の前の彼を怪訝そうに警戒心を隠せずに見上げつけた。
「気に入ったんだよ。」
「・・・・・・・。」
不意に真剣な顔をしてくる少し背の高い彼の視線にシドはそれを逸らせないでいた。
「・・・また、逢ってくれる?」
「そんな・・・。」
事言われても・・・・、でも・・・。
「・・・・なまえ・・・。」
「え?」
「貴方の、名を教えてくれますか?」
いや、じゃなかった。からかわれはしたけれど、あの熱と施された口付けは決して嫌では。
あぁ・・そう言えば名乗らなければ始まらないなと、一人ごちた洗礼の彼は、わしゃわしゃと同じ色のかき混ぜながら、この出逢いの始まらせて、そして継続させていくための字を解き放つ。
「俺は、バドと言う。」
「・・私は、シド。」
名前を名乗りあう事を許されるのは、同種族の者同士のみで、こうした他種族に明かすことは普通ならば在り得ない事であるが、二人は誓約の第一歩であるそれをいとも簡単に相手に許し合う。
「狩の時間が終わったら、またここに来ます・・・。」
「そうか・・・。待ってるからな。」
「ええ。」
そう言ってふんわりと微笑むシドをバドはもう一度だけ抱きしめようと手を伸ばすが、それより一瞬早くに彼が背を向けて黒い翼を青の空に広げて飛び立つ方が早かった。
行く手の無くなったその手をちょっとだけ空しく感じつつも、バドは眩しそうにしてそのはためいて行く翼をずっと見つめ続けていた。
next
戻ります。
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