空にさざめいて羽ばたくその純白は、遠くから見てもはっきりと判るほど、鮮やかで綺麗すぎて彼の人の到来を告げるもの。
それを見るたびに、自分もやはりその白が欲しかった・・、否、少しでも彼と同じものを共用したいと思うのは、きっと段々と魅かれていく証拠に他ならないものだと、日に日に募っていく想いがはっきりと彩られて行く。
出逢ったその日に、最大の誓約を交わしておいておきながらこういう風に思うのは、まさかここまで捕らわれるとは思わなかったから・・?
a hymn azure
†Snow†
「バド!」
段々と羽音が近くなり、白い空を彩る雪の様な大きく広げられた翼が、両手を掲げた自分の下に降りてくる為に少しずつ小さく畳まれながら宙に浮ぶ両脚は、いつの間にか逢引の場所になった水面・・狩の種族側の里の川べりに静かに降り立つ。
「待たせたか?シド。」
「いいえ、今来たところですよ?」
お互いに細かく待ち合わせの約束などしていなかったのだが、大体互いがこの時間に来るだろうと思うその時に、大抵はどちらかがその場所で待っていて他愛ない話をするのがここ最近の日課となっていた。
辺りにあるのは、相変わらずひっきりなしにそこを生まれ変わりを果たすために通っていく魂を乗せる舟が通る、星屑の如く煌めく水面の大いなる輪廻の河と、何の障害物もない、奥へと進めば互いの里への出入口に続く淡い白い草原がどこまでも広がっていた。
二人は、初めて出逢ったあの日の様にまずお互いに寄り添いながら、軽くその身体に手を触れて抱き寄せながら対して背の変わらない・・・、ちょっとだけ大きいバドにシドが少し背伸びをしながら・・・挨拶代わりの口付けを交わす。
そのためにそっと閉じられた瞳の裏からでもはっきりわかるほどに眩いその白い翼は日を覆うごとに、清廉さを増していくようで、更にシドの憧れを掻き立てる。
「・・・・・。」
知らず知らずにその手を伸ばして触れようとするも、いつもシドが許されるのはそこまでだった。
「っ」
その気配を察すると、バドはいつも足を半歩引いて後ずさるからで、シドはまだその柔らかそうな羽に触れたことは無かった。
残念そうな顔を隠そうとするも、バドもまた自分の羽にシドが触れたがっていることを判っていていつもそれに関しては申し訳なく思うのだが、やはりまだ心の準備は出来ては居なかった。
青天の下、白く埋め尽くされる何の苦痛も無い、辿り着く事の出来る最後の白い楽園には二種の天使が居る。
一つは黒の羽を持つ“狩”と呼ばれる種族で、下界の生き物達からは“死神”と呼ばれ忌み嫌われているもの。
そしてもう一つは、穢れ無き純白の羽を持つ正真正銘に“天使”と言う、人間からはその俗称で呼ばれていて、きっとその心もその羽と同じく何の汚れも無い清らかなものだと思われているのだが、実際はそうでは無かった。
下界の何も知らない種族どもは良く『天使の様な清らかな』と言う形容をするが現実はそれとは全く正反対だと言わんばかりであった。
その生業とはヒト限定で現世で犯してきた罪穢れを吸い取って、その魂を来るべき転生の時まで、一時だけでも楽園と言う名の箱庭に飼うように仕向ける事。
その能力は、毎日数え切れないほどのヒトの黒く汚い記憶ばかりを見せ付けられても、その背に飾られる羽はその養分を吸って咲く花の様に日々白く白く生え変わりを続けている。
白さに隠される、清らかな心どころか底の底までどん底の悪夢の様な愚かしい記憶ばかりを見続ける毎日に、バドは甘い夢を見せる存在でも見れる存在でもないのだと自負していた。
その中には勿論“恋愛”なるものに狂った魂も山の様にあるわけだから、尚の事そう言った感情についてはさっぱり理解もできずに、そして長すぎる寿命を全うするまでそんなものは体験したいとも思わずに居た。
そんな毎日に疲れ果てていた時、何か綺麗なものが見たくて、普段は足を運ばないこの河にやってきたとき、偶然にも彼と出逢った。
自分とは異なる、潔いほどにまで漆黒に染まった黒い羽を持つ、自分と同じような姿形を持ってしても、自分には持ち合わせて居ないどこか可愛らしさと慎ましやかさと、自分と同じような気持ちを持つであろうことをその視線から感じ取り一目で心を奪われていった。
彼はこの翼が羨ましいと、重ねていく日々の中で言ったことがあったが、それは自分でもそう思う。
白い白い・・本来の意味を持つこの清廉潔白な色の羽はきっとシドの方が似合うと思うのだが、もしこの立場が逆転していて、その能力を背負ったとしたら、果たして彼は自分と同じようにこの感情に目覚めていたのだろうか――・・・・?
それと同時、第三者共のその汚い記憶とは裏腹に日々白くなっていく、上辺だけの美しさを持つこの羽に、本当に綺麗な彼に触れさせるのはまだ踏ん切りがつかなくて・・・。
「・・・・・ゴメン・・・、今はちょっと触られるのはダメ、なんだ・・・。」
そう言いつつも、バドの手はシドの黒い羽に触れられて、宝物を慈しむかのように撫でているのに、どうしてだろうといつも拗ねたようにして首を傾げる。
初めて出逢ったあの日に、異種族のバドがシドの羽を見て“狩”の種族だと見抜いたのだが、シドの種族は白の一族に遜る形だったからその生業がどういうものか詳しくは知らされては居なかった。
だから、シドはどうしてそこまで自分が触れるのを嫌がるのかを理解できなかったので、もしかしたらと言う気持ちでいっぱいになり、どんどんと表情も暗く沈んでいく。
「・・・・・・もしかして迷惑、ですか・・・?」
段々と逢うたびに昂じていく感情の変動に、置いていかれるような感覚。
口付けは交わす事は出来ても、触れられるのは嫌だと言うその気持ちはもしかしたら・・・、そう思うとやりきれなさでいっぱいになる。
「いや、違うんだって!」
ぐい・・っと俯く顔を無理に上げて目線を合わせれば、ひとりで考え込んでいた結果として少しだけ潤む瞳で見上げられつつも、バドもまた制御不能な気持ちに陥る。
「・・・・・・・その、触れて欲しい気持ちはあるんだけど・・・。」
あれだけ最初にくだけた言葉を連ねておきながら、今更何を・・・と自分でも思うのだが、最初のときよりもずっとずっと魅かれていて、次の言葉を探すだけでも一苦労する。
「何て言うのか・・・、お前にだから触れられて欲しくないっていう気持ちもまだあるから・・・、もう少しだけ時間をくれないか?」
言葉だけじゃ物足りないと思う感情は身に覚えのあることだから、なるべく気持ちを前面に押し出した言の葉を選びながらバドはシドの両肩に添えていた片手を外して、自らの白いその羽に触れる。
「それまで・・・これで我慢してくれないか?」
ぷちり・・と軽い音を立てて千切る一片の羽根は、まだ穢れた記憶に塗れていない映えきったばかりのそれで、そっとその白い手の中に収めるように両手で包み込んだ。
「・・・はい・・・。」
その温かさと裏腹に、バド自身の繊細な心の中を感じ取ったシドは少しばかり赤くなりながらこくんと縦に頭を振った。
「不公平だっていう気持ちも凄い良くわかるから、なるべく早くに何とかするけどな・・・。」
バツが悪そうに、自分ばかりが触れて申し訳ないと顔を少し俯かせるバドの仕草に、くすぐったいような気持ちを隠せずにくすくすと笑いを零しているシド。
「待ってますよ。」
その言葉に思わず苦笑するシドの艶やかな黒い羽を撫で上げながら、再びその身をギュッと抱きしめる。
その白い羽ごと抱きしめ返したい気持ちを何とか押さえながら、今は彼の広い両肩にだけ手を添えることで我慢して――・・・。
近い将来、全てを抱きとめられるその日を待ち遠しく感じながら、シドは生まれたての白さに包まれた羽根を、自分自身の一片の黒い羽と共に、クリスタルのビンに閉じ込めてみた。
あれだけ忌み嫌っていたその黒は彼から貰ったその白と調和して、少しだけだが綺麗だと思える程に、閉じられた空間の底にて、柔らかくふわふわと二枚きりで仲良く存在していたのだった。
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