しんしんと、以前には確実にそこにあった、人々の笑顔とそれを営むための住処と、それを癒すための動植物の亡骸や廃墟、血塗れた屍を覆いつくすために、白い絶望にも似た冷たさで止む事無く降りしきる雪。
突然命を奪われたことの怒りや哀しみ、何が起こったのか判らないままの戸惑いの死人の魂は、この夜も大量に天上へと向かうこととなった。
「・・・・・・・。」
死を生業にしている彼らでさえ、灼熱と化した業火の中、逃げ惑った人々が流したおびただしい血の池と、無残にも焼け焦げて天を仰いで息絶えた骸と、その熱線により影だけを焼き付けたまま骨も欠片も残らないままに逝った者もいる、そんな場所に長居をするのは無用だと言わんばかり、あまりにも無残な地獄絵に目を背けながらも懸命に魂を回収し、そしてさっさと引き上げていった。
その中で飛び立とうとする仲間に先に行って欲しいと告げ、ただ一人残り鈍色の空から舞う白い粉雪を仰ぎ見続けていた。
美しい色。
穢れの無い色。
全てを無に帰す事のでき、そして優しさに満ちた色・・・・。あの人と出会う前からずっと羨望して渇望していた、遠く遠かったその色は今はどこかもどかしい寂しさを感じ取っていた。
a hymn azure
†Powdery†
「・・・・・つかれた。」
空に飛び立っていく同胞の黒い翼が見えなくなり、灰色の空とそこからまだひっきりなしに降り注ぐ、この消滅した魂を弔う餞の雪が積もって培った白い大きな棺の様な雪の中に、シドはただ一人で、その場所に糸が切れたように寝転がる。
積もり積もった白い雪の下では、何も無くなった街、空になったヒト動植物の器、そして建物の残骸が、この大地に還元される過程を少しでもと覆い隠すように、まだ空から仲間を呼ぶように音も無く降り続ける、羽の様な軽い雪。
極稀を除いてはこの大地に暮らす者達に彼等の姿を見ることができないのと同じで、シド達天井に住まう彼らも下界に根付く物に触れることは出来ず、唯一触れることの出来るのは、大地の借り物となった器から浮き出た魂のみだった。
故に、厚く垂れ込めた雲がいくら天にあるものだとしても、大地に向けて贈られる物であるがため、大地に仰向けになってその手をいくら垂直に掲げようともすり抜けて、横たわる身体や羽根すら通りぬけて、先に降り立った仲間と合流して行く。
「・・・・。」
今まで大の字で横たわっていた身体を・・・普段のシドを知っている者ならばはしたなく思うかもしれないが・・・、ぷいっとむくれた様に羽根ごと半回転させて横向きになると、ばさ・・と否が応にも漆黒の生まれ持った羽根が視界に入る。
自らを包むように腕を回したついでにその羽根をひとつ千切り、ダークオレンジ色の瞳の中に映してまじまじと見つめる。
「・・・やっぱり好きになれない・・・。」
こんな羽根。
こんな色。
こんな力。
救いとか、感謝されたいとか、見ず知らずの者達にそう敬われたいとかそんな大それた事思わない。
ただ、これ以上汚れたくない。
そう心底思うようになったのは、つい最近・・、そう、あの人に出会ってから特に・・・。
「逢いたい・・・・。」
今すぐに・・・。
あの逢瀬の河べりに行って、あの優しい色に見合う優しい姿を見たい。
でも、何だか酷く身体が重くて、翼を動かすのも億劫すぎて、このままあの人を象徴する色に包まれて眠ってしまおうかとも思う。
羽根の懐にしまい込んだ魂達も、早く極楽浄土に連れて行けと騒ぎ立てているがそれすらも耳には子守唄の様に心地良く響いてきて、うつらうつらと目蓋が下がっていく。
異世界の白い大地に包まれて、このまま睡りについて目が醒めたら、この黒い色が真っ白に染まっていればいいのに・・・。
彼と同じ色を共用して、同じ力を手にして、同じ優しさを与えたい。
出会えない日、あの場所で待ち疲れて眠っている最中に夢心地に触れる温もりと、閉じている目蓋の裏、鮮やかなあの羽根の純白を感じている。
夢現の中、その手はまだ直に触れたことの無い白の柔らかさに触れている。
清廉な色・・・、包容力満ちる色・・・。
不思議な不思議な・・・あなたの色をもっと感じたい・・・。
もっと・・・、そばに・・・・・。
そばに・・・・。
「シド!」
「ん・・・?・・・・?」
ふわふわとした感覚にさらわれてこのまま睡ってしまいそうになったその時、突如耳元で聞こえてきたその声に目を開くと、そこには今にも泣き出しそうな顔のバドが、黒い羽根ごと自分の身体を抱き起こしている。
「え・・?あ、れ・・・?どうし・・・っ!」
まだぼんやりと寝ぼけたままで不思議そうな顔をして見上げてくるシドを、バドはそのまま思い切り抱き寄せた後、あれ程触れさせるのを憚っていた白い羽根で更に暖を取るように包み込む。
「バド・・・?」
ここに降る雪・・・否、それ以上に鮮やかにけぶる白さに、今初めて直で感じる事の出来るその羽根から伝わる温もりは、そのまま彼の人格を象徴しているようで心地良いものだが、それを感じる前に、バドがどうしてこんなに哀しそうな顔をしているのかがいたく気になって、シドはその腕の中で少し顔を上げてから目を合わせて、軽く首を傾げた。
「どうしたんですか・・・?」
「どうしたじゃない!」
「!?」
突如声を荒げられたと同時、抱きしめていた腕が肩に移動して痛いくらいに掴まれる。
「持ち帰った魂が足りないから、こっちでも結構騒ぎになって・・・、何だか予感がして降りてみたら・・・。」
しばらく会っていないのもあって、もしかしたらという思いもあったので、白い翼をはためかせて、今日汚染された炎と熱風で消滅した街に降り立った彼の視界に入ったもの。
冷たさや質量は感じないものの、一歩間違えればその儚さからは想像できないが、死に至らしめるとされる雪の中で黒い羽根を広げて埋もれるようにして横たわるシドの姿。
突き上げてくる焦燥感に駆られ、その場に降り立ちその身体を抱き上げると、それはまるで息をしない彫像のようで綺麗でそして無慈悲で残酷な程に・・・。
「・・ごめんなさい・・・、ちょっと色々考えていたら・・・・。」
すっ・・・と、バドの腕の中でしょんぼりと項垂れるシドを見て、バドは先ほどまで感じていた漠然とした不安が段々と実感を帯び始めていくのを感じていた。
偽善的な優しさじゃなくて、繊細な心ゆえの優しさを持つ、この“狩”の者は、何時か自らの能力を呪うがあまりに自滅の道を歩んでしまうのではないか・・・と。
だからと言って自分と同じ“洗礼”の道に引きずり込めば、今以上に苦しむのは目に見えている。
ならば・・・・。
「バド?」
急に押し黙ったまま下を俯いているバドを、不思議そうに見上げてくるシドに、何でもないからと言い、それから、飛べるか?と促した。
「えぇ・・・何とか。」
「顔色があまり良くない。疲れてるんだろう?早く帰って休んだ方がいい・・・。」
「・・・・・・えぇ。」
本当はもっと一緒にいたいと言う気持ちを懸命に押し殺しながら、シドはふら付く身体をどうにか立ち上がらせながら、バドの手を取って立ち上がり、相変わらず眩い・・・しかし温かい彼の血が通うことをこの日初めて知ることが出来た白い翼を見つめながら、自らの黒い翼をはためかせる為に広げていた。
ばさり・・と黒と白の翼が死の灰の上に降り積もった白い雪原で広がって、そのまま天に昇って行く。
そして、何時もの二人の里を隔てている河べりに辿り着くと、シドの翼の懐で眠っていた未回収の魂がバドの手に手渡される。
「・・・・・・・・・バ」
「シド。」
シドが名前を呼ぶより一瞬早く、河べりの向こう岸にいたバドが振り返ってくる。
「・・・また明日・・・・来れたら来て欲しい。」
「え?」
来られたら来るという気ままな様でいて、既に互いの支えになっている逢瀬。
それを改めて約束されるのは初めての事で、シドは思わず目を丸くする。
「・・・・全部お前に話すから。」
シドが、渇望して、羨むほどに眩しそうに眺めるこの白い羽根に纏わる自身の能力を、そしてこれからのことを・・・。
「待っていて欲しい・・・。なるべく早くに行く様にするから。」
「はい・・、でも・・・。」
あまり無理はしないで下さいね?と心配そうに言われて、それはこっちの台詞だぞと軽く笑いながらも、何時までも名残惜しそうに見詰め合う二人。
ただ静かに流れ行く河だけに隔てられている二人の距離。
それを完全に無くすために支払われる代価は生易しいものではないと判っていても、そばにいたいという想いを更に彩らせて、絡み合う視線をどちらからともなくもぎ取るように逸らして、それぞれの住処へと帰っていったのだった。
next
戻ります。
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