奥座敷にて歩み寄り5

小さなびっくりパン屋にて

「あれ? 猗窩座殿。あれなんだろう?」 そんなこんなで熱い夜と美味しい食事を堪能した二人が、すわ目的地の一つへ向かうため車に乗り込んだその時。 ふと横を確認した童磨が何やら気になるものを発見したように猗窩座に問いかける。 「ん? どこだ?」 「あそこ。森の中になんかあるよね?」 車の窓を開けながら身を乗り出す童磨に、猗窩座も運転席から目を凝らして彼が興味を持ったそれを見る。 紅葉が色づく一見したら少しだけうっそうとした小さな森にも見えるそこに、黒っぽいウッドデッキが伸びているのが見える。 明らかに人工的にしつらえられたそれを、まばらだが歩いていく人がいるのでそこに何かがあるのは明白だろう。 「…折角だし行ってみるか?」 「え、いいの?」 猗窩座の提案にがばっと振り返った童磨の顔はとても嬉しそうで。 本当にこいつは何にでも興味を持ちたがるのだなと苦笑を滲ませながら、どうせここからそんなに時間もかからないだろうと了承の意を示せば、ありがとう猗窩座殿!と更に嬉しそうに礼を述べる童磨。 そんなわけで宿泊先のホテルから徒歩3分もかからない場所にあったそれは、一見すると木で作られた旅籠屋のように見えた。 そう猗窩座が判断した理由は、正面玄関口の斜め前に足湯があったからだ。タオルの類は備え付けられていないので恐らく部屋にしつらえられたものを持ってくるのだろうか。 だがよくよく見ると入り口には朝の10時前に関わらず小規模な行列ができているため、宿泊施設の類ではなさそうである。 ここは一体何なのだ?と不思議に思う猗窩座の横で流石に童磨も不思議に思ったのか、スマホを取り出して調べている。 「猗窩座殿」 出てきた情報を共用するためにスマホの画面を差し出す童磨に倣い、猗窩座はそれを覗き込む。 「ここ、パン屋さんだって」 「は!?」 童磨の声と差し出されたモニター前の情報に思わず猗窩座が声を上げる。少しばかり大きかったその声に注目を集めてしまったのをバツが悪そうに俯いてやり過ごすと、ふふっと笑う童磨の声が聞こえた。 「”小さなびっくりが生まれるパン屋さん”なんだって。早速猗窩座殿もびっくりしたから、このコンセプトは当たりだよねえ」 カラカラと笑う童磨にそりゃ驚くだろうと内心で思う猗窩座。 だってどう見たってここはパン屋には見えない。 中堅どころの旅館か、もしくはちょっとリーズナブルな寿司屋か。 だが、この外観に一体どういうパンが並んでいるのか興味はある。 「あ」 「ん? どうしたんだい?」 「車、止めっぱなしにしてただろ」 「あー、忘れてた!」 当然のように列から抜けていこうとする童磨を猗窩座の手ががっしりと引き留める。 「おい」 「何だいどうしたんだい猗窩座殿? 車移動させなきゃだろ?」 「お前、昨日俺に頼んだだろ」 「え、あ、あー、確かに」 「俺が行くからお前は大人しく並んでろ」 そう言って有無を言わさず駆け出していく猗窩座を見送りながら、ほわりとした感覚が心の中に生まれてくる。 (猗窩座殿は本当に優しいなぁ) 幸せそうにふふ、と笑う童磨の顔を盗み見た上で先ほどのやり取りを聞く羽目になった少数の一般人も同じように朝からホワホワした気持ちになったと後に語っている。 平日の、しかも開店前に並んだ甲斐があってか、猗窩座と童磨の順番はすぐに回って来た。 中に入れば確かに猗窩座が抱いた印象と違わぬ、和の趣が溢れる店内のレイアウトだ。 ガラスタイプの木枠の格子戸の中に高級感溢れるパンが溢れんばかりに並んでおり、朝食を食べたばかりなのに食欲をそそる。 それもそのはず、このパン屋の商品はプロの料理人が思考を凝らして作られたメニューであり、他よりちょっと値が張る分見た目も味も逸品なのである。 丁度昼食の時間に紅葉のスポットに差し掛かることから、そこで食べようということでいくつかパンを見繕う。ちなみに手拭いや手作りのジャムも陳列されているので数点購入した後、折角だから足湯も堪能することにした。 「うわ、ちょっと熱いねぇ」 そう言いながら黒スキニーパンツをめくりあげた童磨がゆっくりと腰を下ろしてお湯の中に足を入れていく。ちなみに猗窩座が車を移動させる際に、抜かりなく足湯のことも調べた童磨が”悪いけどタオルも持ってきてほしい”とメッセージを送ったので、タオルを取りに行く二度手間は省けていた。 猗窩座もまた買ったパンが入った袋を濡らさないように、ジーパンの裾をめくりあげてお湯の中へ足を踏み入れた。 「ホントだな、ちょっと熱い」 そう言いながらぴったりと童磨の横に腰を下ろしながら、足湯を堪能する。まだ少し肌寒い外気が足湯の熱さと調和されて心地よいなと思いながら、目の前の風景を堪能する。 さわさわと揺れる色づく葉っぱと翠。それに入り混じって聞こえてくる鳥の鳴き声。喧騒から離れたこの場所だけ、まるでゆったりと時が流れているような錯覚を覚える。 「っと」 「ぁ、ごめんよ」 不意に猗窩座の肩に柔らかくこつんとした感覚が走る。横を見るとどうやら静けさと足湯の心地よさが相まったのか、舟をこぎ始めている童磨がいた。 「いい、寝てろ」 「でも……」 「15分経ったら起こすから」 「ん、じゃぁぉ願い…」 離れていこうとする童磨の白橡の髪を抱き寄せ、具体的な時間を示して仮眠をすることを促せば、素直に目を閉じて寝入る童磨。 間近で漂ってくるシャンプーの香りは昨日自分と同じものを使ったはずなのにどうしてこんなにも甘いのか。 (っと、やべぇ…) そして必然的に思い出すのは昨晩の激しくも熱い愛の営み。 室内温泉付きの部屋にしたのにお互いがお互いに没頭しすぎてあまり堪能できなかったなと、必死で隣にいる愛しい者との甘美な時間を思い出さぬように懸命に思考をずらしていく。 だがそんな猗窩座の懸命の努力もむなしく散らされることとなる。 (ああああああああああ!!) 太ももまでまくり上げている童磨のそこに咲くは鮮やかな朱い痕。昨晩散々調子に乗って付けてしまった己のものだという所有の痕跡。そう意識してしまえば熱い湯の中で揺蕩っている両脚もふくらはぎから膝裏にたくさん付けた朱花が見えてしまう。 更に言えば己の膝付近にも童磨が快楽に耐えるために思いっきり掴んだ跡が残っており、文字通り頭を抱えながら猗窩座は心の中で絶叫する羽目になる。 すやすやと気持ちよさそうに、時折幸せそうに自分の名前を呼びながら仮眠する童磨とは裏腹に、猗窩座はひたすら恋人の吐息と温もりを隣で感じながら昨晩の欲情の熾火に苛まされ生殺しの15分を過ごす羽目になったのだった。

  

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