奥座敷にて歩み寄り6

雨雪ジェラートと不埒者
※足湯で猗窩座がタオルを取りに行った場合

足湯に入ろうとしたは良いが、タオルは備え付けではなく各自持参する旨が書かれた看板を読んだ猗窩座は、タオルを取ってくるから先に入っていろと童磨に促し、再び駐車場へと走っていった。 一人残された童磨は黒スキニーの裾をまくり上げてよいしょ、と声を上げて腰を下ろし湯に足を浸らせていく。 「わぁ、ちょっと熱いなぁ」 それでも外気温が涼しいのでこの熱さがちょうどよくなるのだろうと、さわさわと揺れる紅葉の隙間からでもくっきり見える猗窩座のブーゲンビリアの髪を虹色の目で追っていく。 そう言えばあの駐車場の奥にある建物は何だろう? 一見すれば一軒家のようにも見えるけど、なんだかあちらにも人がちらほらと並び始めている。 そんなことを考えていると、ぴこんと童磨のスマホが鳴る。後ろポケットからスマホを取り出せば駐車場にタオルを取りに行った猗窩座からだ。 ”駐車場傍にある建物、ピザとジェラート屋らしいぞ。何か買っていくか?” 中々に魅力的な提案だ。熱い温泉に入りながら冷たいジェラートを食べる至福の時。隣に腰掛ける猗窩座と一緒に食べさせ合いっこをしてもいい。 そんな甘い時間を想像しながら童磨は素早く返信用の文章を打っていく。 ”ありがとう! じゃあお願いするぜ” そう言って送信すれば、”何かリクエストはあるか?”と返ってきたので”猗窩座殿セレクトでお願い♡”と送れば、デフォルトのOKスタンプで会話は終了した。 あちらもまだ朝早いのでさほど時間はなく戻ってくるだろう。楽しみに待つという感覚は何度味わっても幸せな気持ちにしてくれる。そしてそれは他でもない猗窩座とだから味わえるもので。 「楽しみだなぁ♪」 ふふ、と笑いながら両ひざの上に肘をついて向かいをじっと見つめていると、不意に隣に横切る影があった。 まさかもう戻ってこれたのかな?と童磨が横を見ると、そこには知らない男がニマニマとこちらに笑いかけながら足湯に浸かろうとしている。 自分たちと同じく足湯に浸かりに来た客なのだろう。でも自分がいる場所は一番端っこであり、他にも空いている場所があるのになんでわざわざ隣に来たんだろうと不思議に思う童磨に、男はねぇねぇと馴れ馴れしく声をかけてきた。 「いいお湯だねぇ」 「?そうですねぇ」 確かに熱いけどいいお湯だ。そう素直に感じたまま答えると男は心なしか距離を詰めてくる。 「どこから来たの?」 「東京からですけど…」 男の年代は自分と同年代、もしくは猗窩座と同じくらいだろうか? 温泉特有の見知らぬ人にシンパシーを覚えて話しかけるという現象は確かにあるにはある。だがスーパー銭湯や温泉に行ってもそんな経験をしてこなかった童磨としては何でそんなことを聞くのかなぁ?としか思わなかった。 「そっかぁ、東京から…。まだ暑いでしょうあちらは」 「ええ、まあ」 じりじりと距離を詰めて座ってくる男に対し、なんだか心がざわざわする。 (そこ、猗窩座殿に座ってほしいのに…) 自分を喜ばせるために今傍にいない猗窩座の席が見知らぬ男に占拠されていることにちょっとだけ不快感を覚えてしまう。どこに座ろうが人それぞれだし、たまたま男がそこに座りたかったのかもしれない。だがそれを差っ引いて考えても猗窩座殿が戻ってくる前にどいてほしいなぁという気持ちがぬぐえない。 「ねぇ、折角だからもっとお話ししない?」 ついに男の腕が馴れ馴れしく童磨のくびれた腰に伸ばされそうになった時、背後から凄まじく殺気だった闘気を感じた。 「あっ」 「…おい」 パッと後ろを振り返った童磨の目に映るのは、ジェラートが入ったカップを二つ持ち、腕にハンドタオルを引っかけている猗窩座の姿だった。 少し締まらない姿ではあったが、文字通り鬼の形相で睨みつければ一般人であるナンパ男には効果覿面だった。 「誰に許可を得てこいつを口説いている?」 普段は少し高い声だが、怒りを抑えている時は鋭く低く響くその声は閨の時間を思いこさせて思わず童磨は胸をキュンっと高鳴らせてしまう。 敵意を持った向日葵色の瞳に睨みつけられ、地鳴りがしそうなほどに迸る殺気に男は這う這うの体でその場から立ち去っていった。 「ふん、身の程を知れ」 鼻を鳴らしながら不快気に吐き捨てる猗窩座に、そっと童磨は立ち上がり猗窩座の手の中にある二つのジェラートを持ってやる。 「ありがとう猗窩座殿」 「……どういたしまして」 その”ありがとう”には二つの意味が込められているのだろうと察した猗窩座は童磨の礼を素直に受け止め、持っていたタオルを傍らに置くと自分も靴を脱いで足湯に浸かる。 「あ、ねえねえ。何の味のジェラートを買ってきてくれたの?」 腰を下ろした猗窩座に、身の程知らずの男のことに脳内メモリーを使うのはもったいないと忘却の彼方に追いやった童磨が何のフレーバーのジェラートを買ってきたのか尋ねる。 「あ? ああ。店が勧めていた牛乳味とかぼちゃと塩バニラがこっち。で、こっちはチョコとママレードとバナナだ」 「え、トリプルなんだ」 「どうせなら多いにこしたことはないだろ」 「そうだね! うわー美味しそう♡」 心から喜ぶ童磨の笑顔を見ながら猗窩座もまたふんわり笑う。 男に言い寄られているとき、多分童磨は自覚していないが戸惑いの表情を見せていた。人当たりがよく笑みを絶やさない恋人に不愉快な思いをさせたばかりか手を出そうとしたあのクソ野郎にはこれから先、箪笥の角に小指を常にぶつけまくって悶絶しろという呪いをかけたい気持ちに見舞われる。だが、この笑顔に免じて綺麗さっぱりその不愉快な存在を消す方向に猗窩座は思考を切り替えた。 「猗窩座殿。こっち食べてもいい?」 「ああ構わんぞ。どのみち両方食うからな」 「ふふ、そうだねぇ」 カップを受け取った童磨がプラスチックのスプーンにチョコフレーバーのジェラートを乗せて自分に突き付けてくる。 「味見して猗窩座殿♡」 「いいぞ、ホラ」 目を閉じて唇を薄く開いた猗窩座の口内に入ってくるのは濃厚で甘ったるいチョコの味。 「甘すぎないかこれ…」 「そうなの?」 そう言いながら自分でぱくりと口に含み咀嚼し、『確かに甘いけど甘すぎるって程じゃないかなぁ』と言っているので、童磨が食べさせてくれたから甘さが過ぎたのだと猗窩座は結論付けた。 「じゃあ俺のも味見しろ」 「はーい♡」 牛乳味のジェラートをスプーンですくい口元へと持っていく。あーんと素直に口を開けて目を閉じる童磨の顔があまりにも可愛くて、思わずそのまま唇を奪ってしまいそうになったがそれはどうにか耐えた。 「ど、うだ…?」 上ずってしまった猗窩座の声に気づいていないかのように童磨は牛乳味を堪能している。 「ん、美味しいよ」 「そう、か」 そう言い合いながらようやくお互いのジェラートを食べ始める。もちろん他の二つも平等にシェアすることを忘れずに足湯に浸かりながら猗窩座と童磨は気持ちよさと甘さと二人の時間をたっぷりと堪能した。 ちなみにそこにいた一般人たちはあまりの甘さに胸を押さえる羽目になり、その日のびっくりパン屋の売れ行きはスパイシーだったり塩辛いものがダントツで、文字通り飛ぶように完売したという。

  

作品ページへ戻る