花火の向こうに伝える愛
「んんー! 今日も一日終わったなぁ」
パソコンの電源を落とした童磨はリクライニング機能が付いたゲーミングチェアの上で思いっきり伸びをする。この一週間はほどほどに忙しく、新作の動画配信や新たに展開するビジネスモデルのコンテンツ作りに励んでいた。なので同棲している猗窩座とはあまり触れあえない週であったが、実は猗窩座も猗窩座で同じく一週間前に北の大地に出張に行っていた。いつかのクリスマスとは違い、年に何度かの出張を経験して行くうちに出張の度に落ち込む回数は減り、だんだんと童磨と離れて過ごすことに慣れていった。とはいっても毎回行ってらっしゃいの挨拶と離れている分だけ交わすキスの習慣は決して消えることはないのだが。
そんな変化を童磨は成長したなぁ…としみじみ思いながら、今は北の大地は涼しいからいいなぁという感情を挟みながら見送った童磨の元に、電話が入ったのは花金の夜のことだった。
「はーい、もしもし?」
ディスプレイにはしっかり猗窩座のアイコンと名前が書いてあるので相手を取り違えることはない。黄昏の初刻も2/3過ぎた頃、本日の動画配信も終えてそろそろ一息着こうと思っていた時に恋人からかかってきた電話にテンションが上がるのが分かる。
「おーい、あかざどのー?」
しかし電話の向こうの相手は黙ったままだった。もしかしていつぞやの冬のように猗窩座殿以外の誰かが出ているのだろうか? そう言えば都田さんは元気でいるのだろうかと関係のないことを考えた童磨の耳にかすかにどーん、という重低音が聞こえてくる。
「…ああ、どうま」
その時ようやく猗窩座の声が聞こえてきた。心なしか声が遠い気がするが屋外にいるのだろうか?
「うん、童磨だよ。元気?」
「……ああ」
一拍おいて聞こえてきた猗窩座の声に童磨はあれ?と思う。明らかにその声は平素の覇気が感じられなかった。
「本当に? なんだか声に生気が感じられないんだけど…」
「ふはっ、生気ってお前」
小さく噴き出す声と続いて聞こえてくる笑い声。でもやはりどこか元気がないようで、童磨は思わず電話を握る手に力が籠められる。
「…なにか、あったの?」
「っ、」
ひゅっと猗窩座の微かに息を呑む声が聞こえてきた。それと同時に再び彼の電話からどどぉんという重い音が聞こえてくる。
(あ)
唐突に童磨は思い至った。これはそう、花火の音だ。
「ねえ猗窩座殿」
「、なんだ?」
気を取り直したかのような猗窩座の声が聞こえてくる。そんな猗窩座の側に無性に飛んでいきたくなった童磨は、ひっきりなしに聞こえてくるその音の正体を彼に尋ねた。
「花火、上がってるのかな?」
「っ、ああ、そうだ」
「そうかぁ…、そう言えばあの時もこの時期に上がっていたよねぇ」
童磨が言うあの時とは、数年前に訪れた北の政令指定都市にある弐と参に所縁のあるエリアでのことだった。
最初の予定で最終日間近の日に庭で花火をやっていたら唐突に夜空に打ちあがった花火に圧倒され、改めて猗窩座に想いを伝えられた夜。
────…俺はお前と話していると楽しい。
────…お前とこうしていられるのは当たり前だけど当たり前じゃない。奇跡だと思っている。
────…来年も再来年も、ずっとこれからもお前とこうして一緒にいたい。
記憶力の良い童磨が熱烈な猗窩座の告白を思い返しながら、本当にずっとここまで来たんだなぁという感慨深さが湧き上がってくるのと同時、ついに押し黙ってしまった猗窩座を今すぐどうにかしてあげたいという気持ちが湧き上がってくる。
「…ねえ猗窩座殿…」
「…」
無言のまま電話の向こうで佇んでいるであろう猗窩座に声をかける。
「…俺ね、俺もね…。ずっと猗窩座殿と一緒にいたいよ」
「え…」
「何をいきなりって思うかもしれないけど、そっちの花火の音で思い出したんだぁ。
あなたが前に言ってくれたこと」
「っ!」
スマホを持ったまま童磨は立ち上がりベランダへと向かう。少しだけ涼しくなった夜の空気を纏いながら、新月が浮かぶ北の方角の空を眺めながら言葉を続けていった。
「…猗窩座殿がいる生活が当たり前になってたけど、やっぱり当たり前じゃないなぁ。…だって今の猗窩座殿の様子が分からなくってこんなにやきもきしてるんだもの」
ベランダの柵に片手を乗せすっかり陽が落ちるのが早くなり藍色になった空を眺めながら童磨は言葉を続ける。そんな童磨のスマホの向こうにいる猗窩座は黙ったままだった。
「…ねえ、猗窩座殿」
「…童磨…」
声が震えているのが伝わってくる。隠されてしまうかもしれないけれど、声だけじゃ足りないと感じた童磨は柔らかく言葉を紡いでいく。
「…お願い。猗窩座殿と一緒に花火が見たい。見せてくれるかな?」
***
我ながら女々しくて嫌になると猗窩座はスマホを片手にそう思っていた。
今日は出張の最終日である金曜日。初めて童磨と離れた冬の日とは違い、すでに何度も出張を経験しているのでそれほどナーバスにならずに済んだし、クソ暑い中での北の大地のへの出張はむしろ有難かった。それでも童磨と離れてしまうということを天秤にかければ手放しに喜べなかったが。
今回の出張はさほど長くはなく10日もすれば帰れる程度のものだった。お互い仕事があるので連絡は毎日は取らず気が向いた時にだけ…といった感じだったが、今日、この日、夜空に花火が打ちあがっているのを見た瞬間、猗窩座はたちまち不安の渦に飲み込まれてしまった。
克服したと思っていた〝昔〟、鬼になったきっかけとなった記憶。
双子の兄である狛治のものである記憶が、今、一人でいる猗窩座の心の隙間に深く入り込んでしまった。
花火大会の夜の後、離れてしまったがゆえに
側にいなかったがために
あんなことに。
『ッ』
慌てて猗窩座は首を振る。
違う。もうそれは過去のことだ。兄の記憶だ。
今は違う。もう童磨も自分も鬼ではないし、童磨だって毒でやられることなどない。
そんな猗窩座の心情を知ってか知らずか、北の大地の夜空には千紫万紅の芸術品が間髪入れずに打ちあがっている。その度にじわりじわりと不安に蝕まれていく感覚。
たまらずに帰路を急ぐも、花火は始まったばかりでその音も煌きも独りでいる猗窩座に容赦なく降りかかっていく。
そう考えるともう居ても立ってもいられずに、猗窩座はスマホを取り出して通話ボタンをタップし、童磨の元へと電話をかけたのだ。
『はーい、もしもし?』
耳に届く柔らかな声に、ほっと心がほどけていく感覚に襲われ、思わずスマホを取り落としそうになる。心なしか嬉しそうに弾む声に涙が出そうなくらい安堵感を覚えてしまう。
『おーい、あかざどのー?』
ともすれば気を緩めば泣きそうになってしまうのは、ひっきりなしに聞こえてくる花火の音と光だけではない。童磨が此処にいないことにも起因するのだろう。
『…ああ、どうま』
それでもようやくの思いで名前を呼べた。
『うん、童磨だよ。元気?』
『っ……ああ』
元気、ではあるが元気ではない。今すぐにでも飛んで帰って抱きしめたい。蝕まれる不安を解消したいという気持ちと、こんな女々しい自分では呆れられるかもしれないという不安と、童磨がそんなことで呆れるはずがないという葛藤が猗窩座の声を擦れさせた。
『本当に? なんだか声に生気が感じられないんだけど…』
『ふはっ、生気ってお前』
それでもそんな童磨の言葉に猗窩座は小さく噴き出した。気弱になった心に恋人の優しく甘い声は何よりの特効薬だと思い、何でもないと言おうとしたその時。
『…なにか、あったの?』
『っ、』
思わずひゅっと息を呑んでしまった。そしてタイミング悪く猗窩座の背後からどどぉんという重い音とぱちぱちという音と共に火の光が降り注いでくる。
ああダメだ。
呑まれてしまう。
漠然とした不安にまた俺は呑まれて、そして無意味な生を、繰り返すに至るのだと。
『ねえ猗窩座殿』
『、なんだ?』
それでも気取られたくない。今生で誰よりも愛した彼に。こんな弱い自分を見られたくないと猗窩座は気持ちを奮い立たせ、童磨に言葉を返す。
『花火、上がってるのかな?』
『っ、ああ、そうだ』
声は、震えていなかっただろうか。変に思われていないだろうか。
俺はお前の前で対等でありたいのに。情けない自分などお前に見せたくはないのに。
くしゃり、と筏葛の髪をかき上げた猗窩座の耳に穏やかな童磨の声が再び聞こえてくる。
『そうかぁ…、そう言えばあの時もこの時期に上がっていたよねぇ』
童磨の言うあの時とは、数年前に訪れた北の政令指定都市にある弐と参に所縁のあるエリアでのことだった。
最初の予定で最終日間近の日に庭で花火をやっていたら唐突に夜空に打ちあがった花火に圧倒され、たまらなくなって童磨に想いを伝えたあの夜のことを猗窩座は思い返す。
────…俺はお前と話していると楽しい。
────…お前とこうしていられるのは当たり前だけど当たり前じゃない。奇跡だと思っている。
────…来年も再来年も、ずっとこれからもお前とこうして一緒にいたい。
ハッとなった猗窩座は向日葵色の瞳を微かに見開く。
そうだ。俺が言ったのではないか。
話していると楽しいし、奇跡だと思う時間を過ごせていること。
来年も再来年もずっとこうしていたいということ。
ずっと一緒にいることができた。ここまで来ることができた。それはまぎれもない事実であって。
少しずつ少しずつ、心の中にできた亀裂がふさがっていく。
かつて耐えられなかった重い過去よりも、甘く濃い過去から繋がる今の記憶に塗り替えられていく。
『…ねえ猗窩座殿…』
先ほどとは違う意味で言葉が出てこない猗窩座に、童磨は柔らかく言葉をかけ続けてくる。
『…俺ね、俺もね…。ずっと猗窩座殿と一緒にいたいよ』
『え…』
そしてまた言葉が詰まる。共有能力なんてもう無いはずなのに、どうして彼は…。
『何をいきなりって思うかもしれないけど、そっちの花火の音で思い出したんだぁ。
あなたが前に言ってくれたこと』
『っ!』
思わずスマホを取り落としそうになりながら、猗窩座は道の端にいた身体を進めていく。先ほどとは違い花火から身を隠すのではなく見える場所に移動するために。少しでも童磨と共有した思い出を鮮明にし、この焦燥に飲まれないために。
花火が良く見えるボート遊びと日本庭園が見事な市民に拓かれた憩いの公園に近づけば近づくほど人が多くなっていく。この人ごみの中でどれだけの者が前世の記憶をもって生れ落ち、今生で結ばれたものがいるのだろうとそんなことを猗窩座は考えた。
『…ねえ、猗窩座殿』
『…童磨…』
どうしても声が震えてしまう。先ほどとは違う、あまりにも幸せでたまらないから。隠したいという気持ちはもうすっかりなくなり、どれほどお前を愛しているか余すところなく知らせたいと考える猗窩座の耳に、とっておきの提案が柔らかな声でもたらされた。
『…お願い。猗窩座殿と一緒に花火が見たい。見せてくれるかな?』
***
童磨の頼み通りに猗窩座はテレビ通話のモードに切り替える。
『あ、猗窩座殿だ♪』
とたんに聞こえてくる童磨の元気そうな顔と声に思わず涙腺が緩みそうになるのをどうにか猗窩座は押し留めた。
人込みでごった返す公園内を早足で歩く際に視界の端々に、場所は違うが童磨が美味しいと食べていたフランクフルトやりんご飴の店も数少ないながら並んでいるのが映る。ああ、此処にこいつがいたら喜ぶのになぁという気持ちが遅れてようやく湧き上がってくる。
(会えた…)
そうしてスマホのディスプレイ越しだが童磨の満面の笑顔が目の前にあり、色々決壊を迎えそうになった思わず猗窩座は口を押えて俯いてしまう。
『え、猗窩座殿、大丈夫!?』
全国的に気温が高くなる今の時期、体力のあるなしに関係なく熱中症が怖い時期だ。猗窩座がいくら体を鍛えているからと言って水分補給を怠っていれば話が別になってくるため、童磨は画面の向こうにいる猗窩座を心配して声をかける。
だがとてつもない安堵感に見舞われた猗窩座はそんな童磨の声にこたえられる余裕はなかった。
(会えた…、童磨、良かった)
来年も再来年も、次もその次もそのまた次も一緒にいると決めた。
当たり前のように見えていた未来があっけなくも残酷に散らされたのはもう過去のことだ。
『猗窩座殿ー?』
「な、んでもない……。大丈…」
その瞬間、小休止を挟んでいた花火の打ち上がる音がどどぉん、という音が響き渡る。
「そうだ、花火」
『ゴメン、猗窩座殿』
「え?」
童磨の要望を思い出し花火を映そうとする猗窩座に童磨は小さく謝罪する。
「童磨?」
『あのね、花火よりもね…その…』
らしくなく液晶の中で言い淀む童磨を見つめると、彼はそのまま虹色の瞳を泳がせてしまう。
『…猗窩座殿と……チューしたくなっちゃった……』
「っ」
突然の要望の変更に〝昔〟だったら切れ散らかしているだろう。だがそんな気持ちも起こりえない。きっと童磨は自分の様子がおかしいことに気づいてくれたのだ。猗窩座に花火を映してほしいと頼んだのもすぐにでも会いたいのに会えない距離にいる現状をどうにかしたいという彼の優しさや労わり、愛情からなる言動であることを猗窩座は心から理解している。
『…ごめん、走らせておいてこんなこと言って…』
わがまま言ってゴメンねと謝る童磨に猗窩座は勢いよく首を振る。こんなささやかでいじらしく己の心を掬い上げてくれる頼みがワガママなはずがあるか。
「っ、らしくないぞ童磨。そんな顔をするな」
先ほどまで感じていた焦燥は、健気すぎる恋人の願いを叶えたいという一心に塗り替えられていった。
見晴らしのいい緑地の公園は花火を見上げる人でぎっしりと集まっているため、それを避けるために猗窩座は人気のない住宅街の方向にある出入り口からその場を後にする。
殆どが花火に夢中になっているため、ただでさえ裏通りのそこは人っ子一人いない。
相変わらずどぉん、どどぉんという音と共にぱぁぁあっと明るく目映い光が頭上に落ちてくる。
ここでならいいかと辺りを確認しながらも、念のためのことを考えてアパートと塀の隙間に入り込んだ。まるで野良猫のようだなと思いながら、ポケットに入れるでも電源を落とすでもなく大きな掌に握ったままだったスマホを目の前に持っていく。
「待たせたな、いいぞ」
『ううん、待っていないよ』
急がせちゃったね、ゴメンねと苦笑しながら謝る童磨の唇に思う存分触れ合って塞ぎたいという気持ちを込めながら、猗窩座は目を閉じそのまま液晶に口づける。そのタイミングで、はっ、と童磨は言葉を区切り息を呑み込んだ。そのタイミングがまさにいつもキスをしているときの童磨と同じで、液晶から唇を離した猗窩座は思わず笑った。
「ははっ、お前いつもと同じタイミングだぞ」
『むむぅ…、だっていきなり近づいてくるから』
そんな童磨の言葉から彼も自分からのキスを待つために液晶を近づけていたことが分かって、ますます猗窩座の胸に温かいものが灯っていく。
空の上からは相変わらず花火の音が響いているが、猗窩座の胸の中には耐えがたい焦燥感は消えていた。
いともたやすく消えたわけじゃない。童磨が気付いて提案してくれたからだ。
そして童磨もふさぎ込んでいた猗窩座が笑ってくれていることに胸の中が温まる感覚を覚えていた。
今にも泣き出しそうな表情をこらえている猗窩座の傍にすぐにでも触れたかった。以前のクリスマスのようにコッソリ内緒で訪れてビックリさせたいという気持ちとは違い、本当にすぐにでも猗窩座に触れて大丈夫だよここにいると伝えたかった。
だけど物理的にも距離的にも無理なのも分かっていたから、とっさに口をついて飛び出した自分にしてみたら突拍子もないことを実行してくれた猗窩座への愛がまた一つホワホワと童磨の心に降り積もる。
『童磨…』
「ん」
向日葵色の瞳がまるで蜂蜜のような甘く優しい光を放っている。
(あ…)
そして猗窩座の唇が軽く突き出されるのを見た童磨の胸は更に甘くときめきを訴えた童磨の唇が液晶に落とされたのはその二秒後のことだった。
花火大会の金曜日、週末を前にした恋人たちは人知れず路地裏でスマホ越しにキスを交わし合う。再会した夜はお互いに融けてぐずぐずになるまで相手を求めたいと強く願いながら、猗窩座と童磨の邂逅は最後の花火が打ちあがるまで続けられたのだった。
BGM:花火に消された言葉(FF7)/山の向こうに(FF7)
このシリーズとこの本の設定を引き継いだお話。三年ぶりの花火大会なのと花火の日に合わせて書きました。
座殿的には花火と自分が遠く離れているということはちょっとまだ怯える気持ちがあるんじゃないかなーと。そんな座殿を救い上げるどまさんっていうのを書きたかったのです。
2022/08/04
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