いついかなる時も何度でも
「童磨、ただいま」
「なあ童磨、この前言ってたことだけど…」
「あれ、美味しそうだな。童磨」
「いつもありがとうな、童磨」
「童磨」
「童磨…」
 
今日だけでもう六回目。何がって、猗窩座殿が俺の名前を呼んだ回数のことだ。
〝昔〟と違って今は猗窩座殿が俺の名前を呼んでくれることが多い。それもとてもとても嬉しそうな笑顔を見せながら。
例えば仕事に行ってくるときや帰ってきたとき。日用品の場所を聞くときや食べ歩きデートに出かけたとき。俺が料理を作ったり洗濯をしたりしたときとか。
そこ、別に呼ばなくても通じるんじゃない? って思う場面でも、猗窩座殿は俺の名前を呼ぶ。
 
鬼時代、どちらかというと名前を呼ぶのは俺の方だった。猗窩座殿、猗窩座殿とタイミングを見極めながら。
人はおおよそ五分に一回の割合で名前を呼べば心理的距離感を縮めることができる。最も〝昔〟はその背景に潜む心理的メカニズムなんか判明していなかったので、信者の一人に相談して『名前を呼べば相手は無碍には出来ませんよ』と聞いたことを実践していたんだけども。
しつこくならない程度のタイミングで俺は猗窩座殿の名前を呼んでいた。でも猗窩座殿は俺の方を一瞥すらしようともせず、近づけば拳や足が飛んできた。それでも俺はそのやり取りこそが猗窩座殿の親愛の情であり、彼なりのスキンシップだと信じて疑っていなかった。
だけどその一方で、俺の心が空っぽだから何度も名前を呼んでも彼が心を開いてくれないんじゃないかっていう気持ちはいつもどこかで抱いていた。
それでもめげずに名前を呼んだ。いつしか名前を呼んでいるうちに、親友としての情が芽生えることを期待して。
 
 
…それが全くの見当違いであることは、全てが終わった後、他ならぬ猗窩座殿の口から聞かされたわけだけども。
 
 
曰く彼は〝呪い〟に罹っていたのだと。
今は猗窩座殿の双子の兄として生まれている狛治殿に襲い掛かった出来事が、ずっと彼の中で消化しきれなくて、それが俺を遠ざける原因になっていたのだと。
だから俺に名前を呼ばれても金属に爪を立てるような嫌悪感が拭えないままでいた。近づかれるたびに横隔膜が痙攣して鳥肌が止まらなかったのだと言われた。
それを聞いた時、正直俺はホッとしてしまった。俺の心が空っぽだったから猗窩座殿に届いていない訳じゃなかったんだということに。
 

そう言ったら猗窩座殿はぎゅっと俺を抱きしめてきた。謝罪と俺の名前を呼びながら。
 
 
「どうしたんだ? 童磨」
 何となくそんなことを思い返してふふ、と笑っていたら、ソファで隣に座っていた猗窩座殿が不思議そうな顔をする。
「うぅん…その…」
 何と言ったらいいのだろう。今、あなたが俺の名前を呼んでくれる状況は素直に嬉しい。だけどいささか呼び過ぎなんじゃないかなって指摘するのもなんだかなぁって思うし…むむぅ。
「具合でも悪いのか? 童磨」
「~~~~っっ」
 そう言いながらそっと伸ばした手を額に当ててくる。
 本当に、もう、そういうところだよ猗窩座殿。
「いや、具合は悪くないけどね…」
「なら何でそんな難しそうな顔をしているのだ?」
「あー…その、名前」
「?」
「名前…、猗窩座殿、俺の名前をすごく呼んでくれるようになったなぁって」
「…迷惑、だったか…?」
「いやいやいやいや、そんなこと言ってないよ!?」
 つい今まで男前な表情を見せていたのに、どうしてそんな風に急にしゅん、とした顔になるのかなぁ!?
「迷惑なわけないじゃないか!! むしろ嬉しいよ!? どんどん呼んでほしいよ!!」
「…本当にか…?」
「本当だって!!」
見る見るうちに悲しそうな顔になる猗窩座殿。何で? 俺変なこと言っちゃった??
「…今更かと言われても仕方がないとは思ってる…。お前、〝昔〟からずっと俺の名前を呼んでくれていたのに、俺はろくに受け止めるどころか、言いがかりのように手をあげ続けていた…」
「…うん…」
それはもう過ぎてしまった事実だ。だけど何度も言うけど俺はその頃のことは何も思っていないし気にしていない。第一俺にだって打算はあった。俺も猗窩座殿も〝昔〟は知らないことも一方通行な部分も多すぎたんだ。
思わず俺はこつん、と猗窩座殿の額に自分のおでこをくっつけ合う。頭や顔は生身の人間にとって急所の一つだ。〝昔〟ならいざ知らず、こうして無防備に頭同士をくっつけ合うのは、お互い信頼しているから出来ることだ。
俺はあなたを信頼しているし、あなたも俺を嫌ってはいない。そういう意味を持つのだと俺は猗窩座殿に態度で示す。
そんな俺の行動を受け止めてか、猗窩座殿も更にグッと身体を傾けてきて静かに続きを話していく。
「…そのせいだろうかな…? 今、こうしてお前が傍にいて、名前を呼んでも呼んでも呼び足りなくて…」
触れ合っている額がどんどん熱くなっていくのに気が付けば、俺の目の前で見る見るうちに彼の顔が真っ赤になっていく。
え、何コレ可愛いんだけど。
「…〝昔〟にお前が呼んでくれた分が今になってボディブローのように効いてきてる、のか…?」 
「…いや、それは俺に聞かれても…」
猗窩座殿の赤面が移ったかのように俺もまた頬に熱が灯っていくのが分かる。いや、確かに仲良くなりたくて〝昔〟は名前を呼んでいたよ。だけどそれって解呪された途端にリセットされるものだとばかり思っていたんだよねこちらとしては。
 
 
まさか百数年間呼び続けた名前がここに来て抜群に効果が出ているだなんて正直思っていなかった。時間差攻撃にも程があり過ぎるだろう。
 
「だからその…、俺もお前が呼んでくれた分だけ名前を呼び返したくてだな…」
そのままぎゅっと両腕で抱き寄せられる。もうどちらも同じくらい顔が真っ赤で、俺の心臓はドクドク脈打っている。
 
「童磨…」
「っ…」
猗窩座殿。その体勢でそんな色気のある声で俺の名前を呼ぶのは反則だよ。

「童磨…、好きだ…」
「ちょ、それ、は…」
待って、本当に待ってほしい。
 
「愛している…童磨…」
「ぁっ」

力が抜けた身体をそのままとさりとソファの上へ押し倒される。
見上げた先にいるのは、熱で潤んだ向日葵色の瞳で、色んな感情をないまぜにして俺を見下ろす猗窩座殿だ。
 

かつてこちらを見据えていた時の視線とはまるで違う。
見つめているだけで心がほわりと温かく甘く柔らかく、そして少しだけ泣きたいような気持ちになる。


「…どうま…」
グッと奥歯を噛みしめて、何かに耐えうるような表情。
ああもう、本当にその顔はずるいよ猗窩座殿。
「あかざどの…」
俺はそっと手を伸ばし、情熱的だという花言葉を持つブーゲンビリアの色をした髪に指を絡めてそのまま彼の頭をぎゅっと引き寄せる。
 
 
 
〝昔〟の俺へ。
 

名前を呼ぶうちに親友だという情が芽生えるかもしれないと思っていたけど、残念ながらその時代でその願いは叶わない。
 
だけど全てが終わった頃にはその土壌は整えられていて、さらに時間が経てばその努力は想像を遥かに超えて、受け止めても受け止めても溢れるくらいに豊作状態になっているから。
 

「どうま…」
「っぁ…」
だからそれ、本当反則だから…!
 
今日だけでもう数えきれないくらい名前を呼ばれて、心理的距離どころか肉体的距離もゼロ以上に縮めんばかりに猗窩座殿に愛されながら、せめてもう少しセーブして彼の名前を呼ぶようにしてと、過去の自分へと思いを馳せたのだった。







この話を書いていた時、コンビニで売られてた『ワルイ心理学(漫画版)』を読んでて思いついたネタだったりします。
一つ前に書いた話と根本的に似通った話ですが、アンサー的な話になったのは全くもって偶然であり意図して書いたものではなかったりします/(^0^)\
結局のところ、鬼時代の頃は座殿の情を得られることは出来なかったのですが、その分今生では百年呼ばれた分だけ座殿の中に彼への好意が沈殿していって、どまさんは文字通り好意の百倍返しを喰らっている状態ですねwwwそして今生でも名前を呼ばれているわけですから、その好意の返済は今生だけでは収まらないので来来来世まで支払われること間違いなしですwwww

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