「むうぅ、誰も彼もつれないなぁ」
ベンッという琵琶の音と共に戻されたのはいつもの薄暗い彼の仕事場だった。
代り映えのない悩みを抱えてやってくる頭の弱い人間たちを受け止め、救済する場所である。
上弦の月が欠け、一一三年ぶりに上弦の鬼たちが集められ、始祖からの叱責を受けた挙げ句、誰も彼もからつれない扱いを受けたことに頬を膨らませていた童磨だが、頭を剃りあげた若い男の『教祖様、信者の方がお見えです』という言葉にあっという間に思考を切り替えた。
「ああ、待たせてすまないね、じゃあこれをかぶってから」
上弦の弐という立場から教祖としての立場へ戻るため、座布団の近くに置いてある閻魔大王が被っている帽子を模したものをよいしょと取って頭頂部の模様を隠すために被った。
「どうぞどうぞ、入ってもらっておくれ」
ふかふかとした紫色の大き目の洋風座椅子に腰を下ろし、声も教祖としてのそれに変え、格好を崩した童磨の前に現れたのは、年若い一人の青年だった。
象牙色の道着に身を包み黒い帯を巻きつけた、がっしりとした体躯を持つ青年。黒髪の短髪ではあるが睫はどことなく薄桃色であり、瞳は夜空色でやや吊り上がっている。
大抵は教祖である自身の前に通されれば恐縮しきりな信者が殆どの中、彼はほぼ無表情のまま畳の上を物怖じせずに歩んでくる。そんな彼の姿を見た童磨はずり落ちそうになる身体をどうにか持ち直しながら、必死に叫びだしたい気持ちを抑えることに必死になっていた。
(え、ええええええ???)
「き、貴様ぁ! 教祖様に対して何という!」
余りにもふてぶてしいその不遜な態度に何が起きたか分からないといった表情だった剃髪の側近ははっと我に返りこめかみに青筋を浮かび上がらせながら叫んだ。
「いいいい、君はもう下がっておくれ」
平素と違い焦った声音になってしまったことは否めない。それでも我らが教祖がそう言うなら…ということで、渋々といった体を取りなが側近が下がってくれたことでどうにか一発触発の雰囲気は免れた。
だが、今目の前に起こっている現実は何ら変わりはない。 ぶすっとした表情のその青年の顔は綺麗なものだった。美醜のことではなく(それでもそれなりに整ってはいるのでそれなりに女性に好かれるであろう顔立ちではあるが)、いつも目にしていたあの蒼い刺青のような模様がない。にも拘らず太い首にはぐるりと三本首輪のように模様が走っているし、両手首にも掏摸の罪人のごとくの刺青が走っている。
間違いなくこの青年が先ほど自分の顔に拳を叩きつけてきた上弦の参であることなど明白であった。
だが、正体を隠すつもりがあるのかないのかわからない姿で、しかも正面から正々堂々と信者としてやって来たと言うからには、何か理由があるのだろう。本来ならば口を固く閉ざす信者には辛抱強く待つ性質である童磨だが、先ほどの今でそれをするのはさしもの彼でも無理があった。
「その、猗窩…」
「違う」
教祖失格だと言われても仕方がないのは分かっていたが名前を呼ばずにはいられなかった。しかし間髪入れずに当の本人からその名で呼ぶなと言わんばかりに釘を刺される。
「俺は…、そう、漸・閼伽だ」
「なんて?」
文字だけだと何と言ったか分からない童磨はもう一度目の前の青年に尋ねる。いや、本当になんて読むのそれ。
「漸・閼伽だ。ざ・あかと呼んでくれ」
「いやいやいや、もう隠す気ないよねそれ!?」
思わず身を乗り出して突っ込まずにはいられない。自分のことを飄々としていてつかみどころのない鬼だという陰口を叩かれているのは知っているが、目の前の鬼だって中々エキセントリックでファンキーだと思う。それもこれも普段の勤務態度(?)の違いからくるものなのだろうか知らないけど。
「はぁ…、じゃあもういいよそれで」
思わずこめかみを抑えながら童磨はおざなりな態度を取ってしまう。本来なら信者として向き合うのならば教祖としての態度を取るべきなんだろうが、なんかもうどうでもいい。相手がその気ならこっちだってその気でいいだろう。
「それで、漸・閼伽君。何を悩んでここに来たのかな?」
それでもすぐさま教祖の仮面をかぶり直すのは流石という他ない。どんな相手が望むのであれば幾らでもその通りに演じてあげる。だって俺は優しいのだから。
「…」
だがその漸・閼伽とやらはいつまで経っても動こうとはしない。まるで正座した精巧な可動式人形…後の世では等身大フィギュアと呼ばれる玩具のような態度に、稀有な見た目で麗しい外見を見るなり瞬時に涙を流しながら救いを求められる童磨にしてみれば全くの予想外の反応なので、これはこれで面白いかもなと思い始めていた。
(うーん、どっちが先に根を上げるか勝負とでも思えばいいか)
百年もの間顔ぶれの変わらなかった上弦の鬼と同じように、ここにやってくる人間も百年もの間根本的な悩みは何も変わりはしない。生きることに疲れた。自分はこんなに頑張っているのにどうして。こんなクソッタレた世界は苦界そのもの、だから教祖様に救って欲しいと。そんなどこまでも他責思考の人間を救うのが自分の生まれ持った使命であるし変わらないと思っているが、もしかしたら今日がその変革の日なのかもしれない等と思うのは、養い子たちが敗れてしまい、神の不興を買ったことに、何かしら思うところがあるからなのだろうか?
ベンッという琵琶の音と共に戻されたのはいつもの薄暗い彼の仕事場だった。
代り映えのない悩みを抱えてやってくる頭の弱い人間たちを受け止め、救済する場所である。
上弦の月が欠け、一一三年ぶりに上弦の鬼たちが集められ、始祖からの叱責を受けた挙げ句、誰も彼もからつれない扱いを受けたことに頬を膨らませていた童磨だが、頭を剃りあげた若い男の『教祖様、信者の方がお見えです』という言葉にあっという間に思考を切り替えた。
「ああ、待たせてすまないね、じゃあこれをかぶってから」
上弦の弐という立場から教祖としての立場へ戻るため、座布団の近くに置いてある閻魔大王が被っている帽子を模したものをよいしょと取って頭頂部の模様を隠すために被った。
「どうぞどうぞ、入ってもらっておくれ」
ふかふかとした紫色の大き目の洋風座椅子に腰を下ろし、声も教祖としてのそれに変え、格好を崩した童磨の前に現れたのは、年若い一人の青年だった。
象牙色の道着に身を包み黒い帯を巻きつけた、がっしりとした体躯を持つ青年。黒髪の短髪ではあるが睫はどことなく薄桃色であり、瞳は夜空色でやや吊り上がっている。
大抵は教祖である自身の前に通されれば恐縮しきりな信者が殆どの中、彼はほぼ無表情のまま畳の上を物怖じせずに歩んでくる。そんな彼の姿を見た童磨はずり落ちそうになる身体をどうにか持ち直しながら、必死に叫びだしたい気持ちを抑えることに必死になっていた。
(え、ええええええ???)
「き、貴様ぁ! 教祖様に対して何という!」
余りにもふてぶてしいその不遜な態度に何が起きたか分からないといった表情だった剃髪の側近ははっと我に返りこめかみに青筋を浮かび上がらせながら叫んだ。
「いいいい、君はもう下がっておくれ」
平素と違い焦った声音になってしまったことは否めない。それでも我らが教祖がそう言うなら…ということで、渋々といった体を取りなが側近が下がってくれたことでどうにか一発触発の雰囲気は免れた。
だが、今目の前に起こっている現実は何ら変わりはない。 ぶすっとした表情のその青年の顔は綺麗なものだった。美醜のことではなく(それでもそれなりに整ってはいるのでそれなりに女性に好かれるであろう顔立ちではあるが)、いつも目にしていたあの蒼い刺青のような模様がない。にも拘らず太い首にはぐるりと三本首輪のように模様が走っているし、両手首にも掏摸の罪人のごとくの刺青が走っている。
間違いなくこの青年が先ほど自分の顔に拳を叩きつけてきた上弦の参であることなど明白であった。
だが、正体を隠すつもりがあるのかないのかわからない姿で、しかも正面から正々堂々と信者としてやって来たと言うからには、何か理由があるのだろう。本来ならば口を固く閉ざす信者には辛抱強く待つ性質である童磨だが、先ほどの今でそれをするのはさしもの彼でも無理があった。
「その、猗窩…」
「違う」
教祖失格だと言われても仕方がないのは分かっていたが名前を呼ばずにはいられなかった。しかし間髪入れずに当の本人からその名で呼ぶなと言わんばかりに釘を刺される。
「俺は…、そう、漸・閼伽だ」
「なんて?」
文字だけだと何と言ったか分からない童磨はもう一度目の前の青年に尋ねる。いや、本当になんて読むのそれ。
「漸・閼伽だ。ざ・あかと呼んでくれ」
「いやいやいや、もう隠す気ないよねそれ!?」
思わず身を乗り出して突っ込まずにはいられない。自分のことを飄々としていてつかみどころのない鬼だという陰口を叩かれているのは知っているが、目の前の鬼だって中々エキセントリックでファンキーだと思う。それもこれも普段の勤務態度(?)の違いからくるものなのだろうか知らないけど。
「はぁ…、じゃあもういいよそれで」
思わずこめかみを抑えながら童磨はおざなりな態度を取ってしまう。本来なら信者として向き合うのならば教祖としての態度を取るべきなんだろうが、なんかもうどうでもいい。相手がその気ならこっちだってその気でいいだろう。
「それで、漸・閼伽君。何を悩んでここに来たのかな?」
それでもすぐさま教祖の仮面をかぶり直すのは流石という他ない。どんな相手が望むのであれば幾らでもその通りに演じてあげる。だって俺は優しいのだから。
「…」
だがその漸・閼伽とやらはいつまで経っても動こうとはしない。まるで正座した精巧な可動式人形…後の世では等身大フィギュアと呼ばれる玩具のような態度に、稀有な見た目で麗しい外見を見るなり瞬時に涙を流しながら救いを求められる童磨にしてみれば全くの予想外の反応なので、これはこれで面白いかもなと思い始めていた。
(うーん、どっちが先に根を上げるか勝負とでも思えばいいか)
百年もの間顔ぶれの変わらなかった上弦の鬼と同じように、ここにやってくる人間も百年もの間根本的な悩みは何も変わりはしない。生きることに疲れた。自分はこんなに頑張っているのにどうして。こんなクソッタレた世界は苦界そのもの、だから教祖様に救って欲しいと。そんなどこまでも他責思考の人間を救うのが自分の生まれ持った使命であるし変わらないと思っているが、もしかしたら今日がその変革の日なのかもしれない等と思うのは、養い子たちが敗れてしまい、神の不興を買ったことに、何かしら思うところがあるからなのだろうか?
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