枯葉に芽吹く雪氷戀 - 2/4

 思いの外長引いてしまった講義を終え、お誘いをかけてくる女性たちをやんわりとあしらいながら童磨はスマホにて遅れてしまった詫びを打ち込みながら早足で歩いていく。
 キャンパスの窓から見える紅葉は色鮮やかであるがチラホラと散り始めており、外で待つには寒い季節になってきた。〝昔〟は狂犬だったのに、現世ではまるで忠犬のように待ち合わせ場所を変えるのを良しとしない性格なのはわかってはいるが、もう自分も彼も鬼のように頑丈な身体をしていないのだ。風邪を引いたら引いたで看病するのは苦ではないがそれでも好きな人に苦しい思いをして欲しくない童磨は、一縷の望みを込めて構内のカフェにでも入って暖を取っていて欲しいという旨を打ち込み送信した。
 こんな時、脳内対話の能力があればと思わないでもない。だがあれは一方的に上位の鬼から下位の鬼へ送る能力であり、コミュニケーションを取るには足りなさすぎるものだった。最も鬼は慣れ合わない生き物なのだが、〝昔〟の自分はそんな同族嫌悪の呪いは何のその、皆、仲間なのだから仲良くなれないかなと思っていた。特に、今の恋人である猗窩座とは。
 あの頃の彼はどうしたってつれなかった。仲良くしたいと近づいても遠く離れて行く。それでも無理にと距離を詰めれば吹き飛ばされる。それが彼なりのスキンシップだと信じて疑っていなかったが、そうでなかったのを知ったのは、鬼としての生を終えてからのこと。全てが終わり、頸だけになり地獄へ堕ちたその先に、彼は立っていた。その武骨な両掌で優しく己の頸を受け止めて、親友だと言ってくれた。そして腹を割って過去を話した。今生では双子の兄として生まれた狛治としての記憶が猗窩座になったきっかけであり、そして自分を忌避し続けていた理由であることも。
 そこで時間は切れてしまいそれぞれの地獄で禊を終えてこうして現世へと生れ落ち、親友としてやり直していく最中で、猗窩座の方から恋人となって欲しいと請われ、童磨もそれを了承した。恋という感情がどんなものか知らなくて児戯のような恋愛を繰り返してきた彼が、親友と他称していた彼と恋人になったの理由は至ってシンプルで、彼とならそうなりたいと思ったからだ。そして本当の恋はドキドキ脈打つものではなく、心の中にふとした瞬間、ホワホワした温かくて柔らかくい、そして時折泣き出したくなるくらい優しいものが降り積もっていくものなのだと。
「あ」
 講義中なのでマナーモードにしていたスマホがぶるぶると震える。宛先は勿論猗窩座からだった。
 
〝分かった、だが俺はこの場所から梃子でも動かない、お前が来るまで待つからさっさと来い下さい〟

「ふふ、猗窩座殿は相変わらずだなぁ」
 予想した答えだがそれでも胸はほわほわと温かなもので灯っていく。ならば早く待ち合わせ場所に行って彼を温めてあげたいと、童磨は更に足を早めて外へと駆けて行った。
 待ち合わせ場所にお互い指定したこの場所は、東西に立ち並ぶ銀杏や欅の紅葉が綺麗な並木通りであり構内屈指の待ち合わせやデートスポットにもなっている。
 燃え上がるような紅や目が覚めるような橙や黄色の葉っぱがハラハラと舞う中、純真無垢の象徴とかつて言われた白橡の髪を持つ童磨は、全体的にホワイトとアイボリーを基調にしたファッションと相まってか、まるで冬の到来を告げに来た精霊のようだという感想を通りすがりの人々が抱く。それと同時、その甘く整った顔が嬉しそうに高揚しているのを見て、自分たちと同じ生身の人間だということも。
 神の子としてもてはやされ強制的に神格化させられ、鬼にしてもらい次席まで上り詰めたかつて上弦の弐。だがその罪は〝昔〟のものであり、現世に生まれる前にその禊は全て終わった。そもそも鬼とは人しか食せなくなるだけで、人と同じように食べなければ生きていけない生き物なのだ。童磨がかつて犯した罪とは、それしか知らなかったとはいえ、救済の名の元で独善的に命を奪ったそのことに対しての罪である。そしてそれは猗窩座も同じで、悪戯に拳を振るい人を屠った罪の贖いを終えた。
 贖罪を終えてこの世に生れ落ちた以上、二人は人として幸せになる権利は十分に与えられている。他愛のない話をしながらじゃれ合い、学年が違うので童磨が猗窩座に大学内のノウハウを教えたり、このキャンパス内の並木通りを歩きながら、色々な秋のスイーツを共に食べ、感想を言い合うのが何より楽しく、大好きな時間だった。
「早く会いたいなぁ」
 思わず口をついて出た言葉と、鮮やかな紅葉にまぎれても目立つ情熱的という意味を持つ花言葉を持つ色の髪が目に入る。
 猗窩座殿! と名前を呼んで駆け寄ろうとしたその時、童磨の虹色の瞳にはもう一人いることに気が付き、とっさに口を噤む。
 お前さえいればいい、お前以外いらないと情熱的に囁きかけてくれるが、流石にもう少し交友関係を広げた方がいいのでは…と危惧していた童磨からすれば新たな友人ができたのは喜ばしいことだ。
 だがその姿を見た瞬間、彼は足を止めとっさに身を隠してしまう。
 この紅葉のように鮮やかな髪を持つ、まるで燃え盛る炎のような雰囲気の男。〝昔〟、猗窩座が鬼になるようにと勧誘し、執心し続けた元炎柱だった。
 猗窩座がこの男を気に入っていたのは視覚共用をして知っていた。
その真っすぐなところがあの方や黒死牟に気に入られ、それが美点だと分かっていてもモヤモヤとした気持ちが拭えない。
 何故、よりによって彼なのかという気持ちが沸き上がってくる。今の今までかつての鬼狩りになど会わなかったのに。
彼があの炎柱と生き生きとしながら戦っていたことは情報共有として知っていた。”昔”はああ、猗窩座殿楽しそうだなぁ、俺といる時とは違うや位にしか思っていなかったのに、ここで、こうして対峙している姿を見るのは堪らなくモヤモヤする。

 今は俺に向けてくれる表情を彼にも向ける?
 そんな、そんなのは…。

「…だが俺はお前のことを本気で欲していたわけではない!」

 突如として響いた恋人の声に、木々の間に隠れていた童磨の身体がびくりと震える。
 前後の会話は知る術もないのでどういったことを話していたかは分からない。だが自分を心から真っすぐに愛してくれている猗窩座の真剣な声音に、煉獄とどうこうなるつもりはないのだということは分かる。出会ったばかりでどうこうなるもへったくれもないのだが、そんなことで嬉しいと思ってしまう自分は、こんなにも猗窩座を愛してしまっていたのかと自覚した童磨がずるずると木にもたれかかるようにして座り込んだ。
「…今だから分かったことだが…、俺には本気で欲していた者がいた…。俺よりも弱かった癖にあっという間に強くなって…それでいて心の底から気の毒な他人の幸せのために尽力するような奴だった」
「………」
 次いで聞こえてきた静かなる独白。ここに自分がいることは勿論猗窩座は知らないだろう。樹々から舞い散る葉っぱと重なり合う樹々が〝昔〟に比べて縮んだとはいえ大柄な体を隠しているし気配だって消している。気づいているはずがない。だというのに。
「俺は俺の弱さに目を瞑り、背け続けていた。その苛立ちから俺はお前やお前の同僚であろう水柱、かつての柱たちをそいつの代用品になるようにしていたにすぎない」
 だから…と、と間を置いた猗窩座の熱を帯びた告白が終わると同時、童磨の顔も熱がひかない状態になっていた。

 何であなたはいつもあんなに俺に想いを伝えてくれているのに。
 俺がいないところでもそんな風に想いを伝えることが出来るんだろう。
 俺は少しでもあなたにその想いを返せているのかな?
 今、どうしようもなく嬉しいのと泣きたい気持ちでいっぱいなのをどうやったら上手く伝わるか、まとまらない。

 そんな風に逡巡する童磨の事情も空気も読まず、そうかそうか!というクソデカい声があたりに響き渡ったのはそれからすぐのことだった。
 距離がある自分ですら耳がキンキンするのに、至近距離にいる猗窩座はもしかしたら鼓膜が破れているかもしれないと、思わず起ちあがろうとするが、次に放たれた煉獄の台詞に再び座り込み直すこととなる。

「あの頃の君はいけ好かない奴だとばかり思っていたが、何の何の! 随分な惚気を聞かされてしまったな!!」
「んなっ!?」
「!?」
 単純明快を絵に描いたような男にまで気づかれてしまった自身への想い。それほどまでに猗窩座は自分への好意がただ漏れなのかと思うと、その甘さと深さに今にも溺れてしまいそうになる。
「まあ何だ。こうして君と会えて話が出来て良かった」
 すぐそこから炎柱の声が聞こえる。気配からしてそろそろ立ち去るところだろうか。
「ああ、こちらこそな。煉獄杏寿郎」
「じゃあまたな。縁があったら会おう」
「うむ! 君が今生で手に入れることができた大切な者にもよろしくな!」
「余計な世話だ!!」
(あああああ、もう、ホント、猗窩座殿ってばホント…!!)
 かつて命を奪った者と奪われた者のやり取りとは思えないほど軽快なそれに、童磨は人知れずに虫の息になろうとしていた。これがきっと羞恥心で死ねるというヤツなのかと思う傍らで、まだまだ死にたくない、生きていたいと思うそんな甘やかな矛盾に心がかき乱される。
(こんなことってありえるのかなぁ…)
 胸の中どころか頬までもがグラグラと煮立つように熱い。恋を育みこれ以上に無いほど心を奪われた相手を想うだけで、息も出来ないくらい胸が高鳴ってしまう。

 座り込んだまま立ち上がることが出来ずに立膝の中に童磨はぽすんと顔を埋める。冷え切った空気が一刻も早く熱に茹だる頬を冷ましてくれることを願ってはいるが、かさりと葉っぱを踏みしめてこちらへ向かってくる足音が耳に入り、これはもう誤魔化しようがないと腹を括るまでそんなに時間はかからなかった。

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