「のぞき見とは感心せんなぁ」
「あ、ははは…、ごめんよ猗窩座殿」
樹々の間にしゃがみ込んでいる愛しい人の白橡の頭の上に映える数枚の銀杏の落葉。それを取りながら猗窩座は可愛らしい悪戯を見届けた親のように恋人である童磨を笑いながら手を差し伸べた。
「何というか…タイミングを見失っちゃって…」
どうにか火照りを収めた童磨はありがとうと言いながらその手を取り立ち上がる。と、同時に猗窩座はその豊満ながらもくびれた腰に両手を回し、ギュッと抱き着いた。
「わっ」
丁度ぽすりと胸に顔が当たる位置にある今生での身長差。恋仲へと進化した時はもう少し身長が欲しいと思ったが今はこれでいいと童磨の胸の温かさと柔らかさを堪能しながら猗窩座は全身で恋人の存在を堪能する。
「あ、猗窩座殿…、どう、したんだい?…」
上ずる声を懸命に隠しながらもそっと筏葛の髪を撫でてくれる手の優しさと温かさに猗窩座は猫のように目を細めながら頭を擦りつける。
煉獄と話をしていて改めて気づいた。
本当の本当に欲しかったのは童磨だけ。
〝昔〟からずっと、こんな風に寄り添ってこうしたかったし、お互いに切磋琢磨して鍛え合いたかったのだ。
「童磨…」
「何だい?」
ぎゅっと猗窩座は改めて童磨の腰に手を回して顔を上げる。瞳に閉じ込めた虹は様々な人を救済できるように視野を広くしているのだろうと思うほど、どこに焦点を合わせていいのかわからないとかつては思っていた。
だが今は違う。その五色の瞳が人々を救済するためにちりばめられているというのなら、自分はそんな童磨ごと全部見つめればいいだけの話だ。
「お前は俺にとって大切な存在だ」
「…っ、うん」
向日葵の瞳に見つめながら紡がれる言葉に童磨は思わず息を呑む。それと同時、どくりと胸が高鳴る。
「お前以外の者など眼中にない」
「……うん」
どくん、どくんと鼓動が脈打つ。今にも焼け焦げてしまいそうな、太陽のように熱い猗窩座の視線と言葉にどんどんと頬が火照っていく。
「だから…」
そっと白皙の頬に手を這わせる。外気に晒されていた割には思いの外熱い童磨の肌に触れ、それなりに冷たくなっていた己の手にとってはその温もりが心地良い。
「不安になる必要などない」
「っ」
猗窩座のその言葉に童磨は小さく息を呑んだ。感情を知らない自分でも感情があるふりをして取り繕ってさえいれば簡単に騙される人間の方が多かった。相手が何を考えているのかなんて、一定の法則に当てはめて考えればそれ相応の答えを導き出すことができた。そうすることで救われる人間がいるのならそれでいいとも思っていたが、他の人間が己の心を見透かすことなんかできやしないと高を括っていたし、期待だってしていなかったのだ。それなのに、目の前の彼はいともたやすく自分の心にあった不安とも呼べない何かを余すところなく掬い上げてくれる。それがたまらなく嬉しくて、そしてほんのりと心がくすぐったくて、泣き出しそうな気持ちすら覚えてしまうのだ。
「ああ、でも…」
小さく目を見開き、息を飲んで一瞬泣き出しそうになった童磨の唇に猗窩座が軽く触れるだけのキスを落とす。タイミングよく落ち葉が風に吹かれて舞い上がることで、そんな刹那のキスは誰にも見咎められることはなかった。
「お前が妬いてくれるならいくらでも大歓迎だ」
悲しませたくない、不安にさせたくない。そう思うのは好いた相手にならば当然のことだ。だがそれでも、〝昔〟は掴みどころがなく飄々とした彼が自分を好いてくれて焼きもちを妬いてくれる。そんな可愛らしい嫉妬心くらいなら幾らでも受け止めてやるし美味しく食べてやれる程、童磨に惚れ抜いているという事実が猗窩座に余裕を持たせている。
「~~~~もうっ! あなたはそんなことばっかり言う!!」
そう、こんな風にあの頃にはなかった反応を見せて来て魅せてくるから。だからこそ揶揄いたい気持ちも湧いてきてしまう。ぷんすかしながらポカポカと軽くじゃれ合うように叩いてくる余りにも可愛らしすぎる恋人の拳の訴えを受け止めながら猗窩座は心底愉快そうに笑う。
「はは、そんな顔されても俺が喜ぶだけだぞ童磨」
「もう! もうもう! そういうとこ! そういうとこ!!」
しばらくは恋人同士の戯れだと、牛のようにもうもうと鳴く童磨の愛の拳を難なく受け止めていた猗窩座だが、やがて真剣な顔でその拳を柔らかく受け止める。
「あ、猗窩座殿…?」
一応手加減はしていたつもりだけど、もしかして打ち所が悪かったかもと焦る童磨の手を今度は両手で握りしめて顔の前に持ってくる。その表情は怒っている様子など微塵も感じられない。むしろ柔らかく優しい、まるで蜂蜜のような甘さを持つ瞳で見つめられ、鼓動がとくりと跳ね上がるのが分かる。
「本気だ」
「え?」
聞き返す童磨に猗窩座は更にきゅっと握り締めて来る手に力を籠める。熱すぎるほど熱い、彼の掌に童磨の頬もまた一度温度が上がっていく。
「俺は嬉しいんだ。お前がそう想ってくれることが」
自分ばかりが過去のこともあってか童磨に執心しているという気持ちがどこかで拭えなかった。しかしそれもまた過去の己が蒔いた種だと猗窩座は割り切っていた。童磨の傍にいられること、いることを望んでくれていること、それだけでも過ぎた望みで幸福だと思っていた。
「何度でも言う、お前以外に一生を共にしたい者などいらない」
まるで干からびた大地に染み渡る甘露水のような声。そんな、心変わりするかもしれないことを気安く言わなくてもいいなんて、思う間もないままに。
「お前をいたずらに不安にさせる者など欲しくない」
少しでも広く交友関係は持っておいた方がいいよ、なんて言葉も出ないくらいに。
「お前しかいらない。俺にはお前だけだ……童磨」
彼の言葉がこんなにも嬉しく想う、なんて。
「あ…」
一言一句彼の言うことを理解し終えた脳みそが、顔を熱く火照らせるようにと命じる。その頬に熱い掌が宛がわれゆっくり顔が近づけられる。
「んっ……」
重なり合う熱く薄い唇が冷え切った体と心に吹き込まれていく命のようだと童磨は思う。
何度でも何度でも、きっと無意識のうちに自分が願うものも彼は掬い上げてくれる。それほどまでに今の彼は自分を心から大切に想ってくれている。そう考えるとたまらない想いでいっぱいになる。少しでもこの懸命な人に報いるために何をしてあげられるのか、何でもしてあげたいと、憐れみではない気持ちでそう思いながら、童磨は目尻から熱い雫を一つ零す。
それと同時、舞い散る落葉の中に白いひらりとした柔らかな冷たい物が降り、童磨の頬に触れた。それは恋人がかつて血鬼術として用いていた今年最初の雪の華。
「降ってきたなぁ」
「そうだな」
口づけを解いて、遂に降り始めた雪を見上げながら恋人たちは穏やかに談笑する。お互いがお互いの想いを満たし合い確かめ合い、そうして訪れるこんな時間もかけがえのない大切な宝物だ。
「もう紅葉の季節も終わっちゃうんだねぇ」
「寂しいか?」
かさかさと音を立てながら二人は並んで落ち葉が敷き詰められ、雪の華が降る道を歩いていく。流石に体も冷え切ってきたし、早く温かい場所に行って二人の時間を楽しみたいがためだ。
「んー、どうだろうね。あ、でもまだ秋のスイーツ制覇してないから!それが終わっちゃうのは寂しいかも!!」
「全くお前は色気より食い気だな。そんなに食うからほらっ!」
「わああっ!」
何の前触れもなく隣を歩いていた猗窩座が戯れに自分の胸を揉んできた。流石の童磨も何をするんだいと再びぷんすかするも、猗窩座は楽しそうに笑うばかりだ。
「こんなに胸がデカくなるんだ。お前は本当に分かっちゃいない」
「もー!分かってないのは猗窩座殿だよ!! 食べ物だけじゃなくて俺の胸毎日のように揉むからこうなっちゃうんだもん!!」
目の覚めるような美形二人が仲睦まじく歩いているだけでも周囲の視線を引くのに、そんなやり取りをすれば五度見六度見されるのは当たり前のことだ。だがそんな周囲の反応など気にすることなく世界は二人のためだけにを地で行っているのだから始末に負えないのだが、彼らは別段改める気もない。
本当の本当に欲しい者が傍にいればそれでいい。それ以外の、恋人を不安にさせる要素などあってないようなものだと切り捨てることを厭わない猗窩座とそんな彼に惚れている童磨。かつて、雪と氷の血鬼術を使う鬼であった恋人たちによって踏みしめられ、その上から雪の華を咲かせる紅葉の上から、更なる最後の賑やかしと言わんばかりの紅葉がハラハラとその葉を散らせていったのだった。
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