「ん?」
立ち尽くしたままではらちが明かないと判断した童磨が猗窩座を促し赤い電波塔の近くにあるベンチに腰を下ろす。近くにあった自販機で購入して手渡した温かな爽健美茶のペットボトルを握り締めること数分、猗窩座の不意に零れ落ちた声に童磨は真摯に耳を欹てた。
「何が余裕がなかっただ…」
ようやく口を利くまでに気力が回復したのかと童磨は内心で喜んだがそれも束の間だった。心底悔しそうに言葉を吐き捨てた隣に座る恋人の顔は今にも泣き出しそうなほどに歪んでいたのだから。
「何にも知らないくせに……、俺がお前にどんな理不尽な想いを抱いていたのかなんて、何も…」
「猗窩座殿…」
そう、あの恋柱を演じた人間が言うように確かにあの頃の自分は余裕がなかった。だがその発言は猗窩座側に立ったものであり、童磨の立場から見た客観的な意見ではないのは聞いていてわかった。最も彼女に悪気があってのことではないのも分かる。だが、知ったような顔をして、映像の中とは言え自分のことも童磨のことも好きに言われることも自分の罪を抉られることも我慢がならなかった。
「俺は、お前に…本当になんてことを…」 自分がもっと強かったなら。
人間時代の悪い方にばかり当たる勘の良さを活かせるだけの柔軟性があったなら。今更ながらに償い終えた罪の重さに押しつぶされそうになる。地獄で償ったのはあくまで殺してきた人間に対しての罪であり、決して童磨に行ってきたものは含まれていない。そしてそれを過ぎたことだと水に流せなどと加害者である側の自分が死んでも言っていい言葉などではない。
チラチラと雪が舞い始める中、雪と氷の祭典に夢中になっているのか、ここは平素に比べてあまり人が来ない。それを確認した童磨はゆっくり手を伸ばすとそのまま猗窩座の頭をぎゅっと抱き込んだ。
「っ、おい…!」
「ねえ、猗窩座殿…」
映画でも強調されていた彼の豊満な胸は〝昔〟と違いサイズダウンしている。だがそれでも柔らかく温かくそしてほんのり甘い匂いがするのは、多分あの頃とは変わっていないのだろう。
くぐもった声を出す猗窩座の耳に、しっとりとした柔らかな声が届く。どうかそのままでいいから聞いてほしいというその声音に、今はただただ彼を愛するだけの人間である猗窩座はそれを聞く以外他なかった。
「もう、俺は気にしていないから」
「っ……」
本当に童磨は〝昔〟から気になどしていなかった。だってそれが猗窩座なりの親交の証だと心から思っていたから。だけどそれを何度も何度も言っても猗窩座の心の奥底まで届かないことも、本人の潜在意識が拒んでしまっていることも知っていた。だから童磨は敢えて『もう自分は気にしていない』という言葉を選んだ。そうすることで少しでも猗窩座の心が和らぐようにと。
「あの過去があったから、俺たちはこうして一緒に居られるんだよ?」
それはまぎれもない事実だ。上弦の陸から弐になった。上弦の参に堕ちた彼から弐である自分が疎まれていた。そのどれもが未来から過去に流れる時間軸によって必要不可欠な出来事であり、一つでも欠けていたらこんな風には一緒に居られなかった。
「っ、それでも…!」
顔を上げて反論を口に仕掛けた猗窩座の頭が童磨の手によってやんわりと押さえつけられる。お願いだからこれ以上今の自分たちがあるあの〝昔〟を否定しないで欲しい、自分を責めないで欲しいというたっての彼の願いが痛いほど伝わってくる。だがそれでもああまで鮮明に、そして些細な動きではあるが童磨に非があるかのような描写を付け加えられた映像を目の当たりにして、早々と割り切れるものではない。
ぎゅうっと猗窩座の両腕が童磨の背中に回される。これ以上童磨の願いを無碍にしたくない、そんな風に必死に自分の気持ちを整理しようと努力する猗窩座の髪に童磨はそっと手を置いて優しく撫ぜていく。
「それでも…、それでも、猗窩座殿が俺に申し訳なく想ってくれているなら…」
────…どうか俺の名前を呼んでおくれ。
その声にピタリと猗窩座の動きが止まり、そしてゆっくりと顔を上げる。辛うじて向日葵色の瞳は涙に濡れてはいなかったがそれでも今にも振り出しそうな水幕が張っていた。
「童磨…」
「うん…」
小さく呼んだその声に童磨も今にも泣きそうに微笑む。そう言えば〝昔〟は、一度も此奴の名前を呼ばなかった。呼べなかったのだ。
(ああ、俺は…)
正真正銘の大馬鹿野郎だ。自分がやらかしたツケを支払うこともしないで、今も〝昔〟も此奴の大らかさに甘ったれて。あの映画を見て過去を思い出し、感情が芽生えた此奴だってあの時の所業以上に名前の一つも呼んでやらなかったことがどれだけ圧し掛かっているのか考えも出来なかった。
だがこれ以上落ち込むのは後回しだ。自分と同じくらいに童磨もまた、鮮明な過去を描き出されて思い出してしまった〝昔〟の痛みを取り除いてやるのが今の俺の務めだ。
「…童磨…」
まっすぐに虹色の瞳を見つめながら万感の想いを込めて猗窩座は童磨の名前を呼ぶ。〝昔〟とは比べ物にならないほどに愛しい、彼の名前をまるで宝物ように大切に。
「もっと呼んでほしい…」
「…童磨」
上弦も弐の文字もない、柔らかな虹彩は罪人を赦し包み込む光のようだ。そんな童磨に真摯に答えるべく上弦も参の文字のない向日葵を猗窩座はまっすぐに向けながらもう一度大切にその名を紡いだ。
「もっと…」
「…俺の童磨…」
ゆっくりと猗窩座は立ち上がりそっと手袋を外す。温かなお茶で温まった素手で、ひんやりと冷たくも温もりと柔らかさを感じる恋人の頬に壊れ物を扱うような手つきで触れた。
「お願い、あともう少しだけ…」
「遠慮なんかするな。愛しい、俺の大切な童磨…」
二度と傷つけない。二度とお前を粗末になどしない。
今以上に、ずっとずっとこれからも、お前を大切にする。お前に支えられるばかりの男だけじゃなく、俺もお前を救い上げる。だからどうか。
「猗窩座殿…」
ようやく笑いかけてくれた猗窩座にホッとした童磨は呈色の瞳から一滴、透き通った真珠を頬に辿らせる。
「童磨…」
真っ白に積もった雪が溶けかけて氷に変わりかけている地面に落ちる前に、猗窩座の唇によって甘露を吸い上げるように拭われたのは言うまでもなく。
「有難う、嬉しい…」
そんな風に健気に笑う童磨に猗窩座はしゃにむに抱きしめる。
そんなことで礼など言うな、なんて無粋なことは言わずに、ただひたすらに疎んできた鬼を、今は愛しい恋人を温めたかった。
氷の血鬼術を繰り出す美しくも伽藍洞だった鬼。
だけど流す涙も触れる体温もとても温かい。
こんなにも、こんなにも。
今はただただ、彼が愛おしい。
「…このあと、どうする?」
白い息を吐きながら問うてくる童磨に猗窩座の答えは決まっている。
なだらかに続いていく特殊公園を見下ろす位置にある電波塔のふもとから見える雪と氷の祭典に沸いている人だかり。確かに祭典も楽しみにしていたが、不特定多数の人だかりに揉まれるよりも、今、この場で温もりを与え合い名前を呼んで触れ合った、〝昔〟から連なる時を経て、ここに居る彼を感じたいと猗窩座の本能は訴えている。
「…分かっていると思うが敢えて言おう」
────……お前が欲しい。一刻も早く。
言葉で伝える手間を省き悪戯に腕力に訴えていた〝昔〟の自分の所業に捕らわれ蹲る自分を今度こそ断ち切るべく、猗窩座は心から童磨を欲していることを告白する。
「そっか、俺もそうだよ。お揃いだね」
そう言って嬉しそうに笑う童磨の腰に腕を回した猗窩座は、今以上に〝昔〟の分まで恋人の名前を呼びその存在を慈しみ愛し合うための行為に胸を高鳴らせる。
「俺の名前をいっぱい呼んで…。〝昔〟の分まであなたを俺に頂戴?」
そんな風に言われてしまっては、この場所から宿泊施設まで戻るための路面電車駅まで歩くのすらもどかしい。雪道で料金はかさむが、一刻も早く恋人と触れ合える時間を金で買うためアプリでタクシーを呼び寄せて乗り込むその瞬間まで、猗窩座はかつての記憶を塗り替えるように、童磨の肩に頭を乗せてぐりぐりと動かし続けていた。
実際のところ、うちの猗窩童があの映画見た場合、あまりにも詳細に描かれているのでどまを心から愛する座は正直ギブアップすると思う。
それでも本編だけならば過去のことだと割り切って何とか見ることはできるけど、あのライビュはねぇ…。うちの座にはちょっと荷が重いというか…。しかも事実であるが故絶対に凹むと思う。
そしてどまの場合、座に理不尽に殴られていたことに対して思うことはない。むしろ『そう言えば俺、あの頃全然名前呼ばれてなかったな…』ってことの方がずっと心が痛いと思う。
そんな感じの話を書きたくてずっと温め続けていました。これ、映画を見てすぐに書くにはちょっと色々重過ぎたのである程度心の整理が必要でした。
その代わりというわけじゃないんですが、映画を見て割とすぐに出来たのがコレってどういうことなのマジで\(^0^)/
BGM:Aesthetic
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