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地下ガレージに車を置き終えた後、しっかりとサイドブレーキを引き終えて童磨はドアを開けた。
コーチング業界に身を置いている童磨は今日は勉強会に赴いていた。
〝昔〟、人ならざる頃には教祖業として身を置いていた童磨だが、今生に記憶を持って生まれた際、新興宗教の教祖などという胡散臭いやり方はせず、他の方法で人々を幸せにする方法を知識として学んでいった。その方法は脳の特性を生かした科学的手法であるマインドコーチングと呼ばれるものであり、他人軸ではなく自分軸で生きて本当に幸せになりたいか否かを悩める人々に投げかけて、本気で幸せになりたいと思う者に対しマンツーマンで向き合う仕事を手掛けている。
人は、悩みを解決してくれるものやツールに対しては金払いを惜しまない。それに加えて物腰柔らかな童磨の姿勢や華やかな美貌も相まってその界隈では名を轟かせていた。もちろん、この界隈で活躍する人々もいい意味で自分軸で生きているため、童磨に対してのくだらない恨み妬みなど持たない、まさにいい意味での類は友を呼ぶ環境で彼は活躍していた。
そんな順風満帆だった童磨の生活に、突如として招かれ去る客がやってきたのはこの後すぐのことである。
フロントがありさらに階ごとにオートロックも設置されているこのマンションは、主に防犯に力を注いでいる。きちんとした収入を得ている童磨は、無駄にその財産をひけらかすことはなく、世のため人のために使っていた。先に述べた勉強会ももちろんそうだが、自分の身を守るための住処や食べ物、衣服に至るまで彼は自分が本当に欲しいと感じたものや必要だと思ったものに対してお金を使うようにしていた。金は天下の回り物というわけではないが、そうすることで世の中の循環を生み出し必要な人にお金が行き渡るし世の中も少しは潤いを見せる。そんなスタンスの元童磨は過ごしていた。
だから借り上げている部屋に戻るということは、昨日と変わらぬ平穏さを保っていると思うのは至極当然のことであったし、それが脅かされるというのなら何のために金銭を支払っているのかという話である。それに加えて彼は〝昔〟と違い、Have to思考に基づいての行動は控えていた。それ即ち『上に立つ者は下の者のすることなすことに目くじらを立てずに余裕とゆとりを持たなければならない』『仲間同士仲良くしなければならない』といった、今の時代においては足かせにしかならない考えを改め、自分のためだけに行動していたのである。それを知った時、彼の頭から真っ先に除外されたのは自称親友と思っていたある男の存在だった。
弱いばかりで良く吠える犬。今にして思えばそれくらいの認識でしかない、かつての上弦の参である猗窩座。上弦の陸から今でいうところのレベルアップを繰り返し当時上弦の弐であった彼を打ち破り、入れ替わりの血戦を果たした際、童磨は彼を喰わなかった。否、彼だけではなく打ち破った鬼たちを食わずに生かしておいた。それ即ち、同族嫌悪の呪いなど何のその、今でいうところのHave to思考という呪いにかかっていたためそれが通じていなかっただけであるが、とにかく彼は鬼であるなら仲良くしなければならないという認識の元、今まで打ち破った鬼たちは全員生かしていた。それを哀れみをかけられたのかなんだか知らないが、猗窩座はとにもかくにも童磨のやることなすことが気に食わず、わざわざ彼に近寄ってきては殴るけるの暴行を加えていた。たとえそれが挨拶だとしても拳で叩き返す。他の上弦の鬼と話していれば裏拳でぶん殴る。挙句の果てには上弦の伍から貰った壺に女の生首を活けているということを話しただけで回し蹴りを貰ったくらいに、肉体言語が激しい鬼だった。
それでも肉体が再生する童磨にとってそれが彼なりのスキンシップだと思っていたので、めげずに彼と仲良くしようと心を砕いていた。だが猗窩座は頑として口に出して「嫌だ」とか「お前が目障りだ」などという言葉は吐かなかった。まるで察せないお前が悪いと言わんばかりに暴力に次ぐ暴力を重ね、そしてついには何もわかっていない童磨の心と身体を弄ぶ行動に打って出たのである。
恐らくきっかけは猗窩座が鬼狩りの柱を鬼になれと勧誘し、すげなく断られ屠ったことに端を発するのだろう。この時、たまたま女性の隊士もいたので猗窩座は殺せはしないまでも生殺しまでにすることに成功した。身体は半壊し、中途半端に甚振られ、息も絶え絶えの女隊士をずたぶくろに詰め込んで、猗窩座は柱とその取り巻きである男の鬼狩りを吸収し、童磨の元に飛ばすように琵琶女に命令をした。
やあやあ猗窩座殿、よく来たねめずらしいと、童磨の寺院に飛ばされた猗窩座がぽい、とずた袋を童磨の元に放り投げる。どうしたんだい?と首をかしげる童磨に猗窩座は駄賃代わりだと言ってのけた。そしてその直後、彼は自分よりも大柄な童磨の身体を力任せに畳の上に押し倒し身にまとうその服を引き裂いたのである。
流石にその突飛な行動に驚いた童磨は言葉が出なかった。だがまるで紙を引き裂くかの如く猗窩座の手が童磨の身体を剥いていき、露になった白い素肌に唇を寄せ、牙を突き立て身体を咀嚼する姿に我に返り声を上げる童磨を殴りつけ、彼は繰り返し狼藉に及んだ。
うるさい、俺は今むしゃくしゃしてるんだ。
俺が食ったこの柱は、今そこで芋虫のように這いつくばってる女を始め弱者を庇うようにして戦っていた。
そのせいでコイツは十分な力も出せずに俺に殺されていった。
ああむしゃくしゃする。苛々する。
そんな童磨には何も関係のないことを口にしながら、猗窩座はひたすらに童磨を貪った。その度に抵抗しようとする童磨の顔や腹を思う存分殴りつけて、時には臓腑を手刀で貫きながら呪いのように繰り返した。
煩い、黙れ、俺に抵抗するな。
親友ならば黙って俺のストレス解消に付き合え。
親友なのだから黙って股を広げて俺を受け入れろ。
そう、親友なのだから。
親友なのだから────…。
童磨の辞書に、救済=信者から身体を求められるという意味以外にも、親友=肉奴隷になることも厭わないという歪んだ知見を持った認識が生まれたのはこの瞬間だった。
そこまで思い浮かべた童磨は苦笑を浮かべて軽く頭を振る。
馬鹿な、何を今更こんなことを思い出す。
あんな歪んだ爛れた関係を結ぶ者はもうこの世のどこにもいない。そう、鬼としての人生を終えてその全ての関係は何もかもが終わったのだ。否、関係とすら呼べないうすら寒い悍ましいものを、今更思い出す価値すらない。
コーチング業界に身を置いている童磨は今日は勉強会に赴いていた。
〝昔〟、人ならざる頃には教祖業として身を置いていた童磨だが、今生に記憶を持って生まれた際、新興宗教の教祖などという胡散臭いやり方はせず、他の方法で人々を幸せにする方法を知識として学んでいった。その方法は脳の特性を生かした科学的手法であるマインドコーチングと呼ばれるものであり、他人軸ではなく自分軸で生きて本当に幸せになりたいか否かを悩める人々に投げかけて、本気で幸せになりたいと思う者に対しマンツーマンで向き合う仕事を手掛けている。
人は、悩みを解決してくれるものやツールに対しては金払いを惜しまない。それに加えて物腰柔らかな童磨の姿勢や華やかな美貌も相まってその界隈では名を轟かせていた。もちろん、この界隈で活躍する人々もいい意味で自分軸で生きているため、童磨に対してのくだらない恨み妬みなど持たない、まさにいい意味での類は友を呼ぶ環境で彼は活躍していた。
そんな順風満帆だった童磨の生活に、突如として招かれ去る客がやってきたのはこの後すぐのことである。
フロントがありさらに階ごとにオートロックも設置されているこのマンションは、主に防犯に力を注いでいる。きちんとした収入を得ている童磨は、無駄にその財産をひけらかすことはなく、世のため人のために使っていた。先に述べた勉強会ももちろんそうだが、自分の身を守るための住処や食べ物、衣服に至るまで彼は自分が本当に欲しいと感じたものや必要だと思ったものに対してお金を使うようにしていた。金は天下の回り物というわけではないが、そうすることで世の中の循環を生み出し必要な人にお金が行き渡るし世の中も少しは潤いを見せる。そんなスタンスの元童磨は過ごしていた。
だから借り上げている部屋に戻るということは、昨日と変わらぬ平穏さを保っていると思うのは至極当然のことであったし、それが脅かされるというのなら何のために金銭を支払っているのかという話である。それに加えて彼は〝昔〟と違い、Have to思考に基づいての行動は控えていた。それ即ち『上に立つ者は下の者のすることなすことに目くじらを立てずに余裕とゆとりを持たなければならない』『仲間同士仲良くしなければならない』といった、今の時代においては足かせにしかならない考えを改め、自分のためだけに行動していたのである。それを知った時、彼の頭から真っ先に除外されたのは自称親友と思っていたある男の存在だった。
弱いばかりで良く吠える犬。今にして思えばそれくらいの認識でしかない、かつての上弦の参である猗窩座。上弦の陸から今でいうところのレベルアップを繰り返し当時上弦の弐であった彼を打ち破り、入れ替わりの血戦を果たした際、童磨は彼を喰わなかった。否、彼だけではなく打ち破った鬼たちを食わずに生かしておいた。それ即ち、同族嫌悪の呪いなど何のその、今でいうところのHave to思考という呪いにかかっていたためそれが通じていなかっただけであるが、とにかく彼は鬼であるなら仲良くしなければならないという認識の元、今まで打ち破った鬼たちは全員生かしていた。それを哀れみをかけられたのかなんだか知らないが、猗窩座はとにもかくにも童磨のやることなすことが気に食わず、わざわざ彼に近寄ってきては殴るけるの暴行を加えていた。たとえそれが挨拶だとしても拳で叩き返す。他の上弦の鬼と話していれば裏拳でぶん殴る。挙句の果てには上弦の伍から貰った壺に女の生首を活けているということを話しただけで回し蹴りを貰ったくらいに、肉体言語が激しい鬼だった。
それでも肉体が再生する童磨にとってそれが彼なりのスキンシップだと思っていたので、めげずに彼と仲良くしようと心を砕いていた。だが猗窩座は頑として口に出して「嫌だ」とか「お前が目障りだ」などという言葉は吐かなかった。まるで察せないお前が悪いと言わんばかりに暴力に次ぐ暴力を重ね、そしてついには何もわかっていない童磨の心と身体を弄ぶ行動に打って出たのである。
恐らくきっかけは猗窩座が鬼狩りの柱を鬼になれと勧誘し、すげなく断られ屠ったことに端を発するのだろう。この時、たまたま女性の隊士もいたので猗窩座は殺せはしないまでも生殺しまでにすることに成功した。身体は半壊し、中途半端に甚振られ、息も絶え絶えの女隊士をずたぶくろに詰め込んで、猗窩座は柱とその取り巻きである男の鬼狩りを吸収し、童磨の元に飛ばすように琵琶女に命令をした。
やあやあ猗窩座殿、よく来たねめずらしいと、童磨の寺院に飛ばされた猗窩座がぽい、とずた袋を童磨の元に放り投げる。どうしたんだい?と首をかしげる童磨に猗窩座は駄賃代わりだと言ってのけた。そしてその直後、彼は自分よりも大柄な童磨の身体を力任せに畳の上に押し倒し身にまとうその服を引き裂いたのである。
流石にその突飛な行動に驚いた童磨は言葉が出なかった。だがまるで紙を引き裂くかの如く猗窩座の手が童磨の身体を剥いていき、露になった白い素肌に唇を寄せ、牙を突き立て身体を咀嚼する姿に我に返り声を上げる童磨を殴りつけ、彼は繰り返し狼藉に及んだ。
うるさい、俺は今むしゃくしゃしてるんだ。
俺が食ったこの柱は、今そこで芋虫のように這いつくばってる女を始め弱者を庇うようにして戦っていた。
そのせいでコイツは十分な力も出せずに俺に殺されていった。
ああむしゃくしゃする。苛々する。
そんな童磨には何も関係のないことを口にしながら、猗窩座はひたすらに童磨を貪った。その度に抵抗しようとする童磨の顔や腹を思う存分殴りつけて、時には臓腑を手刀で貫きながら呪いのように繰り返した。
煩い、黙れ、俺に抵抗するな。
親友ならば黙って俺のストレス解消に付き合え。
親友なのだから黙って股を広げて俺を受け入れろ。
そう、親友なのだから。
親友なのだから────…。
童磨の辞書に、救済=信者から身体を求められるという意味以外にも、親友=肉奴隷になることも厭わないという歪んだ知見を持った認識が生まれたのはこの瞬間だった。
そこまで思い浮かべた童磨は苦笑を浮かべて軽く頭を振る。
馬鹿な、何を今更こんなことを思い出す。
あんな歪んだ爛れた関係を結ぶ者はもうこの世のどこにもいない。そう、鬼としての人生を終えてその全ての関係は何もかもが終わったのだ。否、関係とすら呼べないうすら寒い悍ましいものを、今更思い出す価値すらない。